映画(1980年代)

2008年11月15日 (土)

「プルガサリ/伝説の大怪獣」★~突っ込み満載の北朝鮮版ゴジラ

●突っ込みどころ満載の北朝鮮版ゴジラ

米映画「GODZILLA」(ローランド・エメリッヒ監督)が98年5月ついに全米公開され、ベールを脱いだ。ファンは熱狂、専門家は激辛評という予想通りの展開となった。それでも大ヒットはしているようで、3日間のオープニング成績は「ロスト・ワールド」をしのぐという。

Godzilla teaser trailer #2

 

ところで、ゴジラのあのスタイルはどうだろう? ぐんと細くなり、まさに巨大化したトカゲ以外の何ものでもない。ゴジラ俳優(着ぐるみ俳優)薩摩剣八郎さんは早い時点から、知人からインターネットを通じて、「GODZILLA」のデザインを知った。「あんなの、ゴジラではないよ」。その言葉には怒りすら感じられる。

 

その薩摩さんが北朝鮮に赴き、怪獣を演じたのが、この「プルガサリ」。狙いなのか、偶然なのか、「GODZILLA」とほぼ同時公開。北朝鮮の朝鮮芸術映画撮影所が85年に「ゴジラ」のスタッフを招いて作った怪獣映画。完成直後に発生した諸般の事情により、本国でも未公開に終わった幻の作品。日本が世界初公開となる。

「完成度の高さは怪獣映画の傑作とも絶賛された」と配給会社は主張するが、出来ははっきり言ってひどい。しかし、星ひとつはむしろ、勲章だ。この出来の悪さがかわいいのだ。

なぜ公開が12年後になったのには訳がある。そもそも、故・金日成主席が大の「ゴジラ」ファンで、撮影所に命じたらしい。ところが、出来上がったこの映画は、高麗朝末期を舞台に、飢饉、悪政に苦しむ民が一揆を起こし、それを伝説の怪獣、プルガサリが助けるという筋立て。最後は朝廷に乗り込み、建物を破壊する。絶対的権力者を否定し、民衆の力を賛歌したものなのだ。

朝鮮初の怪獣映画に狂喜乱舞した金日成主席もさぞかし、驚いたことだろう。時の権力者がこんな映画を許すわけがない。監督のチョン・ゴンジョは、完成直後に米国に亡命したという。その後、ゴンジョ監督が持ち出したフィルムは韓国経由などで海外に流出。日本でも既にビデオ化している。この事態に朝鮮総連は激怒。フィルムでの上映はまかりならんと、ストップをかけ、今日まで至ったようだ。

プルガサリは出生からしてユニークだ。反乱罪で捕まった鍛冶屋の主人タクセは断食を強いられ、やせ細っていく。見かねた娘のアミはこっそりおむすびを牢に投げ込む。世の中を愁うタクセは何を思ったのか、その米粒を捏ねあわせ、伝説の怪獣の人形を作り上げ息絶える。

それが天から光を浴び、命を宿すという次第。最初は手の平に乗るほどの大きさ。娘アミとふとんを並べて寝たりする。好物は鉄。最初は針を食べ、そして、鍬を食べ、どんどん成長を遂げる。人間大の大きさになったときには、死刑されそうになっているヒロインの恋人の窮地を救う。なんとオノを食ってしまう。

その後も大きくなり続ける。ともかく無敵。矢も火も爆弾もものともしない。一時は呪い師によって力を奪われるが、その後はなんのその。自分と同じ高さの宮殿をいともたやすく壊す。おかげで民衆は自由を得る。普通の映画なら、ここで終わるはずだ。伝説の怪獣はどこかに帰っていく。続編の予感を感じさせながら。

<以降ネタバレあり>


しかし、この映画はその後のプルガサリの姿を律義に見せる。

平和が戻った後もプルガサリは、成長を続ける。民衆は「命の恩人だから」と、鉄を与え続けたが、それは巨大なプルガサリの腹を満腹させるほどにはならない。民衆は鉄という鉄は与え、畑を耕す鍬にも困っている。この現状にヒロインも「このまま世界中の鉄を食べる気?」と嘆くのだ。そして、悲劇のラストシーンと向かっていく。

怪獣映画がかつて、こんな風に描かれたことはあっただろうか。

権力、革命、民主主義、巨大化、自己矛盾、そして、崩壊。これらはプルガサリをめぐるこれらのキーワード。お笑いな怪獣映画だが、その奥にあるものは意味深いのかもしれない。そう言えば、「ゴジラ」も反戦、反原爆を謳った社会派映画であった。1h35。(98年7月4日、キネカ大森公開)

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