映画(1990年代)

2009年7月24日 (金)

映画「ほがらかな金魚」

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24日(金)、銀座のアップルストアを覗いて、「マックはデザインがよいなぁ」と指をくわえながら(ウインドウズユーザーです)、京橋のフィルムセンターへ。

目当ては「ほがらかな金魚」という自主映画。この日まで、「びあフィルムフェスティバル(PFF)」の回顧上映が行われていたのです。

PFFは新人監督の登竜門で、塚本晋也、篠原哲雄、古厩智之、熊切和嘉らを輩出。わがサークルは87年には園子温監督が86、87年に連続入選。91年はこの「ほがらかな金魚」など二作品が受賞するなど隆盛を極めたのでした。

「ほがらかな金魚」は大学の後輩、岡元洋君の監督作。人間の死をドライにみる若者の姿を描く群像劇。トイレの洗面台で、でき死する青年をきっかけに、たくさんの死が起こります。

以下はPFFの<ストーリー紹介>より

強引なマイウェイ娘、のり子。彼女に振りまわされっ放しの主人公、守。そして風変わりな友人たち。鈴木は何にでも唾を吐くので嫌われている。守の親友の一郎はホモで、守が好き。一郎のガールフレンドの直美は何でもマニュアル通りにしか行動できない。常に彼らは「何か面白いことないかなぁ」と呟くばかり。仲間の浜田がトイレの洗面器で入水自殺したことにも全く動じない彼らにとって、「死」なんてただの絵空事。けれど彼らも見入られたように、次々と自殺ゲームの主人公になっていく。最後まで生き残れるのは誰?個性豊にデフォルメされた登場人物たちが、無気力・無感動・厭世感が蔓延する当世の若者気質をクールに映し出し、不条理だがリアルな青春群像を活写した。

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中身はシリアスなんだけど、どこかおかしい。伏線の張り方も巧み。けっして見やすいといえない8ミリフィルム作品ですが、約80分間、最後までみせます。

役者陣は全員見知った連中ですが、なかなかうまい。特に、アンニュイなヒロイン役はよかったなぁ。退屈さにかまけて、人を貶めていく。しかし、罪の意識のかけらもない。

不条理な犯罪というと、「異邦人」なんかを連想しますが、あっちには「太陽がどうした」という理屈がまだありますが、「ほがらかな金魚」はさらに不条理だなぁ。

時はバブル末期。劇中でも、日経平均株価が出てくるのですが、23,000円!(今は10,000円を超えると、ニュース)

登場人物は没交渉で、自分勝手。軽チャー、新人類の存在がクローズアップされた時でもありました。

その時代の空気みたいのが伝わってきます。

岡元君が今、青春映画を撮ったら、どんななんだろう。見てみたい。

劇場で大学時代の友人と5年ぶりに再会しました。

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2008年11月17日 (月)

「G・I・ジェーン(G.I.Jane)」★★

G I Jane Promo Trailer

「ブレード・ランナー」「ブラック・レイン」のリドリー・スコット最新作。主演はデミ・ムーア。ペンタゴンの情報部門に所属するジョーダン・オニール大尉(ムーア)は彼女の知らない政治的取り引きの結果、海軍のエリートである特殊部隊の特別訓練を受ける初の女性候補に抜擢された。しかし、男社会の伝統を頑なに守ろうとする将校は彼女を脱落させようと、拷問のような訓練と「女性であること」に対する敵意と反目で迎える。陰謀と裏切りが渦巻く世界で生き抜き、栄光と勝利を勝ち取るまでを描く。共演は「ある貴婦人の肖像」のヴィゴ・モーテンセン、「卒業」のアン・バンクロフト。2時間6分(日本ヘラルド映画)

●祝ラズベリー賞。これを糧に頑張れムーア

見事? 98年度ラズベリー賞を受賞したデミ・ムーア。「素顔のままで」で女優最高ギャラを獲得した紛れもないトップスターである。そして、この「G.I ジェーン」も全米NO.1を記録した。

日本の女性には彼女はどのように映っているのだろうか? 日本での興行成績の方はいまいちぱっとしない。「ゴースト」以降、ヒット作らしいヒット作は浮かばない。しかし、栄養剤「プロテイン」のCMに起用されているところを見ると、それなりの好感度の裏付けはあるのだろう。

女性のオピニオン・リーダーであるムーアが、この作品を撮りたかったというのは、容易に理解できる。

男社会の軍隊、そのトップの海軍特殊部隊「シールズ」の訓練プログラムに、女性が飛び込む話。

「ハリウッドでは女性映画がない」と嘆く彼女がやらないわけがない。彼女は自らが設立したプロダクションが出資、デミ自身もプロデューサーとして、2番目に名前を連ねている。

監督は「ブレード・ランナー」「ブラック・レイン」のリドリー・スコット。話はテンポがあるし、最後まで飽きずに見られる。女性が男性社会で勝ち抜くという中に女性対女性の構図も入っており、「女性万歳!」というだけのウーマンリブ映画になっていない。

弱点は、ヒロインの動機の希薄さ。訓練の厳しさは十分に伝わってくるのに、この訓練に耐え、実戦に行きたいのか理由が伝わってこない。「ぶっぱなしたかった」とヒロインは言うが、それだけではないだろう。

「鍛え抜けば、男女の個体差すらない」という肉体改造論は、そのままムーアの主張のように見える。ただただ圧倒されるだけだった。ムーアもいよいよ来るところまでに来たなという印象。ここまで来たら、次はシガニー・ウィーバーの後釜となって、「エイリアン5」に出るしかない。(98年1月31日、丸の内ピカデリー2ほか全国松竹、東急洋画系)

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2008年11月16日 (日)

「大安に仏滅!?」★★★★

「お日柄もよくご愁傷さま」に続く冠婚葬祭コメディ。サラリーマン生活30年、やっと我家を建てた主人公の西岡哲夫。ここから長女を嫁に出せると、充実感に浸るのも束の間。家は欠陥住宅だったのだ・・・。

出演:橋爪功、吉行和子、酒井美紀、金子賢、林知花。監督:和泉聖治。1時間47分(東映)

「お日柄もよくご愁傷様」の続編的なホーム・コメディ。「お日柄-」は仲人を頼まれた友人の子供の結婚式当日、祖父が亡くなり、結婚式と葬式を掛け持ちせざるを得なくなった男(橋爪功)とその家族のお話。

本作は、やっとの思いで新築の一戸建てを持ったサラリーマンが主人公。これで、娘(酒井美紀)を家から嫁がせることができると思っていたら、家は欠陥住宅。娘の結婚も婿側のトラブルでおかしくなってしまう・・・。

日本人の長年のテーマである住宅問題、家族、その自立、世代ギャップなどを織り込んで、若者から中高年まで楽しめる作品に仕上がった。

人生にはいくつかのヤマ場がある。入学、入社、転職、結婚、家を建てるなど・・・。その中でも、もっともドラマチックなのが「結婚」である。名匠・小津安二郎の世界テーマもずっと「結婚」だった。それは父親から見たもので、小津は「娘の結婚」を人生最大の喜びであり、悲しみととらえた。

そんな小津映画から綿々と流れている父娘の関係を描きながら、父と息子の関係もくっきりと見せる。父と息子は非常に微妙だ。男同士というのは、あるときを境にライバルへと変わる。

主人公は、ことなかれ主義で過ごしてきた。楽しみといえば、ゴルフ。夢は新築の我が家を持つことだ。そんな父親を見て、息子は「親父のようにはなりたくない」と誓い、コメディアンを目指す。2人には会話もあまりなく、たまに顔を付き合わせば、けんか。お互いがお互いを理解しようとしていない。それが、あることがきっかけで、2人して田舎に帰ったことで氷解してゆく。父親は自分の青春の夢を語り、息子(金子賢)も父親の歩んで来た道を理解する。

このドラマが描いているものは実に平凡でオーソドックスな世界だ。ただ、それが素晴らしく感じられるのは、ホームドラマへの回帰なのかもしれない。

社会はすさんでいる。最近の報道によれば、少年による犯罪は97年の50%増しという。新聞やテレビが単に騒いでいるだけでなく、統計的に実証されているのだ。世相を反映してか、テレビで見られる「ホームドラマ」というのも、激減しているように思える。中産階級の美徳は語られなくなった。そんななか、久々見たホーム・ドラマにホッとし、新鮮にも感じたのだった。

主題歌は矢野顕子の「ホーム・スイート・ホーム」。

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「ディアボロス 悪魔の扉」★★★

The Devil's Advocate - Official Trailer

キャッチコピー:魂を売るだけでいいんだよ

アル・パチーノ、キアヌ・リーブス共演のサスペンス・スリラー。フロリダ在住の弁護士ケビン・ロマックス(リーブス)はたとえどんな凶悪犯であろうとも、一度として弁護をいとわなかった。彼は明らかに有罪と分かる異常性格者の裁判に勝訴した後、ニューヨークの最高級法律事務所「ミルトン・チャドウィック・ウォーター」に招かれた。そして、法曹界でカリスマ的存在になった大物弁護士で経営最高責任者のミルトンの片腕として正式に採用される。彼が担当する事件は有罪としか思えない被告の弁護ばかり。ミルトンはぜいたくな生活をプレゼントすることで、ケビンの戸惑いを押え込んでいた。しかし、妻のメアア=アンはミルトンに巣食う悪魔を見抜いていた。ある日、彼女はミルトンにレイプされてしまう…。監督:テイラー・ハックフォード「愛と青春の旅立ち」「黙秘」。製作:アーノン・ミルチャン。出演:アル・パチーノ、キアヌ・リーブス。(日本ヘラルド映画)

題名「ディアボロス」は「DIABOLIC」(悪魔的な)という言葉を基に日本ヘラルド映画が考えた造語という。原題の「DEVIL'S AVOCATE」は「悪魔の弁護士」の意。

この世に悪魔が存在するとすれば、どんななのか。

悪魔を否定的に描くよりも、人間の虚栄とは何かを描く現代の寓話だ。パチーノの大げさな演技がコミカルで楽しい。パチーノは見るからに精力的でスケベそうで、悪魔のイメージにピッタリではないか。

舞台はニューヨーク。天に届くばかりの高層ビル郡はまさにバビロン。悪魔が生き場所と定めたのは、法曹界だ。人間が人間を裁く、微妙なパートはまさに悪魔の入る余地が十分にあるということか?主人公は元はフロリダの弁護士。女子生徒にいたずらをしたとして、訴えられた教師の事件で、見事に無罪を勝ち取り、ニューヨークの刑事事件専門のミルトン弁護士事務所からスカウトされる。8部屋ある豪華マンションに、高い給料。彼はその魅力にすっかり取り付かれる。しかし、何かがおかしかった。

彼の妻は異常に気がつくのだが、裁判に多忙を極める彼は、妻の訴えに耳を貸さない。ミルトンは人間の姿をした悪魔だったのだ。彼は有罪の人間を次々に無罪として、この世の支配を狙っていたというわけ。この後には恐れるべき真実が・・・。

「ザ・ファーム/法律事務所」ばりの展開だが、悪魔という古典的なな存在を現代的なアプローチで描き、法曹サスペンスとしての魅力を合わせたところが面白い。悪魔パチーノの演説は見応えある。 忘れてならないのがニュー・キアヌ・リーブス。この役のために減量し、痩せ過ぎっていうくらいスリムになった。ストイックなまでに自分の美学を貫く彼らしい行動である。(98年2月18日)

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「ピースメーカー(The Peacemaker)」★★1/2

The Peacemaker (1997) - Trailer

キャッチコピー:世界中の核は全てコントロールされているはずだった・・・

ドリームワークス第1回作品。監督:ミミ・レダー「ディープ・インパクト」。主演:ジョージ・クルーニー、ニコール・キッドマン。2時間4分(UIP)

スティーブン・スピルバーグ監督、ゲフィン・レコードのゲフィン、元ディズニーのカッツェンバーグの3人がタッグを組んだ映画製作プロダクション「ドリームワークス」の第1回作品。期待とは裏腹に、平均的サスペンス。監督はミミ・レダー。この作品で評価され、次回作には夏の大作「ディープ・インパクト」が控えているという。

盗まれた核兵器をめぐる特殊部隊の話。冒頭部分は説明不足で、犯人がユーゴのテロリストというのは陳腐。サスペンスの盛り上がりに欠ける。救いは主演のジョージ・クルーニー、ニコール・キッドマンが魅力的なこと。ますます美しくなったキッドマンの顔に見とれました。(98年1月15日)

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「エイリアン4(ALIEN RESURRECTION)」★★★★

Alien 4 - Resurrection (1997) - Trailer

あのレプリーが帰ってきた!主演:シガニー・ウィーバー、ウィノナ・ライダー。監督:ジャン=ピエール・ジュネ(ロスト・チルドレン)1時間47分(フォックス)

●人気シリーズにハマったジュネ・ワールド

人気シリーズとはいえ、3作品以上続くと、閉塞感が出てくるものだ。「ロッキー」シリー ズなどはいい例。オリジナルの持つ良さも歪められしまい、熱狂的なファンも背を向けてしまうほどの出来栄え。人気シリーズだから、当たるというのは映画会社の勝手な思惑に過ぎない。映画ファンの目はもっとシビアだ。

「エイリアン」の4作目を作るというとき、当初、シガニー・ウィーバーは難色を示したという。リプリーは3作目でエイリアンを道連れに自害した。これ以上何をできようか、と考えたのである。

伝統と新しさを求められた怪物ヒット作の新作に起用されたのは「デリカテッセン」のジャン・ピエール・ジュネ。グロでブラックな笑いを持った彼の映画は欧州では爆発的な人気を誇るものの、米国では受けるかどうかは疑問だった。なんと言っても、暗い。ハリウッドからはかけ離れた映画人という印象がある。

彼の起用はフォックス首脳部、ジュネ本人にとっても大きな賭けだったはずだ。

SFはアメリカが産んだニューカルチャーである。UFOを「発見」し、命名したのはアメリカ。宇宙旅行にも並々ならぬ執着を見せた。空想の世界、現実ともに先駆者であった。それを英語を話せないフランス人に任せようというのだ。(ジュネは撮影後には下町の人間が悪態をつくように英語を話せるようになったという)

しかし、それは杞憂に終わった。

ジュネはハリウッドのシステムにも慣れ、俳優たちとのコミュニケーションは概ね良好だったようだ。それらはウィーバーの表情にもよく現れている。彼女は4度目のリプリーを実に楽しんでいる。そして、ジュネは自分の世界を残しつつ、エイリアンの伝統を見事なまでに引き継いだ。キャストにはジュネ映画には欠かせないロン・バールマン、ドミニク・ピノンの2人を起用した。

ジュネらしいシュールなユーモアは健在だ。「エイリアン」ファンにはうれしいフェイスハガーに、エイリアンの出産、クイーンエイリアン、もちろん、新エイリアンも水中を泳ぐなど趣向が凝されている。ジュネはいまや、ハリウッドでもひっぱりだこらしい。いよいよ彼の「毒」が世界に回るのだ。楽しみである。(98年4月25日)

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「アイス・ストーム(THE ICE STORM)」(アン・リー監督)★★★★

●「虚空」があっても、家族は家に帰ってくる

The Ice Storm (1997)

「いつか晴れた日」で世界進出した台湾の巨匠、アン・リー監督作。97年カンヌ国際映画祭最優秀脚本賞受賞。舞台は70年代のアメリカ。郊外に住む典型的な中流家庭に起こる親同士の不倫、その子供たちの無軌道な愛の姿を描く。主演:ケビン・クライン(デーブ)、シガニー・ウィーバー(エイリアン4)、クリスティーナ・リッチ(ベスト・フレンズ)、イライジャ・ウッド。監督:アン・リー。原作: リック・ムーディ。全米97年9月、foxサーチライト配給。113分。(ギャガ)

《「ファンタスティック・フォー」の73年11月発売、第141号で敵の手で人間原爆に変えられた息子を、主人公は反物質兵器で攻撃する。この作品らしい設定だ。彼らはただのヒーローではなく家族であり、パワーが強ければ強いほど互いを傷つける。それが「ファンタスティック・フォー」のテーマなのだ。家族は「反物質」なのだ。人間は家族という虚空から生じ、死ぬとき、「虚空」に戻る。これは逆説的だ。絆が強いほど、「虚空」は奥深い。》

前段は主人公一家の長男のモノローグ。電車で帰路につく彼はコミック「ファンタスティック・フォー」を読みながら、そんなことを思う。「ファンンタスティック・フォー」は米国で人気コミックのひとつだ。宇宙線の嵐の影響で超能力を得た主人公4人が人類のために活躍するという話。ゴムのように体を変形することのできる「ミスター・ファンタスティック」と透明になる能力を持つ「インビジブル・ガール」は夫婦で、炎人間の「ヒューマン・トーチ」は「インビジブル・ガール」の弟だ。(怪力の岩石男「ザ・シング」だけが”他人”)。

テーマを引用によって語るのは、よくある手だが、それがアメコミというのは恐れ入る。このワンシーンで70年代という時代背景、少年がいるのが典型的な中流家庭だということ一気に説明してしまう。このジェイムス・シェイマスはこの脚本で第50回カンヌ映画祭脚本賞を受賞。リック・ムーディの原作がある以上、正確には脚色賞なのだが、やはり、シェイマスの手腕によるところが大きいだろう。

その脚本はさまざなところで巧妙な伏線を張っている。アン・リー監督作の「推手」 (91)「恋人たちの食卓」 (94)の脚本家で、2人はこれまでの家族の温かさを描く作風から一変、家族の影を鋭く描き出した。

ベン(ケビン・クライン)の一家は一見、幸せそうに見える平凡な家族。だが、ベンは隣家の妻ジェイミー(シガニー・ウィーバー)と浮気。妻エレナ(ジョアン・アレン)は精神不安定。長女ウェンディ(クリスティナ・リッチ)は早熟で、政治やセックスが関心事。隣家の少年マイキー(イライジャ・ウッド)と森でキスをしたり、セックスの真似事をしたりする。崩壊の寸前のところで均衡を保っている。

ベン夫妻と隣家の夫婦は嵐の夜に行われたパーティーに出席。そこで、エレナはベンの浮気の決定的事実を知ってしまう。そして…、別の場所ではもうひとつの悲劇が起こっていた。

後半、ベンの一家はそれぞれの秘密を知ることになる。ウエンディは父の浮気を、ベンはウェンディの無軌道な性を。秘密を知ることによって、家族の「虚空」は広がっていく。しかし、最後は家族は家族の元へと帰ってくる。それが冒頭からラストへつながる長男の帰郷シーンの意味なのだろう。

家族は崩壊寸前ながらも、長男を迎えに行くために車で駅に向かう。誰もが黙っている。ベンは無事に帰ってきた長男の顔を見て、思わず顔を被い涙する。その後、家族は愛を取り戻したかどうかは分からないが、ベンの一家は家族の意味を確認したに違いない。重いラストに、誰もが自分の家族を振り返るだろう。(98年9月26日、銀座テアトル銀座)

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2008年11月15日 (土)

「遥かなる帰郷(THE TRUCE)」★★★★

ユダヤ系イタリア人小説家プリモ・レヴィが1963年に発表した死の収容所アウシュビッツから帰還の記録を「シシリーの黒い影」「黒い砂漠」の社会派フランチェスコ・ロージが映画化。第2次大戦中、アウシュヴィッツでの過酷な収容所生活で言葉を失った男が母国イタリアに戻るまでの長い旅の間に、人間らしい感情、生の喜びを取り戻していく。

監督・脚本・脚色:フランチェスコ・ロージ

出演:ジョン・タトゥーロ「バートン・フィンク」

アグニェシカ・ヴァグネル「シンドラーのリスト」

ステファノ・ディオニジ「カストラート」

第50回カンヌ国際映画祭正式出品。イタリア、フランス、ドイツ、スイス合作。(日本ヘラルド映画)

98年のカンヌ映画祭の審査員賞はイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(ロベルト・ベニーニ監督)が受賞した。ユダヤ人収容所を舞台にした話だという。本作はその前年、コンペティション部門に出品された。内戦が続く欧州では、今も、戦争は大きなテーマである。近年でも、「大地と自由」(ケン・ローチ監督)、ユーゴ内戦を描く「アンダーグラウンド」が出品されたのが記憶に新しい。

 
 
悪名高きユダヤ人収容所「アウシュビッツ」。「シンドラーのリスト」などでも取り上げられている題材だが、この映画がほかの作品と違うのは、解放されたユダヤ人が家路につくという別の角度で、戦争、生きることを見つめているということだ。

冒頭、ロシア軍によって、壊された収容所の扉を前に主人公プリモは呆然と立ち尽し、そして、言う。「私たちは自由を得たということと同時に、これからどうしたらいいのかという不安に駆られた」。これらは体験した者でなければ、わからない感情だ。解放されたことで、逆に不安が生まれるとは、僕には想像できない。

彼はいったんは脱いだ囚人服を再び着て、祖国へと向う。主人公にはアウシュビッツの忌わしき思い出がこびりついた服を着ることによって、自分が今後生きる意味を見つけようとしている。この服がアウシュビッツで起ったことを我々に想起させる。

ジョン・タトゥーロは主人公の複雑な心境をシンプルでかつ、情感を押えた演技で見せる。それだけに、主人公が出会った人々の姿が際だち、その相乗効果で主人公という人間が見えてくる。

すべては金と割り切るギリシア人、男の武器を最大限に利用するしたたかなロシア人看護婦、期せずして、イタリア人難民をまとめることになり、四苦八苦する男・・・。戦後を力強く生きようとする人々の姿を、カメラのような冷静な目で人々をみつめている。それは、いかなるものも記憶して、後世に残そうという強い意志のようでもある。

彼がアウシュビッツについて、声高く主張するのは、ロシアの闇市だけだ。シャツを売る彼は、覚えたてのロシア語で値段を連呼するが、売れるどころか、人々は彼から遠ざかっていく。ある紳士は主人公に忠告する。「その服のせいだよ」。ジャケットの下からはアウシュビッツの囚人服とそのシンボルマークがはっきりと見える。

「なぜ避けるんだ。アウシュビッツは小さな子供や女が殺されていったんです。現実を見てください」

主人公の大きな声は逆に人々を遠避ける。
紳士は言う。
「みんな早く忘れたいんだ」

その言葉に彼は気落ちしながらも「記憶すること」「伝えること」を自分の使命と感じていく。

原作はプリモ・レーヴィのノンフィクション小説「休戦」。数々の文学賞に輝き、ベストセラーとなった。フランチェスコ・ロージ監督は87年に映画化を思い立ち、レーヴィに連絡した。彼は「人生の暗黒の部分に一筋の光を当てられた」と喜ぶが、その1週間後に自ら命を絶つ。遺書などはなく、いまとなっては理由は分からない。

映画で感じたのは、レーヴィの不器用すぎる誠実さ。レーヴィは内に秘めた悶々とした思いを解き放つことによって、自らの使命が終わったと感じたのかもしれない。(98年6月6日、シネスイッチ銀座)

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「スクリーム」(SCREAM)★★★★

●珠玉の脚本とクレイブンの小気味よい演出

監督は「エルム街の悪夢」のウェス・クレイヴン監督。ハイスクールで連続殺人事件が発生。次の犠牲者として標的にされたシドニーはボーイフレンドに救いを求めるが・・。

久々のホラーの快作。スリラーあり、ナゾ解きあり、ときにコミカル。古典的なホラーを踏襲しつつ、堂々とパロディを見せる。ホラーを知り尽くした脚本が珠玉だ。上映時間の1時間57分はあっという間。

カップルで盛り上がれる。久々の復活!”ET女優”ドリュー・バリモアを始め、ネーヴ・キャンベル、デビッド・アークエット、スキート・ウーリッチら若手スターも要チェックだ。

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2008年11月14日 (金)

「愛する」(熊井啓監督)★★

●時代錯誤の若者たち

 

原作は遠藤周作の小説「私が・棄てた・女」。ハンセン病と誤診され、診療所に送られたミツ(酒井美紀)。やがて、誤解は解けるのだが、強制隔離政策と人々の差別心情の実態を知ったミツは残ることを決める…。

新生・日活の第1弾は熊井啓監督が得意とする社会派ドラマと愛をミックスさせた青春ストーリー。原作のネガティブ・ワードを「愛する」としたのは、熊井監督の古巣・日活への愛情の現れなのだろうか。

脚本(熊井啓)は、原作の時代から設定を現代(97年)に変えた。2人が出会ったのは、東京の新デートスポット有明。コンサートの帰り、酒井は渡部が売っていた牛丼弁当を買う。このシュチュエーションで牛丼弁当を買う酒井もなかなかいないが、渡部のその後の台詞はもっとすごい。「車で”街”まで送っていこうか」。田舎に住んでいるのならともかく、有明にいて、「街」はないだろうと突っ込みたくなる。

その後、飲み屋でデートした2人。少し酔っ払った渡部は酒井を人通りのない「連れ込み宿」に導く。「泊まっていこうよ」と渡部という誘いに戸惑い、酒井は「嫌よ」と断る。「私、こういうところに来たことないもの」。原作の時代なら、こういう台詞も展開もあるだろう。しかし、映画が描かれるのは97年の東京だ。無理に現代に引っ張る必要はなかったのではないか。若者の風俗の描き方につまづいてしまい、イマイチ乗り切れなかった。

もう一つ、がっかりさせられたのは、ハンセン病についての現状と歴史を岸田今日子に語らせてしまう場面。説明せりふは最後の最後の手段。それなら、タイトルバックの後の文字で「ハンセン病とは・・・」とやってくれるほうがスマートだった。こうした欠点はあるが、話にはテンポもある。初主演の酒井も頑張っている。(97年10月4日、シネマスクエアとうきゅう公開)

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