« ロルバーンに浮気 | トップページ | 検見川送信所を知る会@検見川小学校 »

2007年11月 6日 (火)

吉田拓郎が居候した検見川・広徳院

検見川送信所の設計をしたのは、東京中央郵便局など逓信建築の父として知られる吉田鉄郎さん。もう一人、検見川ゆかりの意外な吉田さんがいる。

それはフォーク歌手の吉田拓郎だ。

当時20歳だった拓郎は1966年、カレッジフォークブームを受け、バンド活動と平行してソロでフォークスタイルの活動を始めた。外国のフォーク、ロックの歌手達が古い民謡をカバー。こういった曲を集める民謡収集家なる仕事があることを知り、フォークの研究も兼ね、秋、再び家出し単身上京。 (ウィキペディアより)

友人に「東京近辺で民謡が聞ける所は千葉」と聞き、京成電鉄に乗り、なぜか検見川駅で下車した。きっと車窓から見えた風景に、何かひらめくものがあったに違いない。

その時に半年間、お世話になったのがここ広徳院(真言宗)だ。その場所の歴史は木を見るといい。写真の左に写っている銀杏は立派だ。手前にもあるが、ともに保存樹木だった。創建は774年。戦前は毎年3月16日になると、祈願祭のようなものが行われ、露店も出るにぎやかさだったという。


写真は先日、検見川公民館が主催する史跡散歩「けみがわの歴史探訪入門」に参加したときのもの。年配者が多く、唯一30代の僕ははっきりいって浮いていた(笑)

拓郎はここでデモテープつくりなどをしていたようだが、墓守の仕事が怖くて、結局、東京に戻ってくる。ここでの寄り道の結果、大学には5年間通うことになった。20歳の拓郎は何を思ったのだろうか? 

その頃は送信所も操業していた。空高く建つ鉄塔を見て、あの場所はなんだろう? と好奇心に誘われて見に行ったのではないだろうか?吉田拓郎と吉田鉄郎建築の対面もあったと思う。

今は頑強な局舎だけが自分の力で建っている。


2007/11/4撮影

送信所跡には広いスペースがある。ここでライブをやったら、面白いだろうな。

未来へ残そう 過去の財産
ほぼ満月ただの月見@検見川送信所

日本初の国際放送77周年記念イベント「ほぼ満月ただの月見@検見川送信所」は10月27日(土)午後3時、千葉市花見川区・新検見川駅近くの「はなのわ広場」で無事終了しました。

イベントの様子は11月14日(水)の「ニュースC−master(ニュース・シーマスター)」(月〜金曜、夜9時から9時55分)で 約10分間、特集されます。千葉近県の方はぜひ見てください。

「検見川送信所を知る会」では仲間を募っています。入会していただける方はこちらのメールフォームから「入会希望」と明記の上、

お名前(ふりがな):
ご住所:〒
電話番号:
メールアドレス:

をお知らせください。

メールマガジン「検見川送信所J1AA通信」を購読していただける方は以下のURLからお申し込みください。
http://www.mag2.com/m/0000246340.html
バックナンバーも読めます。

検見川送信所についてはここで過去記事をまとめています。

musenhozon.jpg

日本初の国際放送を行うなど日本の通信に大きな貢献をした近代化遺産・検見川送信所が取り壊しの危機にあります。これを保存、再生できないかを考えるプロジェクトです。

賛同してくださる方は以下のソースを貼り付けてください。
<a href="http://moleskine.air-nifty.com/photos/kemigawamusen/" target="_blank"><img src="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/47/0000060947/20/img2159e7f1zik6zj.jpeg" width="170" height="60" alt="musenhozon.jpg" border="0"></a>


楽天で自転車を探す









去年の日記は?


2006/11/6 ちょっと早いクリスマス・イルミネーション(2)



|

« ロルバーンに浮気 | トップページ | 検見川送信所を知る会@検見川小学校 »

検見川送信所」カテゴリの記事

コメント

TITLE: Re:吉田拓郎が居候した検見川・広徳院(11/06)
SECRET: 0
PASS:

こんばんは。

吉田鉄郎さんの名前を拝見した時、正直吉田拓郎さんの名前を思い浮かべました。

こんな共通点があったのですね。

よく調べましたね。

先ほどのニュースで千葉の男性(37歳)が飛び降り?自殺者の女性の被害で重体というのを見て心配した次第です。

まさか・・・じゃないですよね。

投稿: アンビンバンコ | 2007年11月 7日 (水) 00時20分

TITLE: Re[1]:吉田拓郎が居候した検見川・広徳院(11/06)
SECRET: 0
PASS:

アンビンバンコさん

>こんばんは。



こんばんは。



>吉田鉄郎さんの名前を拝見した時、正直吉田拓郎さ>んの名前を思い浮かべました。



>こんな共通点があったのですね。

>よく調べましたね。



僕は調査能力には自信があるのですが(笑)、これはソフィアさんがコメントで書いてくださいました。地元では有名な話なのか、別ルートからも聞いていました。



>先ほどのニュースで千葉の男性(37歳)が飛び降>り?自殺者の女性の被害で重体というのを見て心配>した次第です。

>まさか・・・じゃないですよね。



ご心配かけましたが、無事生きています。まさか人が降ってくるとは思いませんよね。迷惑な話ですね。

投稿: 久住浩 | 2007年11月 7日 (水) 00時56分

TITLE: Re:吉田拓郎が居候した検見川・広徳院(11/06)
SECRET: 0
PASS:

広徳院の創建は774年なんですか?その頃は、奈良時代で平城京とか言っていた時代です。その頃、あの辺りはどんなだったのでしょう?空海が真言宗を開いたのが806年とあるので宗派を変えたのかな?

今度、住職にお話を伺ってみましょう。



私はお墓を拝見するの、結構好きです。

その地域の方たちの生活や生死感が現れる?

ニューオリンズの墓地、ウイーンの墓地、高野山の墓地、実家の墓、嫁ぎ先の墓・・・さて私はどうなるのか?



若き日の吉田拓郎は何を思ったのか?20才の拓郎は人生には限りがある事、死は誰にでもいつか訪れる事を深く知ったのかも知れませんね。



そういえば、その頃私は赤ちゃんだったのでした。広徳院で拓郎さんとすれ違っていた事でしょう。


投稿: ソフィア | 2007年11月 7日 (水) 10時26分

TITLE: Re[1]:吉田拓郎が居候した検見川・広徳院(11/06)
SECRET: 0
PASS:

ソフィアさん

>広徳院の創建は774年なんですか?その頃は、奈良>時代で平城京とか言っていた時代です。その頃、あ>の辺りはどんなだったのでしょう?空海が真言宗を>開いたのが806年とあるので宗派を変えたのかな?

>今度、住職にお話を伺ってみましょう。



これは検見川公民館が作った資料に書いてありました。しかし、宗派の時期が合いませんね。おかしいですね。



正式な名称は「覚王山中台寺広徳院」というそうで、「院」は寺の一郭をさす、とか。ご本尊は大日如来ですが、同時に海の災害除けの浪切不動尊も祀っているそうです。



>私はお墓を拝見するの、結構好きです。

>その地域の方たちの生活や生死感が現れる?





なるほど。墓までは目がいきませんでした。



>若き日の吉田拓郎は何を思ったのか?20才の拓郎>は人生には限りがある事、死は誰にでもいつか訪>れる事を深く知ったのかも知れませんね。



拓郎はガンを患ってから体の調子がよくないですね。心配です。



>そういえば、その頃私は赤ちゃんだったのでし

>た。広徳院で拓郎さんとすれ違っていた事でしょ>う。



そうでしたか。僕はまだこの世に誕生していませんでした。



歴史探訪もいいですが、こうした現代の人との絡みが分かると、より身近に感じますね。

投稿: 久住浩 | 2007年11月 7日 (水) 16時20分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/153718/40736996

この記事へのトラックバック一覧です: 吉田拓郎が居候した検見川・広徳院:

« ロルバーンに浮気 | トップページ | 検見川送信所を知る会@検見川小学校 »