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2008年2月25日 (月)

「検見川送信所〜past,now,future〜」プロダクションノート

「送信所ナイト」でお配りした冊子の中に入れた僕の文章を転載します。



農薬ギョーザ事件、ネット掲示板に載った小学生の殺害予告、イージス艦と漁船の衝突事故。千葉をめぐる事件が続出しています。こうしたニュースに触れるたびに思うことは、想像力の欠如です。ギョーザに農薬を入れたらどうなるか、掲示板に「千葉の女子小学生を殺しちゃいます」と書き込んだら、どうなるのか? 前に漁船があるのに、直進したらどうなるのか? 少しばかり想像力を働かせれば、事件は起こらなかったのではないでしょうか? こんな想像力は特殊なものではなく、誰でもが持っている範囲のものだと思います。人々はそんなことが分からなくなるほど無関心になってしまったのでしょうか? そんなことはないと思います。

 私たちの会を「検見川送信所を知る会」と称したのは、文字通り、送信所に関心を持っていただきたい、という思いです。もちろん、保存、利活用したらよいのではないか、という気持ちはありますが、まずは知っていただくことが大事なのではないか。保存、利活用はその先に自ずと見えてくるはず、と考えたからです。

住宅地の真ん中にポツンとあいた空き地。そこに建っている建物「検見川無線送信所」。
私が最初に出会ったのは昨年8月のことでした。

とても印象的でした。この建物は今も、何かを発信しているのではないか。そんな風に思えたのです。ここで働いていた人はどんなだったのだろう? ここでどんなドラマがあったのだろう? そんな興味から、いろいろ本やネットで資料を調べました。吉田鉄郎という大正、昭和を代表する建築家が設計し、日本初の国際放送が行われたということを知りました。廃虚になった経緯には、送信所が行っていた短波通信が一定の役目を終えたこと、近隣に住宅地が増え、電波妨害などのトラブルがあったこと、労使間の闘争があったこと、都市計画が後手に回ったことなど様々な要因、事情があることも分かりました。

この建物は意志を持って残ったのではなく、残された、忘れられた存在でしかなかったのです。ここにも、無関心という問題があったのかもしれません。

しかし、非常に価値のある宝物のような建物が残ったのは幸運な出来事だと思います。崩落している部分はあるものの、頑強な造りのようです。修復したら、地域に役に立つものになるでしょうし、町のシンボルにもなる。廃虚から文化遺産に変身したら…。そんな風に想像をふくらませていくと、痛快な気分になりました。

個人がどんなに動いても無理な話ですが、みなさんがそう思ったら、現実になるのではないでしょうか。

障害は山ほどあります。送信所は都市計画の中に入っています。計画を変えることは難しいことだそうです。仮に、千葉市が文化遺産だと認めても、修復するお金はどこにあるのか?千葉市、千葉県も豊かな財力があるわけではないでしょう。さらに、修復できた場合、どのように建物を維持、運営していくのか? それらはひとつひとつ、知恵を集めて解決していくしかないと思います。

 送信所を利活用することは大変意義のあることだと思います。先人の努力を敬い、再建し、今の私たちが活用し、子供たちに遺産を託す。そんなことが市民本位で実現できたら。それには、産業考古学会の方がおっしゃっているように、市民、専門家、政治家の力が大切だと思います。

きくちさんによるCGパースを基にした映像「検見川送信所CG再現〜past,now,future〜」は、そんな思いをこめて、制作しました。



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