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2008年4月12日 (土)

消えた軍用線路をゆく~作草部・下志津間

昨年7月、「消えた軍用線路をゆく」と題して、千葉~津田沼間の軍用線路跡をサイクリングしました。今回はその続編です。

ロードバイクで作草部~四街道をつなぐ「下志津線」を走りました。


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下志津線は第1鉄道聯隊と四街道・下志津にあった軍事施設を結ぶ。千葉~津田沼間が本線と言われるようですが、完成したのは下志津線のほうが先。明治44年(1911年)7月のことでした。四街道の在住の方によると、その存在はほとんど知られていないようです。


昭和初期の地図。都賀の文字の右を縦に走るのが幻の下志津線だ

廃線を歩くのが好きという方もいらっしゃいますが、今回は線路が跡形もない道を走るという試みです。線路跡は道路になっていることが多く、サイクリングで走れるというわけです。

さて、バーチャルな旅を一緒に楽しみましょう。


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スタートは千葉都市モノレール「作草部駅」近くにある作草部郵便局。右側に走っているのが軍用線路の跡です。

狭い? 確かに狭いです。車がすれ違うのは難しいでしょう。それこそが軍用線路の特徴なんです。軍用線路の軌道は軽便(けいべん)と呼ばれるもので、わずか約60センチだったのです。それゆえ、旧軍用線路跡を「軽便道路」と呼ぶ方もいらっしゃいます。


敷設の様子。左側が普通の線路、右側は軽便用の軌道

ここは地図でも、はっきりと痕跡を確認することができます。左に進むのが、車庫。右に進むのが下志津線。


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地図のフレンズハイツの左側の道路が下志津線跡です。しばらくすると線路跡が途絶えますが、その先に道路が見えますね。


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ここを写真で見ると、こんな感じです。まるでポールが線路を再現しているようです。

ここでまっすぐ進むのが津田沼に行く路線。下志津線は右に折れる形になります。

今は住宅がある場所ですが、かつてはこんな機関車が走っていたのでしょう。想像して見てください。

作草部周辺は戦時中、右に気球聯隊、左に歩兵学校がありました。千葉が軍事を中心に発展した歴史が伺えるでしょう。

歩兵学校は公園のところに石碑があるだけですが、気球聯隊の建物は企業の倉庫として現在も残っています。戦時中の最大級の建築物といって間違いないでしょう。

右に折れると、2車線道路となって続き、京葉道路の下をくぐって、坂をあがります。坂の途中には、モノレールの検修庫が見えます。

道が狭いことでそれと分かる作草部周辺とは違って、以降の道路には、鉄道があった痕跡はまったくありません。

みつわ台の裏を走る道路は途中でパタリと途絶えます。「!」マークをおいたところがそれに当たります。このため、そこから先は千葉市図書館で探した地図などを頼りに描いています。しかし、痕跡がないということこそ、痕跡だったのです。

つまり、明治時代に完成したこの周辺の下志津線は、下志津飛行場などの建設のために大正12年に撤去され、路線を変更したのです。だから、線路跡があるわけはないのです。そして、新しい路線には「殿台新田」という駅ができ、終着駅になりました。

サイクリングは痕跡なき道をたどっていきます。下志津飛行場跡は現在の自衛隊駐屯地となっています。これも軍都・四街道の名残と言っていいでしょう。

道は再び復活しますが、道路は特に目を引くところのない生活道路になります。現在の愛国学園短大の辺りは「野戦重砲四」とあり、部隊があった場所のようです。愛国学園の前の道路はわずかに、軽便道路の面影を感じることができます。

愛国学園短大には当時の門が残されていますが、今回は撮影をし損ねました。

先日、四街道のトーチカを紹介しましたが、このトーチカ跡は愛国短大から、そんなに遠くない場所にあります。一番上の地図で示した家マークがそれです。トーチカ近辺は六方野と言われ、陸軍練兵場だったそうです。

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コメント

軽便鉄道・下志津線、四街道に入ってすぐの所に前回
検見川送信所見学会に同行した知人の印鑑店があり、
その店の裏の道を通ったと思います。軽便鉄道はすぐ
脇を通っていたそうです。私が子供の頃はまだ枕木が
残っていましたが戦後の燃料等、物資の不足の為に
薪になってしまったようです。

現在の愛国学園、昔は木造の兵舎をそのまま校舎に
転用した千代田中と云う中学校で私の母校でした。
趣きのある煉瓦の正門は戦争中に米軍機の機銃
掃射を受けて門番の兵隊さんが撃たれて亡くなっ
ています。現在は補修されているかも知れません
が私が学生の頃は門柱に弾痕が残っていました。
昔から、また近年でも兵隊さんの幽霊話が噂され
る所です。愛国学園前の四街道公民館の土手と
煉瓦の裏門は当時の姿です。土手に沿って何本か
ある松の大木の根本には戦争末期に松脂を採取し
たキズ痕が残っています。

投稿: かっぱ画人 | 2008年4月13日 (日) 15時04分

かっぱ画人さんへ

お友達のお店はまさに軽便道路のすぐ近くですね。地図で確かめました。

昔は枕木って、そこら中にあったんでしょうね。今なら、ホームセンターでアンティーク材として高く売れるかもしれません。

現在の千代田中は随分離れていますね。移転にしても、距離があるように思えます。

>私が学生の頃は門柱に弾痕が残っていました。

以下、貴重な情報ありがとうございました。

今度、確認してきますね。

例のトーチカですが、千葉市図書館にある四街道の本をあたったのですが、見つかりませんでした。四街道の図書館を当たってみます。

投稿: 久住コウ | 2008年4月13日 (日) 21時03分

現在の千代田中は別物で無関係です。
当時の千代田中は(当時の四街道は千代田町でした)
後に四街道中になり、現在イトーヨーカドー四街道店が
ある場所にありました。
(四街道中は今は駅の反対側に移転)

四街道の図書館に来られるのでしたら
図書館裏手のルボン山、(大土手山)に
登ってみたらよいでしょう。

イトーヨーカドー屋上の駐車場からも
下志津原が一望できます。

先日、飛行学校時代の外国人設計と云われる
旧い飛行機の格納庫の写真を撮ろうと
下志津自衛隊まで出掛けましたが格納庫は
取り壊されていました。
残念な思いです。

投稿: かっぱ画人 | 2008年4月13日 (日) 22時28分

かっぱ画人さんへ

千代田中はまったくの別物。合点が行きました。ルボン山も、次回の散策ポイントにいれます。ありがとうございます。

昔の四街道を見ると、繁華街のほかは見渡す限り、原野ですね。特に下志津と呼ばれる地域が予想以上に広いことに驚かされます。

トーチカは戦時中は演習場のど真ん中にあった感じですね。遠近近くに住んでいる方は、トーチカの存在を知らないという意味は分かりました。みなさん、戦後にやってきた方ばかりなんですね。

投稿: 久住コウ | 2008年4月14日 (月) 02時07分

興味深く読ませていただきました。
僕もこういう歴史に思いをはせる内容には関心が強いです。
自転車ですと、廃線跡をたどるのに最適ですね。歩くと時間がかかるし、車だとちょっとしたランドマークを見過ごしてしまうし……。
考えてみれば、検見川送信所も元々は久住さんが自転車で軍用鉄道跡を探ったことがきっかけでしたよね!

またレポートを楽しみにしています。

投稿: まさやん | 2008年4月14日 (月) 08時17分

>まさやんさん

>興味深く読ませていただきました。

ありがとうございます。

>僕もこういう歴史に思いをはせる内容に
>は関心が強いです。

特に鉄道はどこかに”痕跡”は必ずありますね。

>自転車ですと、廃線跡をたどるのに最適
>ですね。歩くと時間がかかるし、車だと
>ちょっとしたランドマークを見過ごして
>しまうし……。

軽便に限って言うと、非常にスピードの遅い機関車だったようですね。軌道も狭いですしね。おそらく自転車とあまり変わらなかったのでは、と思っています。

>考えてみれば、検見川送信所も元々は久
>住さんが自転車で軍用鉄道跡を探ったこ
>とがきっかけでしたよね!

そうなんです。僕の中では、検見川送信所と軍用鉄道跡は切り離せないものなんですよ。

>またレポートを楽しみにしています。

既に1個仕込んであるので、近く披露しますね。

投稿: 久住コウ | 2008年4月14日 (月) 09時14分

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