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2008年4月25日 (金)

昭和初期の風景印に見る検見川送信所

先週より、ずっと体調不良だったのですが、ここに来てようやく具合がよくなってきました。

かっぱ画人さんの息子さんより、以下の実物が送られてきましたこともあり、ちょっと元気復活です。

「昭和初期のはがき」。写真はその一部抜粋です。

検見川送信所と海水浴の風景が刻まれたもので、「風景印」と呼ばれるものだそうです。僕の小学生時代は切手ブームで、多少、コインや切手を集めていた時期はありますが、「風景印」の存在は正直、知りませんでした。

右側から「千葉 検見川」と読めます。「9.8.14」は日付ですが、これも右から読むのでしょうか?それとも左から?

検見川送信所は昭和5年10月に日本初の国際放送に成功。この活躍により、その名を日本にとどまらず世界にも知らしめることになりました。そうした時代的な背景を考えると、「昭和9年8月14日」というのが腑に落ちる気がします。こんな風に自問自答したのですが、図書館で調べた結果、数字は左から読むのだと分かりました。

※参考にした本

以下は「風景印」についての記述。ウィキペディアからの引用です。

1931年(昭和6年)7月10日より、富士山局と富士山北局で使用が始まったのを嚆矢とし、ピーク時には1200局以上で使われた。 地域も幅広く、関東州・樺太・朝鮮・台湾・南洋など、当時の日本の統治下にあった地域のほとんどで使われていた。 通常の消印とは異なるが、日中戦争時の野戦郵便局でも使用されている。 当時は観光地中心に配備され、形状についての規定が緩やかだった。

だが、戦火が激しくなりゴムが不足してきたため、1940年11月15日限りで使用を中止した。

風景印は一度使用が始まると永続的に使い続けられるそうで、コレクターは使用開始の初日の「初日印」を集めるのだそうです。これも「初日印」ということです。風景印はその土地の史跡、名産物をデザインするもので、稲毛局も検見川局も、上記の風景印が使われていたと聞きました。(※ちなみに、稲毛局は1978年から現在の風景印が使われているようです)

こうした事実を考えると、昭和初期の検見川送信所は千葉を代表するシンボル的な存在だったことが分かります。

musenhozon.jpg
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