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2008年7月14日 (月)

浜口雄幸首相が語る~日本初の国際放送(1)

検見川送信所は1930年10月に日本初の国際放送を行った。日米英で結ばれたロンドン海軍軍縮条約を記念した交歓放送だった。

この交歓放送の言い出しっぺはアメリカ。海外放送の実績ゼロだった逓信省はこの話を受けるべきか、受けざるべきか悩む。逓信省の幹部は当時検見川送信所所長だった菊谷秀雄氏を本省に呼び出し、技術的に可能か否かを聞いた上、ゴーサインを出した。

詳しくはドキュメント小説「1930年10月のスパイダーズ」に。

時の首相は浜口雄幸。その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた浜口内閣の登場は「国民的喚起を受くるに充分である」と昭和4年7月3日付の報知新聞は報じている。

浜口首相は昭和3年1月1日から亡くなった年の昭和6年6月23日(月)まで日記を書き残しており、時間を見ては随感録なるものを書き連ねていた。日記は健忘帳的なものだが、時の首相がどのように世の中を見ていたのかが読み取ることができる。

浜口首相は電波という当時のニューメディア「ラジオ」を使って、世の中を治めようとした最初の首相ではないかと思う。最初にラジオに登場したのは、国際放送の前年昭和4年8月28日。当時、財政再建が政治課題になっていた。浜口は「全国民に訴ふ」というリーフレットを作っており、「経済難局ノ打開ニ就テ」という演説を行った。この結果、金解禁が決行されるなどラジオの力が大きいことを知っていたのではないか、と想像できる。

また、逓信省との関わりで言えば、明治41年の第二次桂太郎内閣時には、当時、逓信大臣になった後藤新平の計らいによって、逓信次官のポストが用意された。次官といえば、実務レベルの最高職。しかし、専売局局長だった浜口は申し出を蹴る。組織改革に力を入れていたときで、それが実現できていないうちに、名利を求めるのは筋違いだろう、という考えだった。

逓信大臣だった後藤はあきらめず、浜口は大正元年12月、第三次桂内閣の時に逓信次官となる。しかし、翌2年2月に同内閣は総辞職となり、浜口も退職する。逓信勤めはわずか2か月ちょっとでしかないが、実はこれが大きなターニングポイントになっている。長きに渡る官僚生活にけじめをつけ、政治家を目指すきっかけになった出来事でもあった。これがなかったら「政治家・浜口雄幸」は誕生しなかった。

浜口は生真面目な人物として評される。短い逓信勤めの中でも、逓信がこれから果たす役割についてはイヤというほど勉強したことであろう。米国側からの交歓放送の申し出を、どう浜口が見たのかは分からない。しかし、政治課題としていた軍縮の成功を祝う国際イベントに「NO」という理由はなかったはずだ。

軍縮条約が動いた10月の日記はさすがに書き込みが多い。ロンドン海軍軍縮条約は昭和5年10月1日(水)、枢密院本会議で可決。翌2日(木)に日米英で批准となる。ラジオ放送の記述は10月24日(金)の部分で登場する。

「軍縮放送演説原稿成ル。」と。

記念すべき国際放送当夜の日記は以下の通り(原文ママ)。


十月二十七日 月

○軍縮演説放送。
○本日正午莫国外務省「ロカルノ」ノ問二於テ日、英(アイルランド自由国ヲ除ク)、米三国ノ海軍条約批准六方託式ヲ挙行セラル (日本時間午後九時)。
 午後八時二十一分京都発急ニテ帰京(四時五十五分)、賀陽宮恒憲王殿下御同車。
 午後十ー時十分官邸ヲ出テ愛宕山ノ放送局二赴ク。十一時五十分ヨリ軍縮演説放送ヲ始ム、八分ニシテ終ル。次テ米大約帽フーヴアー[Herbert C. Hoover]、之二次テ英首相マクドナルドノ放送アリ。最後二松平大使ノ自分ノ演説通訳放送アリ。外国ヨリハ雑音多ク、余り明瞭ニハ聞キ取レ難カリシモ、始メテノ試ミトシテハ先ツ先ツ成功ト云フヘシ。凡テヲ終了シタルハ十二時三十分ヲ過テ、就寝一時ヲ過グ。
 自分ハ今夜ノ放送ヲ以テ一ト先ツ海軍々縮問題ノ結論ヲ着ケタリ。尚残ル所ハアイルランドノ批准ニ依テ生スル条約効力発生及補充計画ト減税計画トノ予算決定ノ件ナリ。



読みにくいので、簡単に書くと、外国からの受信は聞きにくかった。しかし、初めての出来事なので、まずまず成功だろう、というのが首相の感想である。

聞き取りにくかった、ということだが、これには検見川送信所は関与していない。受信に関しては埼玉にある岩槻受信所(現存せず)の役目だった。受信所がアンテナがよくなかったのか、英米の送信状態が悪かったのかは不明である。

また、この国際放送の意味を、軍縮問題に決着をつけたもの、としている。この証言で分かるとおり、検見川送信所が成し遂げた役割は大きい。送信所はひとつの時代の証人といっていいのだ。

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