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2008年7月 8日 (火)

アンリ・カルティエ・ブレッソンの3冊

アンリ・カルティエ・ブレッソンはライカの最も偉大な使い手であった。

日本人による、この伝記は著書プロフィールが一切、載っていないという不親切な本だが、著者はNHK出身。数度、取材を通じて、晩年のブレッソンにも会っている。生い立ちから全盛期の評伝の部分は、参考文献による抜き書きとなるが、インタビュー部分では生き生きとブレッソン像が伝わってくる。

ブレッソンは写真家ながら、自身は写真に撮られることを嫌っていた。彼が得意とするスナップショットにおいては「透明人間」になることが大事であって、「あ、ブレッソンがいる」と相手に悟られては具合が悪かったからだ。

彼は70年代、写真を捨て、元々、志していた画家に戻ると、デッサン画を手がけた。この頃になると、ブレッソン自身が写った写真も多く、彼自身も自画像を発表している。(「アンリ・カルティエ・ブレッソン写真集大成」)

彼は「写真はデッサンにすぎない」と言ったが、その表現方法に違いこそあれ、目指しているものは同じだったようだ。そういえば、画家にも写真愛好者は多く、なるほどと思える部分はある。ブレッソンとも親交があったボナールも結構な数の写真を残している。その構図においては写真も絵画も共通部分があり、ブレッソン自身は何よりも構図に重きを置いた。また、生涯、カラー写真を撮らなかったという事実も面白い。「白黒は抽象的であり、選択の可能性を残すことになる」という風に説明している。

画家に転向した後も、ライカを手放したわけではない。出かけるときはM4か3Gにレンズはエルマー50mm。50mmレンズは人間の目と同じ視野と言われており、ブレッソンにとっては目の延長であった。99年のインタビューでは「90mmも持っているが、こちらは風景用」と話している。


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ライカマニアは機材への興味に走ってしまうが、ライカの神様は実にシンプルな機材構成で神業というべき写真を残していた。

インタビューの終わりも印象的な言葉で締めくくられる。

「あなたの仕事をルポルタージュだという人がいるが、本当ですか?」と聞かれ、「ルポルタージュ…、いや、証言だ」とブレッソン。
Q「仕事の目的は20世紀の証言ですか?」
「そんなことはどうでもいい」
Q「では、それは結果ですか?」

「私は生きている、それだけのことです」

こちらはブレッソン自身の文章、言葉をまとめたもの。スナップショット術を垣間見ることができる。やはり、構図への言及は細かい。
「私たちは絶えず構図を頭に描いている必要がある。けれど、シャッターを切るときは直感だ」などと書く。

やはり、同書にも含蓄のある言葉が並んでいるが、印象的なものを抜粋する。

私は経済学者でも、歴史的建造物の専門家でもない。ましやジャーナリストでもない。私が絶対にそうありたいと願うのは心を配る人間だ。(中略)

カメラはものごとのなぜに答えるのに適した道具ではない。むしろ、その問いかけに喚起するものだ。うまくすると、カメラ特有の直感で、質問すると同時に答えを出してくれる。だからこそ、カメラを手に、そんな「偶然のシャッター・チャンス」を求めて、私はあえてあてずっぽうに歩き回ってきたのだろう(1973年)

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