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2008年8月 9日 (土)

長崎原爆の日、爆心地を歩く


(GRD2 f8 1/290s ISO100)

8月9日午前11時2分、僕は長崎の爆心地にいた。帽子を取り、黙祷を捧げた。

この日、ピースウォークに参加。1本柱鳥居、長崎病院の爆風で傾いた門、被爆クスノキなど今も残る原爆の傷跡を歩いた。

ジローズが「戦争を知らない子どもたち」を歌ったのは1971年。僕は3歳だった。「戦争を知らない子ども」は40歳になった。僕よりも若い人たち、例えば、僕の娘は「さらに戦争を知らない子ども」ということになる。どんどん戦争が遠くなっていく。それはそれで幸せなことだと思う。つまり、日本は平和ボケできるくらい平和ということなのだ。

僕は長崎に特別の思いがある。

僕の父方の祖父は昭和初期まで長崎にいた。もし、1945年8月9日、僕がさっきまで立っていた場所近くにいたら、僕の父も、僕も、僕の娘も、この世にはいなかった。

長崎滞在中、被爆された77歳の男性の話を聞いた。当時、14歳、市内の中学校にいた。爆心地近くの自宅は倒壊していたものの、母親、2人の妹は無傷だった。一方、三菱の工場にいた父親は顔、腕にひどい大やけどを負った。しかし、2週間のうちに、母親、妹が相次いで亡くなり、祖母さえ諦めるほどの重傷だった父親は次第に回復し、仕事にも復帰できるようになったそうだ。しかし、その父親も16年後に肺ガンで亡くなった。肺ガンと被爆の関係は分からない、という。

戦争体験者には2つのタイプがある、という。戦争を語る者と、その凄惨な体験がゆえに口を閉ざす者。広島、長崎では平和運動が盛んだが、原爆を語る人が多かったわけではない、と聞く。被爆者の方はそれだけで大変な思いをされたわけだが、外見や結婚などでも差別を受けた。あえて語ることはしたくなかったそうだ。

しかし、一人が語り、また一人が語り、少しずつ増えていった。原爆を語ることこそ、使命と感じられたわけだ。

現在、被爆者の会、九条の会など平和活動されている方の多くは70歳を超えられている。大先輩たちは身をもって、戦争の悲惨さを体験し、次の世代に同じ思いをさせたくない、という思いを持っていらっしゃる。しかし、そうした大先輩たちも、いつまでもお元気でいられるわけではない。人間には寿命がある。

では、僕ら「戦争を知らない子どもたち」は何ができるのだろう? 

とはいえ、平和な日本で、平和を語ることは難しい。「九条を守ろう」と言えば、「左翼」だと思われる。「戦争で亡くなった先祖を慰霊するために靖国神社に行く」と言えば、「右翼」だと思われる。

「九条を守ること」は憲法を守るという話だし、靖国参拝は先祖の慰霊するためのこと。どちらも当たり前の行動のように思う。また、右だろうが、左だろうが、その根本には平和な国、平和な世界を作りたいという思いはあるはずだ。

偉そうなことを言える人間ではないのですが、平和のためにできること。それは、まず戦争とは何かを知ろうとすることじゃないかと思う。(もちろん、自分に言っているんですよ)。

↓世界では、これだけ戦争・紛争が起こっている。知っていましたか?僕は知りませんでした。
戦争・紛争地図

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コメント

長崎は高校の修学旅行で訪れました。広島も高校生のとき親友と二人で原爆記念日に行きました。

>もし、1945年8月9日、僕がさっきまで立っていた場所近>くにいたら、僕の父も、僕も、僕の娘も、この世にはいなかっ>た。

私達がこの世に存在することだけで、とても幸運なことなんでしょうね。どこかでほんのちょっと運命が違えば・・・・ってことはあるでしょう。

戦争がこんなに多くの国々で今も続いているとは、私も知りませんでした。予想より遥かに多かったです。

戦争をする愚かな人間ですが、止めることができるのもまた人間だと思います。小さな星の上に住んでいる同じ人類。戦争よりやらねばならないことがすぐ目の前に迫っているように思います。

投稿: しぇるぽ | 2008年8月10日 (日) 20時45分

>しぇるぽさん

>長崎は高校の修学旅行で訪れました。広島も
>高校生のとき親友と二人で原爆記念日に行き
>ました。

広島は行ったことがないです。
長崎は4度目でしょうか。

>私達がこの世に存在することだけで、とても
>幸運なことなんでしょうね。どこかでほんの
>ちょっと運命が違えば・・・・ってことはあ
>るでしょう。

もちろん、それは戦争に限定されることではないかもしれません。

>戦争がこんなに多くの国々で今も続いている
>とは、私も知りませんでした。予想より遥か
>に多かったです。

平和の祭典である五輪初日にはグルジアとロシアが戦争を始めましたね。

>戦争をする愚かな人間ですが、止めることが
>できるのもまた人間だと思います。小さな星
>の上に住んでいる同じ人類。戦争よりやらね
>ばならないことがすぐ目の前に迫っているよ
>うに思います。

先日、紛争解決に当たっていた元国連職員の方と話をする機会を得ました。

なぜ戦争をするのか?それは戦争が儲かるからだ、と言います。それは国連も例外ではなく、紛争が始まり、そこに派遣されることになると、危険手当が出るのだそうです。そして、「どこかで戦争が始まらないか」と心待ちにするのだそうです。

国連ですら、こんな状態ですから、世界的な平和というのは難しいのかもしれませんね。

おっしゃる通り、やることはいっぱいありますね。

投稿: 久住コウ | 2008年8月11日 (月) 00時00分

平和の祭典が開会した裏で、同日に新たな戦争が起きましたね。

そもそも戦争は、民族間のいざこざが発端になるものですが、そのいざこざの本質は「相手を理解しようとせず、こちらの枠に無理やりはめようとする」思考がそうさせているに過ぎません。中東紛争が良い例ですよね。

「相手の主張を理解し、こちらの主張と異なっていることを認める」

これが紛争を回避する1つの方法かな、と最近思います。

投稿: まさやん | 2008年8月11日 (月) 08時17分

>まさやんさん

>「相手の主張を理解し、こちらの主張と異な
>っていることを認める」

>これが紛争を回避する1つの方法かな、と最近
>思います。

その通りだと思います。

長崎で紛争予防を研究している大学教授から話を伺う機会がありました。

予防には早期警戒、早期対応が必要だそうです。
早期警戒にはメディアの役割が大きいと言います。また、早期対応というのは正の意味での内政干渉だと言います。

国家はそれぞれ主権があります。それを脅かすこと、つまり、内政干渉はいけないことのように想われがちですが、この内政干渉こそが外交であると、その大学教授は言います。

紛争は貧困がきっかけになっていることが多いのですが、早期の経済援助は軍事力を増強する結果にもなります。

「日本には紛争解決するポテンシャルがあり、紛争を予防する責任がある。一国平和主義ではいけない」とおっしゃっていました。

投稿: 久住コウ | 2008年8月11日 (月) 22時11分

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