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2008年8月

2008年8月31日 (日)

「検見川送信所、文化遺産宣言」

このところ、ブログの更新が止まってしまった。というのも、「検見川送信所を知る会」のイベントの準備に追われていたのです。

そのイベント「検見川送信所、文化遺産宣言」も30日、盛会のうちに終了。名司会(多方面が絶賛)ぶりをみせていただいたまさやんさんのブログ「こんぱすコーチの全方位日記」で詳しく紹介されています。

今回は最大時80人が来場。市議会からは川岸俊洋市議(公明)、熊谷としひと市議(民主)、さんぺい輝枝(民主)、長谷川ひろ美(市民ネット)、山本直史市議(新政ちば)と会派を越え、参加していただくこともできた。

この模様は早速、本日付の千葉日報にて報道。明日9月1日夜9時からの千葉テレビ「ニュースC-master」でも取り上げられる予定。


画像をクリックすると、「検見川送信所を知る会」HPの記事詳細に飛びます。

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2008年8月27日 (水)

トウキョウ今昔1966・2006(田中長徳)

同書は東京生まれの写真家の長徳さんが自身が青春期だった1966年と現在(2006年)の東京を写し取ったものだ。同じ場所で改めて撮影したものもあれば、今となっては撮影場所不明のものもある。

1966年、東京にはデモが溢れていたという。ノンポリだった長徳青年はデモ風景をライカで撮りまくっている。同じ東京、40年後、似ているようで、まったく違う東京がある。

特に大学内での学生たちの写真が対照的だ。66年、東大でのデモと06年、早稲田大学図書館前の階段が並んでおかれたページがある。そこには学生たちがなぜか秩序だって、座っている。何か時代を物語っている。

長徳さんにとって、「東京は永遠のテーマだ」という。彼の生活の場、仕事のフィールド、地面のありとある部分が「東京」なのだから、当然だろう。東京を解き明かすことは彼自身のアイデンティティーを解明することのように思える。

そんなこ難しいことはさておき、カメラを持って、東京を歩くことは楽しい。人間、建物、少ないけど緑…。無数の被写体があり、そこには日々変化がある。

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2008年8月26日 (火)

写真集「検見川送信所2007-2008」がPhotobackのセレクションに

写真集「検見川送信所2007-2008」がPhotobackが選ぶおすすめ作品の「selection」になった。

同写真集は僕が07年7月から今年7月まで約1年間をかけ、検見川送信所の姿を追ったもの。使用機材はデジカメのGRD2、GX100、ライカM3、ピンホールカメラ。草が生い茂る夏、イチョウの葉が絨毯のように埋め尽くす秋、イチョウが落葉し、全容を見せる冬、雪景色、温かい光を浴びる春、ドラマロケに使われた時の様子など全36ページ。実際の写真集はCDのジャケットサイズで手元にある。

先日、友人宅でのホームパーティーで披露したところ、写真集を欲しいという方が現れた。増刷を注文しようと、Photobackのホームページを見ていたら、気が付いた次第。友人のカメラマンからも「ネット上で見るよりも、実物の方がいいね」と言われ、ひと安心。

現在、「selection」には57作品がエントリーされており、「検見川送信所2007-2008」は6ページ目に掲載されている。

以下画像をクリックしていただくと、拡大表示されます。

「検見川送信所を知る会」では30日(土)午後3時から、検見川公民館にてイベント「検見川送信所、文化遺産宣言」を開催。同写真集はイベント会場でもご披露します。

イベントの詳細は以下ホームページにて。
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当初、予定した見学会は天候不順などのため、中止とさせていただきます。ご了解ください。


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2008年8月25日 (月)

検見川送信所を知る会の記事がオニオン新聞に

「検見川送信所を知る会」の記事が千葉市の地域新聞「オニオン新聞」(8月22日号)に掲載された。pdf版は近く、検見川送信所を知る会のホームページにて掲載します。そちらをご覧ください。「知る会」の活動は8月だけで、朝日マイタウン情報、朝日新聞、読売新聞にも大きく掲載されています。

8月30日のイベント「検見川送信所、文化遺産宣言」にもぜひご参加ください。詳細はホームページをご覧ください。


オニオン新聞2008年8月22日付

「検見川送信所、文化遺産宣言」
8月30日(土)午後3時から検見川公民館道場にて
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予定された見学会は天候不順などのため、中止とさせていただきます。ご了解ください。

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2008年8月24日 (日)

「検見川送信所を知る会」の活動が読売新聞トップ記事に

「検見川送信所を知る会」の活動が本日24日付の読売新聞京葉版にトップ記事で掲載されました。
30日のイベントも紹介されています。

検見川送信所「文化遺産に」
日本初の国際放送

昭和初期に日本初の国際放送を行い、今は廃虚となっている
「検見川送信所」(千葉市花見川区)の建築的価値を見直そ
うという動きが、市民や建築家の間に広がっている。学校用
地として取り壊す方針だった千葉市も、計画撤回に向けた検
討を始めた。

(続きは以下URLで確認ください)

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20080823-OYT8T00856.htm

「検見川送信所、文化遺産宣言」
8月30日(土)午後3時から検見川公民館道場にて
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2008年8月23日 (土)

GX100で撮る「夏祭り」

GX200が発売されたが、GX100は現役だ。


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GX200のアクセサリーとして、発売されたレンズキャップが武器だ。これによって、レンズキャップを手動で外す必要はなくなり、機動力がアップしたのである。

この日夜は地元町内会の夏祭り。いろいろ所用があって、終わりがけに会場となる公園に到着。GX100は感度が高いので、f2.5、ASAは高感度にあわせる。ストラップを突っ張らせ、固定すれば、かなり安定する。後はアングルを決め、ノーフラッシュで。時間があまりなかったので、そんなにショット数は多くなかったけど、割と満足のいくカットが撮れた。GX100はすごい。



夏祭り(GRD2)



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最新機種はGX200。

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検見川公民館に飾られた検見川送信所コンピューターグラフィックス



検見川公民館(GRD2)

30日午後3時から行われる「検見川送信所を知る会」主催のイベント会場となる「検見川公民館」。会議室、ホールに図書館を併せ持つ施設だ。

1階の図書館脇にはロビースペースには昔の検見川町を偲ばせる絵や写真などが展示されているが、ここに「知る会」メンバーのきくちさんが製作した送信所のコンピューターグラフィックスが加わった。



検見川公民館(GRD2)

これは、廃墟になっている送信所の本来の素晴らしさは分かりにくくなっているとの思いから、きくちさんが独自の実地調査を行った上で、コンピューターグラフィックスとして再現したものだ。現在、赤い鉄板で封じられている窓やドアなど特徴ある部位も見ることができる。

以前、「もし可能であれば、掲示してください」と公民館に持参したのだった。同館では三枚のCGに加え、送信所の解説も書き下ろし、貼り出してくださった。そこには日本初の国際放送を行ったこと、建築史的にも重要と言われていることが書かれている。



検見川公民館(GRD2)

同館館長のご好意、理解には深く感謝を申し上げたい。千葉市の公民館に、こうした展示物が加わるということの意味は大きい。より多くの人の目に留まり、送信所の存在を知っていただければと思う。

花見川区内で、このコンピューターグラフィックスを展示くださる施設、店舗があれば、ご連絡ください。

お問い合わせフォーム

30日のイベントは公民館正面右の道場にて開催します。詳しい地図は「検見川送信所を知る会」ホームページをご覧ください。

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写真はすべてGRD2で。


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2008年8月22日 (金)

自宅に小さなぶどう園を

我が家では小さな庭の一角でぶどう「デラウェア」を育てている。06年6月、パーゴラを建て、そこに3本のぶどうの苗を植えた。

2006年6月 9日 (金)
手作りパーゴラの下に植えたもの

あれから2年ちょっと。ついにぶどうの実がなり、紫色に色づいた。何粒か手に取り、家族と試食した。ジベレリン処理をしていない完全無農薬栽培なので、タネもある。しっかりぶどうの味がした。美味しい。


デラウェア(GRD2)

ぶどう棚は日よけにもなります。みなさんもぶどうを植えてみませんか?

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2008年8月21日 (木)

「女流4人展」(みなとみらいギャラリー)

20日、横浜・みなとみらいギャラリーに大学の友人Kayの美術展「女流4人展」に行ってきた。年賀状のやりとりはしているが、15年ぶりくらいの再会だろうか。変わっていなかった。あまり時間がなかったので、仲間の近況などを話し、別れた。

Kayは30過ぎから絵を学び、いくつか入選も果たしている。彼女のホームページはこちら

お近くの方はお寄りください。地図。24日まで開催。入場無料。


(GRD2)

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ツェッペリン号、79年前の衝撃

検見川送信所の竣工当時の姿を再現したCG(きくちさん製作)には、飛行船が描かれている。僕はこの飛行船の存在がずっと気になっていた。

飛行船の名前はグラーフ・ツェッペリン号。「グラーフ」は伯爵という意味で、ツェッペリン伯号とも言われる。かのロックバンド「レッド・ツェッペリン」もこの飛行船から取られている。

ツェッペリン伯号は1929年(昭和4年)8月19日夕刻、東京上空にやってきた。その時の絵はがきを入手した。


絵解きには「帝都の中へ雄姿を現したるツェ伯號」とある(実際は右から左に書かれている)

よほど暑い日だったのだろう?帽子を被った無数の人々が空を見上げている。午後の気温は36度だったといわれる。都民200万人、これだけの人間が空を見上げた日はなかったのではないか。

ツェッペリン号の全長は236.6メートル。サンシャイン60と同じ大きさという。巨大な物体が首都に浮かぶ光景は衝撃的と言って、よいだろう。「ツェッペリンを見たか」が合言葉となった。

ツェッペリン号が夢の世界一周に向け、米ニュージャージー州レイクハーストを出発したのは8月9日だった。金銭的に支援したのは、アメリカ、ドイツ、フランス、そして、日本の新聞社だった。アメリカではイエロージャーナリズムと言われたタブロイド紙が全盛を極めていた。最も、出資金を出したのは、ウィリアム・ランドルフ・ハーストが経営者だった「ジャーナル」だ。

ハーストはかの天才、オーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」のモデルであり、マスコミを牛耳ることで世の中を動かそうとした。1898年のキューバをめぐる米西戦争では「変わったことはない」というキューバ特派員に対し、「そこに留まって君は記事を送れ、私は戦争を作り出す」と返電した、とされる。

ハーストはこのときと同様に「金を送る。だから、全世界の報道権をよこせ」、とリクエストした。しかし、ドイツ政府に拒まれる。結局、ジャーナルはヨーロッパ以外の独占権に15万ドルを出し、ドイツ政府が10万ドルを出したらどうだと提案。しかしながら、ドイツ政府もハーストのちょっかいには不快感を見せながらも金を出すことには渋った。

エッケナーも国よりも民間の援助を求め、2つの出版社とフランクフルト新聞、フランスのル・マタンの4つが5万ドル、残りを大阪の朝日、毎日が分担して、通信独占権を得た。

独フリードヒスハーフェンでは大阪毎日(東京日日新聞)の円地与四松記者、大阪朝日の北野吉内記者、日本海軍の飛行船の専門家である藤吉直四郎海軍少佐が乗り込んだ。

ツェッペリン号はウルム、ニュールンベルグ、ライプチッヒ、ベルリン、さらにフレミング船長の故郷、ステッチンを通過。これはエッケナーの粋な計らいだった。さらに船は革命直後のモスクワに立ち寄ることを要請されたが、燃料の問題から断念。これが国際問題に発展しかけるほど世界的なフィーバーだった。結局、ウラル山脈を越えて、シベリアを通り、日本に近づいてくる。

日本の無線人たちも、ツェッペリン号の行方には注目していた。同号は各国と交信を行いながら、旅を続けていた。ツェッペリン号との交信は逓信省トップからの至上命令であったようだ。飛行船が日本上空を飛んだことはなく、飛行船との交信はこれが本邦初であるから、当然とも言える。

検見川送信所、岩槻受信所が所属する東京無線局はツェッペリンの放つ電波を捉えようとした。「検見川無線30年史」には「日本文明の名誉にかけて、同号との速やかなる無線連絡が無線人の願いだった」とある。検見川送信所は逓信大臣からの祝電、歓迎会の計画、新聞からの祝電を打つ役割を任されていたようだ。

一方、ツェッペリン号の中でも、情報収集、通信機をめぐる熾烈な争奪戦が起こっていた。

朝日、毎日は日本への進入コースを予想する一大キャンペーンを全国で展開。

日本海からか? 太平洋からか?毎日は日本海説、朝日は太平洋沿岸説を取り、その機影を捉えるべく記者、カメラを派遣した。

朝日、毎日以外にも世界中のジャーナリストが乗船しており、各記者はニュースを打電していた。円地記者、北野記者は日本を目前にして、記事を送ろうとしたが、なかなか順番が回ってこない。

17日、しびれを切らした円地記者はレーマン船長に「もし今日明日中に十分に電報が打てなかったら、日本の新聞記者が参加したことが無駄になる」と抗議した。これに対して、ツェッペリン号の開発者で総指揮を執ったフーゴー・エッケナー博士は「欧米は休日であるから、アメリカ、ドイツは200語以内、日本は600語を認めるが、それ以上はダメだ」とはねのけた。

朝日、毎日それぞれ300語ということだ。

8月17日午後9時半から同40分にかけて、北海道根室の落石無線局がシベリア上空にいた同号の無線をキャッチし、交信に成功した。東京無線局も手柄を争ったが、落石局の成功を我がごとのように喜んだと美談になっている。

東京無線局は落石局から遅れること7分、9時37分に飛行船の無線符号を識別したが、落石局のために時間をおき、18日午前1時10分から通信を交換したと記録に残っている。

通信量は落石局が10,372語、東京局はわずか2,210語だった。

ツェッペリン号は19日午前6時、北海道神威岬から駒ヶ岳に向かい、北海道を縦断し、太平洋沿いに進路を取った。

朝日と毎日のスクープ合戦は朝日が制した。朝日は宮城県金華山沖を飛ぶ船影をキャッチし、19日夕刊に写真と記事を掲載。2ページに渡る号外を発行した。


大きな地図で見る

ツェッペリン号は太平洋沿いを南下し、利根川から東京を目指した。そして、谷中方面から上野公園上空を通る。飛行船からも群衆がうごめいているのが見えた。

円地記者は「西郷の銅像の辺りは非常な群衆だ。恐らく手を振り、万歳を叫んでいる」と回顧録「空の驚異ツェッペリン」に書いている。その後、横浜まで飛び、同じコースを戻って、霞ヶ関の係留場に降り立った。検見川送信所の脇をすり抜けるようなことはなかった。

では、きくちさんが制作した検見川送信所とツェッペリン号が一緒に写るCGは素敵なファンタジーなのだろうか?

きくちさんはツェッペリン号を点景に書き添えたことについて、こんな風に書いている。

「昭和4年のドイツの飛行船ツェッペリン伯号の飛来は、8月19日に飛行船が東京に突如姿を見せるなど大いに話題となった。この日本の通信技術をアピールする好機に各局が競って交信を試みたことが記録されている。根室の落石局に続いて、検見川送信所を含む東京無線電信局でも交信に成功したとの記録が残る(「日本無線史」第4巻p.277)。従って、実際に検見川上 空を飛行していたか定かではないが、点景に加えてみた」

もちろん、こんなに近くに船影が見えたことはない。恐らく、ツェッペリン号は検見川の25キロ先を飛んでいった。文献が見つからなかったのだが、何かの記録では、検見川から江戸川辺りの東京の建物が見えたと載っていたような記憶がある。当時は高層ビルもなく、空気も今よりは澄んでいただろう。19日の天候は晴れだったことを考えれば、その船影は肉眼でも確認できたのではないか。

検見川送信所は通信の中で、航路も把握していたはずで、職員たちは屋上に上がったり、アンテナに登ったりして、その到着を待ちかねていたはずである。「職員たちはツェッペリンを見た」と僕は考える。

さて、ツェッペリン号がもたらしたものは何か?

民衆の熱狂、飛行船の通信を使った新しいジャーナリズムのスタイル、飛行船との初の無線交信。それだけではない。カメラの名機「ライカ」の普及、それから、モダニズム建築のあり方にも大きな影響を残している。


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ライカは1926年に35mmサイズのフィルムカメラの原型バルナック型カメラを発表している。このA型と呼ばれるライカは日本に数十台輸入されたが、手にしたのは一部の知識人と富裕層だった。その中に検見川送信所の初代所長、菊谷秀雄氏がいる。

日本でのライカブームのきっかけはエッケナー博士である。エッケナー博士はライカを首から下げて、船から降り立った。スナップショットの神様、木村伊兵衛氏はフィルムニュースでエッケナーのカメラを見た。当時、これだけコンパクトなカメラはなく、衝撃を受けた。そして、持っていたカメラを全て処分して、ライカを買い求めたのである。

東大講堂の設計者で、昭和を代表する建物を数多く手掛けた建築家の丹下健三の後ろ楯となった建築学者・岸田日出刀(ひでと)も、早くからライカを手にした一人だ。その年12月、ライカで撮影した写真集「過去の構成」を発表。その後も「現代の構成」「熱河遺跡」を世に送り、発表し、建築家を刺激した。そういう意味では、ライカなくして、建築の発展はなかった。(「磯崎新の『都庁』より」)

その昔、欧米の時計、カメラ、バッグなどを「舶来品」(言葉自体は死語になりつつある)と呼び、珍重したが、ライカは船でしかも空からやってきたのだ。

ところで、この円地記者というのは、作家・円地文子の夫である。円地記者はツェッペリン号の乗船の前年、先妻を亡くした。その後、物理学者、随筆家、俳人の寺田寅彦を通じて、見合いをして、再婚する。ただし、その結婚生活は必ずしも幸せではなかったようだ。

円地文子は夫との見合いの様子を「朱を奪うもの」という小説で描き、ヒロインがあまり興味を持てない外国帰りの考古学者として、夫をモデルにしている。女というのはつくづく恐ろしい。同性愛者の雑誌「薔薇族」の編集長、伊藤文學氏も、ご自身のブログ『月刊『薔薇族』編集長伊藤文學の談話室「祭」』の2005年5月28日 (土)の記事で円地与四松さんとの興味深いエピソードをお書きになっている。

このようにツェッペリン号の飛来は、話が尽きない。最後に、検見川無線とツェッペリン号の話に戻る。

初代所長の菊谷氏は回顧録「検見川無線の思い出」を自主出版している。しかし、歴史的な出来事であったはずのツェッペリンとの交信については一切、記述していない。「検見川無線史」では、落石局に通信を譲ったことは「交譲の精神」であったと書いているが、同時に、「交信は失敗だった」ともある。両者からは微妙な心理をうかがい知ることができる。

しかし、この経験があったからこそ、翌1930年10月の日本初の国際放送の成功があったと考えるべきだろう。

  

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2008年8月20日 (水)

長崎・唐人屋敷通り×ズマロン35mm


土神堂(ライカM3 ズマロン35mm TMAX100)クリックで別窓1640×1028サイズ


観音堂の階段(ライカM3 ズマロン35mm TMAX100)


(ライカM3 ズマロン35mm TMAX100)クリックで別窓1711×1004サイズ

大分、別府、長崎で撮ってきたTMAX5本をセイコーエプソン GT-X970で全部スキャンした。

フィルムを見直して、意図せずして、何気なく撮ったものもあった。気が付くと、猫や裏通りを撮っている。今回の3枚は早朝、長崎・唐人屋敷通りでのショット。

今回の旅ではほとんどをワイドレンズのズマロン35mm f3.5で撮った。これはライカレンズの中では比較的安価(といっても、48000円だったが)。流通量が多いので、安いらしいが、これはかなりお買い得なレンズだと思う。


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ライカM3は35mmのフレームを持たないので、外付けファインダーをつけることになるが、クセを知らないで撮ると、意図と違う画面になる。案外、やっかいだ。

僕みたいに建物を撮ることが多い人間には標準レンズ重視のライカM3よりも、実は広角35mmのファインダーを持つライカM2の方が向いている。


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当面、ライカM3に外付けファインダーの組み合わせでがんばろうと思っているが、これ以上の広角を求めるとなると、外付けファインダーも買わなきゃいけない。とはいえ、M2を買ったとしても、35mm以上の広さを持つレンズを買ったら、外付けファインダーになってしまう。

そこで、ずっと頭にこびりついているのはベッサR4Aというカメラ。別名プアマンズ(貧乏人の)・ライカ。21mm,25mm,28mm,35mm,50mmの視野枠を持つ。ファインダーのピント合わせも、ライカ以上に見やすいとの評判も聞く。まさに、僕の使い方にうってつけなのだ。さらに、プログラムAEが使える。ただ、難点はシャッター音がうるさい、とか。ライカのような、すっと本体に吸い込まれるようなシャッターの感触は味わえないのだろう。それでも、十分魅力的だ。悩ましい。


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2008年8月19日 (火)

ポツダム宣言受諾を世界に発信した多摩送信所

16日付の朝日新聞東京版に「送信所跡の歴史探訪」という記事が載っていた。

我らが「検見川送信所を知る会」の記事ではない。町田市相原町に多摩送信所というものがあり、地元の郷土史サークル「まちだ史考会」が10月にイベントを企画しているという。

場所は僕の母校の多摩キャンパス内というからビックリ。大学1年の時に必修の体育を受けるため、3時間かけて千葉から通ったものだが、存在はまったく知らなかった。現在、アンテナや施設などはなく、記念碑だけが残っている。記事には写真も載っているが、柱の台は検見川送信所に比べ、かなり小さい。多摩送信所のアンテナが小さいのではなく、検見川送信所の柱台が立派なんだろう。

多摩送信所は本土空襲に備え、通信施設を確保しようと軍部が場所を選定。1945年1月に国際電気通信株式会社が開設。同年8月10から15日にかけて、あのポツダム宣言受諾を世界に送信した。

同盟国ドイツへの専用アンテナなども設置したが、実際には使われなかったという。閉局は46年秋と、恐ろしく短命。一番の大仕事は敗戦を全世界に伝えたという何とも皮肉ではないか。

ポツダム宣言は長崎原爆の翌10日に受諾するのだが、終戦は15日。それには訳がある。当初の受諾は無条件ではなく、米軍の空襲は止まなかった。

同サークルのメンバーで、14日の大阪空襲を受けた方の話も載っている。
「ポツダム宣言と聞いても分からず、町田にこんな施設があったことも知らない人が多い」


大きな地図で見る

ポツダム宣言を知らない人がいる、というのは信じがたいが、地元でも存在や役割を知らない人が少なくない、という状況は検見川送信所と同じである。

ネット上に記事がないと思ったら、ちゃんとアップされていた(そのうち、リンクは消えちゃうはず)。

多摩送信所の歴史に光 町田市(朝日新聞)

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8月30日(土)午後3時から、千葉市検見川公民館でイベント「検見川送信所、文化遺産宣言」を開催します。詳細はホームページで。

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吉田鉄郎建築のある風景~ライカM3ズマロン35mm


「ここ(児童館)、好きだよ」と言った子ども。友達来てないかな、と覗き込むようにして中に入っていった。
現・児童館=旧別府電報電話局(ライカM3 ズマロン35mm f4 1/250s)


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記事の詳細はこちら


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2008年8月18日 (月)

ライカM3ズマロン35mmで撮った軍艦島

6~9日の九州の旅にはデジカメのGRD2とライカM3を持って行った。ライカにはカラー1本を持って行ったが、残りはすべてモノクロTMAX詰めた。

ライカがメイン。GRD2がサブという感じだったが、なかなか現像が上がってこなかった。

TMAXはコダック製のフィルムだが、駅前の気安さからフジカラーのショップ経由でコダックへ。ちょうどお盆時期だったため、10日に出したにもかかわらず、現像が上がってきたのは本日18日。しかも、現像代はカラーより遙かに高い1260円だった。以前も、TMAXは現像したけど、こんなに高かったかなぁ。

フジカラーに出すと、中間マージンは取られるのだろうけど、それにしても高過ぎだ。計5本だったので、とんでもない値段になった。

写真は現像のみにして、スキャナー「セイコーエプソン GT-X970」で取り込んだ。

軍艦島ではズマロン35mmを使った。本当は50mmで撮ればよかったのだが、うっかり港のロッカーに置いてきてしまった。やれやれ。


(ライカM3ズマロン35mm f8 1/500s)

GRD2で撮ったカラーとは全然違う印象(ちょっと見比べてくだされ)。こちらです。

しかし、このサイズでは違いは明確には分からない。

下の2つの写真は1024ピクセル、16bitというモードで取り込んでみた。モノクロの良さは印画紙に焼き付けてこそ分かるものということだが、パソコンでも疑似体験くらいはできるかもしれない。

ダウンロード img281.jpg (322.4K)

ダウンロード img267_edited-1.jpg (319.5K)

ブロアーが足りなかったようで、細かい塵までスキャンしてしまったのは、ご愛敬(汗)。フィルムを扱うとなると、もっとマメに部屋を掃除しなきゃいけない。

ここはロボット掃除機、ルンバが欲しいところ。「いつかは」と思いながら踏ん切りがつかない。だって、高いだよなぁ。


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湯婆婆が出そうな温泉建築~別府

温泉を舞台にした労働とアイデンティティーの物語(と解釈している)「千と千尋の神隠し」。「崖の上のポニョ」が大ヒット中だが、この映画が日本映画で最も当たった映画だ。興行収入304億円。「ポニョ」も抜けないだろう。

ヒットの要因はいろいろあるけど、日本人はやっぱり温泉好きなのだ、と思う。「千と千尋の神隠し」の舞台、温泉町は特定のものはなく、ミクスチャーだという。温泉町はいろんな建物があって、面白い。

湯婆婆が出てきそうなこの建物は別府・竹瓦温泉。明治12年開業だが、この建物は昭和13年のもの。元々は竹で屋根を葺いていたそうな。


竹瓦温泉(GRD2)

後輩のNが「温泉は入ったんですか? えっ、まだ。じゃ行きましょうよ」と薦めるので、実際に入ってみた。Nのオススメは砂湯だそうだが、時間が遅くて終わっていた。残念。

別府の湯は熱い。ゆっくり浸かってなんか、いられない。

入湯代は100円。「記念に」と後輩はタオルも買ってくれた。このタオルは長崎の平和散歩で大活躍。感謝。


駅前高等温泉(GRD2)

ネーミングがいい。高等温泉。なんか頭がよさそうだ。中等、尋常とかもあるのだろうか?(ないよな)


永石温泉(GRD2)

長居しそうな温泉。でも、湯の温度は熱いのだろう。こちらは児童館の近く。


紙谷温泉(GRD2)

建物は普通だが、明治初期からの名湯。特に飲用は胃腸、前立腺に効果ありだそう。

こうして並べてみると、バラエティーに富んでいて、温泉建築は面白い。

見てから浸かるか、浸かってから見るか。

かつての角川映画のキャッチコピーのように、悩ましい。まぁ、どっちでもいいのですけど。


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2008年8月17日 (日)

裏通りの猫@長崎

建物の話が続いたので、ここで一息。

長崎原爆の日だった9日朝、長崎・唐人屋敷周辺を散歩した。坂も多いが、なぜか猫がいっぱい。「えさをあげないで」などの看板も目立つ。ガンを飛ばされたり。逃げられたり。猫と仲良くするのは難しい。


大きな地図で見る


世界は猫を中心に回っている(GRD2)


山田屋の猫(GRD2)


なんかよう?(GRD2)


坂の上の猫(GRD2)


開かない門(GRD2)

写真はすべてGRD2で。


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2008年8月16日 (土)

80周年を祝う市民~旧別府市公会堂(2)

 
2階にある彫像(左)、アーチ型の窓からは光が差し込む(GRD2)

二階のロビーには2つの彫像が目を引く。窓からは面白く光が差し込み、2階と3階の間には空、雲、月、星をモチーフにしたステンドガラスが飛び込んでくる。


ステンドガラス(GRD2)

さらに階段を上がると、屋上の★のモチーフ。吉田鉄郎は公会堂に空を閉じ込めようとしたのかもしれない。


旧別府市公会堂正面の天井の★(GRD2)

児童館に続き、屋上も見せていただいた。屋上からは別府市内を一望できる。ちょうど夕刻で山際には日が落ちかかっていた。「少しの時間でお願いします」と言われたので、無我夢中で、ライカとGRD2でシャッターを切った。しかしながら、ライカは調子が悪く、何も写っていなかった。残念。


旧別府市公会堂から向平山を望む(GRD2)

文化財との向き合い方は、その町の歴史とそのままリンクしているように思える。歴史ある町はそれを大事にする。人は何でも新しい者を求めるが、古いものこそ資産である。新しいものは生み出すことはできるが、伝統は一朝一夕ではなし得ない。

しかも、古い建物をたくさん残すことは観光資源にもなる。僕は特段、温泉好きではない。もしかしたら、吉田鉄郎建築がなかったら、生涯訪れることもなかったかもしれない。

8月22日からは「別府市公会堂80周年記念プロジェクト」として、「★の記憶を未来につなぐ夏」と題するイベントが行われる。「★」とはもちろん、天井の装飾のことだ。これは3つの特定非営利法人が集まった実行委員会が運営に当たり、市、観光協会、地元放送局、大分合同新聞などが後援している。

パンフレット(PDF)によれば、「ちびっこ探検隊」なる施設見学、写真展、レイハラカミのコンサート、ダンスワークショップ、ライトアップなどがあり、様々な角度から公会堂を知ることができるようだ。いずれも興味津々の内容だ。特にライトアップされた姿には興味がある。夜の光を浴びた公会堂はどんな姿を見せるのだろうか?

公会堂には目下、竣工当時の姿に戻そうという動きがある。

公会堂は3度に渡る大改造を行っている。昭和43年3月の第2次改修が最も大規模で、正面2階への石の階段を取り払い、これまでの地階を1階にして、入り口には大きな庇を載せ、現在の形になった。おそらく、利便性は高まったのだろうが、竣工当時の方が遥かに素晴らしいプロポーションだ。6連の窓は下まで伸び、すっきりとしたデザイン。(竣工当時の写真はこちら。吉田鉄郎も写真に収まっている)。

市職員に復元計画を聞いた。来期に耐震強度を検査し、その後、予算を組む予定らしい。計画が実現するにはまだ時間がかかるようだ。

市民からは外壁のレンガだけでも洗浄したい、という声が出ている。レンガの汚れは戦時中の防空対策で黒く塗られたものもこびりついているらしい。空襲には遭わなかった別府市だが、戦争の痕は意外なところに残っている。

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musenhozon.jpg
8月30日(土)午後3時から、千葉市検見川公民館でイベント「検見川送信所、文化遺産宣言」を開催します。詳細はホームページで。

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来た時よりも美しく~旧別府市公会堂(1)

旧逓信省電報電話局での見学を終えて、駅反対側にある旧別府市公会堂(現別府市中央公民館)に向かった。別府は歴史ある温泉街で、貴重な建築も数多く残っているが、吉田鉄郎建築が徒歩圏に2つもある。なんとも贅沢な話だ。


大きな地図で見る
Aが公会堂、Cが児童館



旧別府市公会堂正面(GRD2)

別府市公会堂に関しては、詳細な記録が残っている。別府市は大正13年(1924年)に市制を施行した。その際、「泉都別府に公会堂がなきは一大欠点とする所なり」との声が上がった。

設計に当たっては、当時の助役、笠置雪治氏が知人で金沢旧制第4高等学校教授の重光葵から推薦を受けた。第4高等学校は逓信省の吉田鉄郎の母校であり、重光は恩師だった。吉田は大正15年(1926年)4月に設計を開始した。ちょうど検見川送信所(1926年)の竣工を見届けた時期である。


旧別府市公会堂裏面(GRD2)

別府市には、先に紹介した電報電話局がある。電話局の功績が認められ、市公会堂の依頼が来たと思いがちだが、真実は逆なのだ。

吉田は逓信省の仕事が終わった夜、自宅で線を引いた。別府市からは吉田を強く推した建築技師の池田三比古が東京に出張し、詳細図を担当。10月に作業は完了する。

当時、スウェーデンの代表的な近代建築「ストックホルム市庁舎」(設計ラグナル・エストベリィ)に深く感銘を覚えていた時期で、その影響が見て取れる、と言われる。


ストックホルム市庁舎(ウィキペディアより)

昭和2年、着工し、翌3年3月に竣工。施工は大分市の溝口組が担当した。総工費は当時43万円。

今年で80周年を迎える。灰色のボディから鉄筋コンクリートなのかと想像していたのだが、飾りレンガが施されている。その配列も一風変わっている。

外観は老朽化しているが、今も現役。平成6年11月25日には、大分県下、最古級の鉄筋コンクリート建築であり、別府市指定有形文化財になった。僕が訪問した際は宮沢りえが主演した映画「父と暮らせば」の上映会を行っていた。終戦記念日に合わせた企画のようだ。

窓口に内部の写真許可を求めると、快諾いただき、資料も探してきてくださった。

最初に目に飛び込んでくるのは「来たときよりも美しく」という標語。大切な文化財だから、大切に使いましょうという別府っ子の心意気の現れである。

参考文献

<続く>

別府市公会堂80周年記念プロジェクト

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検見川送信所Tシャツ試作

検見川送信所のTシャツを制作しました。

検見川送信所の竣工当時を再現したきくちさんのCGを基に花園シンさんがデザイン。送信所がモダニズム建築の保存提唱を行っている国際的な建築団体「ドコモモ・ジャパン」の選定建築に決まったことを祝ったもの。普段でも着られるデザインになっています。

手作りではなく、プロショップに発注したしっかりしたプリントで耐久性もありそう。1枚の純制作単価は2500円。10枚以上なら2000円、30枚以上なら1750円とコストダウンを図れますが、大量在庫を抱え込むことができないという事情があり、活動協力費込みで2500円の頒布となりそう。


検見川送信所のコールサイン「J1AA」の大きな文字とドコモモに関する英字をプリントしました。


モデルは僕(汗)

8月30日(土)午後3時から、千葉市検見川公民館でイベント「検見川送信所、文化遺産宣言」を開催します。詳細はホームページで。
musenhozon.jpg

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googleストリートビューで見る検見川送信所

googleマップの新機能ストリートビューが建築史家の倉方俊輔氏のブログ「建築浴のおすすめ」で紹介されている。

これは車から町を撮影したもので、文字通り、家にいたままにして、通りの様子を見ることができる。なんと千葉市まで網羅されている。検見送信所も見られるのではないか、と調べてみた。

ストリートビューは全部のストリートで撮影されているわけではない。検見川送信所は少し奥まったところにあるので、無理かと思いきや、一瞬、写っているものがあった。

なんと雪景色である。しかも、晴天。なかなかよい天気に撮影されたようだ。ビューポイントを回してみると、青空と太陽がまぶしい。


大きな地図で見る

関東地方では今年2月3日、節分の日に大雪が降った。おそらく、この翌日に撮影したのではないか。下の映像は僕がデジカメGX100で撮影したもの。「検見川モノクロームな日」(約53秒)。雪化粧の送信所が見ることができる。

ストリートビューは建築自宅散歩ができる。倉方氏も書いていらっしゃるが、時間が経つのを忘れてしまう。

<追記>

非常に面白いストリートビューであるが、中にはヌードなど不適切な画像やプライベートの保護の観点から好ましくないものも写り込んでいる。しかし、グーグルは抜かりがない。以下の動画で、不適切な画像の報告の仕方を解説している(日本語字幕付き)。

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2008年8月15日 (金)

「東京中央郵便局を重要文化財にする会」のビデオ

検見川送信所の設計者、吉田鉄郎氏による東京中央郵便局(1931年)。東京駅前にある吉田の代表作も、郵政民営化の影響を受け、建て替え計画が進んでいる。

こうした動きに対し、08年3月、「東京中央郵便局を重要文化財にする会」が発足。東京中央郵便局はモダニズム建築の記念碑的な作品であり、国指定重要文化財として次世代に残そうと保存運動を展開している。

7月31日には同会のメンバーがビラ配りなどを行い、その重要性をアピール。その様子を収めた映像がYouTubeにアップされた。

ビラ配りは今後、以下の日程で東京中央郵便局前で行われるそうです。

8月19日(火) 午後4時~6時
  22日(金) 午後4時~6時
  25日(月) 午後4時~6時

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2008年8月14日 (木)

旧別府電報電話局から別府市南部児童館へ~歴史的建築で遊ぶこどもたち

別府と言えば、温泉だが、今回の旅の目的は別にある。別府市には検見川送信所を設計した吉田鉄郎の建築物が2つあり、文化財として保存され、施設として活用されている。それらに今後のヒントがあるのではないかと思った。

そのひとつは逓信省旧別府電信電話局(昭和3年、鉄筋コンクリート造2階建外装タイル張り)。検見川送信所と同じ旧逓信省の建築物だ。

別府駅から徒歩7、8分の場所で、近くには教会、老舗の味噌店がある。電話局は写真では見たことがあるが、実際に見ると、案外小さく感じる。電話局と聞いて、巨大なものを想像していたせいかもしれない。

僕は教会側から歩くと、煉瓦造りの建物が目に飛び込んでくる。サイドに当たる部分だ。このレンガの色、質はいいチョイスだった、と思う。それは後に紹介する別の吉田建築を見て頂くと、分かる。昭和3年のものでありながら、退色はほとんどない。

サイドは窓と雨どいの配列が絶妙だ。2列の窓の両サイドにある雨どいが引き締める。

雨どいは軽く見られがちだが、外観を決める重要な要素だ。マイホームを建てた時のことを思い出す。建築中の現場に行くと、正面東側の雨どいがサイドではなく、真正面につけられていた。非常に格好悪く、あまり見えないサイドにつけ直してもらったことがある。

電話局の雨どいはおまけではなく、デザインの一部として組み込まれている。こうした極めの細かさも、吉田建築の大きな特徴だと、建築史家の倉方俊輔氏も以前、言っていた。

検見川送信所も雨どいはデザインの一部となっているが、こちらの方が洗練されているように思える。

正面に出ると、小学生が出入りするのが見えた。ここは電話局としての役目を終えた後、別府市が譲り受け、庁舎として使っていた。現在は別府市南部児童館になった。


旧逓信省別府電信電話局(GRD2)


旧逓信省別府電信電話局(GRD2)

職員の方に吉田鉄郎建築を調べていると告げると、快く写真撮影の許可をいただいた。

近代建築の保存の方法にはいくつかのパターンがある。オリジナルな状態を完全な形で残すのが、パターンその1。オリジナルな状態を生かしながら、現代風にアレンジを加えるものがパターンその2。文化財指定を受けると、改造が不可能になるが、登録有形文化財なら文化財としての保存しながら、活用という道が残っている。

平成10年7月18日、国の登録有形文化財になった「児童館」(旧別府電報電話局)はパターンその2の例。ちょうど千葉トヨペット本社(国・登録有形文化財、1997.07.15)のような感じだ。

以下は文化庁の説明だ。

登録有形文化財(建造物)

 平成8年10月1日に施行された文化財保護法の一部を改正する法律によって、保存及び活用についての措置が特に必要とされる文化財建造物を、文部科学大臣が文化財登録原簿に登録する「文化財登録制度」が導入されました。
 この登録制度は、近年の国土開発や都市計画の進展、生活様式の変化等により、社会的評価を受けるまもなく消滅の危機に晒されている多種多様かつ大量の近代等の文化財建造物を後世に幅広く継承していくために作られたものです。これは届出制と指導・助言・勧告を基本とする緩やかな保護措置を講じる制度であり、従来の指定制度(重要なものを厳選し、許可制等の強い規制と手厚い保護を行うもの)を補完するものです。

旧逓信省電報電話局は昭和3年(1928年)、竣工した。

以下は年表からの抜粋。

昭和40年(60年)、別府市の建物となり、別府市役所第二庁舎別府市役所南部出張所に
平成3年(91年)、レンガホールとして別府市民が利用する施設となる
平成8年(96年)4月、児童館になることが決定
同7月18日、別府市児童館開館
平成10年(98年)7月18日、国の登録有形文化財になる

参考文献は「別府近代建築史」とあり、さすが数多くの貴重な建築物を持つ別府市だ。年表を見る限り、別府市は時代の求めに応じて、建物の用途を変え、うまく活用していることが分かる。

内部の紹介に入る前に、外観を改めて紹介したい。正面、サイドを見ると、長方形の単純な形なのかと思いきや、そうではない。


旧逓信省別府電信電話局正面(GRD2)

別のサイドを回ると、まったく別の形が見えてくる。

2階建てながら、塔を持っており、中庭のようなものもある。角度によって、見え方が違うというのも、吉田鉄郎建築の特徴のひとつのようだ。

さて、中に入ってみる。1階は乳幼児から未就学児を対象にした「子育て支援センターわらべ」。靴のまま、入っていたら、「靴を脱いでください」と言われた。土足禁止だった。

フロアには幼児が楽しめる遊具や飾りがいっぱい。絵本を読んだり、オモチャで遊ぶことができる。中には大きな円柱が印象的だ。こどもは丸い形に親しみを持つと言われる。ドラえもん、キティちゃん、ディズニーキャラ。どれも「○」なのだ。円柱ならば、けがも心配も少ない。

天井部分を60センチほど下げて、そこに空調などを配管している。適正な温度設定がなされ、過ごしやすい。訪問した際はパパらしき男性と未就学児が遊んでいた。

絵本ルームは通常の床よりも少し高くなっている。聞けば、ここには元々、地下室があったが、現在は塞がれているのだという。

窓ガラスもほとんど当時のものがそのまま使われている。昔のガラスは厚さが均一ではなく、光が反射すると、すぐに分かる。職員が驚いたことがある。地震が起こった時、シャッターが突然、降りてきたのだ。それまで、シャッターがあることはまったく知らなかったそうだ。どんなシャッターが使われていたのだろうか?電機系のコントローラ部分も当時のものが残っている。

二階に上がってみた。階段の途中には張り紙があった。

「こんなところでおしっこをする子はここで遊べません」

笑ってはいけないのかもしれないが、笑ってしまった。

2階は乳幼児から中学3年までを対象にした「児童館」。図書館兼学習室と広いプレイルームだ。図書館と言っても、ゲームもある。インターネットにも接続できる。

職員の方はとても親切だった。「屋上を見せてもらえますか?」と聞くと、普段は立ち入り禁止の屋上を案内してくれた。フロアにはこどもたちが駆け回っていて、僕が撮影していると、10歳くらいの男の子が物珍しいそうに寄ってきた。
「ここ、好き?」と聞くと、「好きだよ。友達もいるしね」と笑顔を見せた。
「ここは最初、なんだったか知っている?」
「電話局でしょ」
そして、「屋上行くの? いいなぁ」と言って、まとわりついてきた。

残念ながら、男の子はここまで。職員の方と僕は屋上へ。隣の別府カトリック教会がよく見えた。


屋上から

僕ら「検見川送信所を知る会」が保存、利活用を呼びかけている送信所も、こんな風に活かせれば、と思った。

参考:別府市南部児童館HP

写真はすべてGRD2で。


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福山雅治はやっぱりスゴイ

いやあ、ビックリだ。「福山雅治が火をつけた?軍艦島熱~軍艦島クルーズ(2)」という記事を出した12日、アクセスのメーターが一気に上昇。普段はユニークアクセス250(/日)で推移している地味なブログが850(/1日)を記録した。


軍艦島クルーズでのショット(GRD2)

翌日の「磯崎新」の記事は。嵐が過ぎ去ったごとく、いつものブログだった。一体、何が起こったのか、とアクセスログを見ると、1つのサイトからのアクセスが集中している。

日刊ココログ・ガイド「今日のおすすめ」というものだった。今まで、存在すら知らなかった。ココログでは記事投稿の際に、いくつかのブログに更新通知できる仕組みになっている。ココログの編集部が面白いと思った記事をピックアップしているらしい。

思うに、福山雅治というスターと廃墟である軍艦島のミスマッチに面白さを感じていただいたのだろう。

記事の中身は、長崎のタクシーの運転手が福山雅治が軍艦島を紹介したら、軍艦島クルーズに行く若者の数が増えた、と話している、という内容だ。船会社に裏付けを取ったわけでもない。単なるウワサ話のレベル。ネタとしては面白いが、こういったものがピックアップされ、急にアクセスが増えるのだから、インターネットは怖いなぁとも思った。

それにしても、笑ってしまうのは、福山雅治効果うんぬんと書きながら、最も効果の恩恵を受けたのは自分のブログではなかったか、ということだ。やっぱり、福山雅治君はすごいのである。

ついでに書くと、福山雅治はライカ使いとしても知られる。写真家の田中長徳氏のエッセイにも福山のことが出てくる。ここはかなりあいまいだが、人づてに福山がライカを欲しがっているという話を聞き、長徳氏がアドバイスした。そして、福山はライカM4を買ったそうだ。確かブラック仕様だと思う。

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福山の写真展は残念ながら見たことはないが、ライカで撮られたものも多いようだ。

ここで邪悪な考えが思い浮かんだ。「福山雅治効果でライカブーム」と書いたら、どうなるか?

クラシックカメラ屋の店主が「最近、ライカを買う女性が増えているんですよ。福山雅治が『ライカはいい』と言ってからですよ」と話していた、と書くとする。どうなるか? インターネットというのは、つくづく恐ろしいメディアである。

この写真集は福山がライカで撮影したもの。評価は賛否両論分かれている。

福山雅治のグッズはこちら

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2008年8月13日 (水)

磯崎新の「大分」

今回の九州行きは濃密な4日間だった。長崎に行く前に大分に入った。目的は2つ。大学の後輩に会うこと。磯崎新の建築を見ること。

6日夜、羽田から最終便に乗り、大分へ。去年は物珍しさからホバークラフトで市内に入ったが、今回はバスを使う。なぜなら、ホバークラフトは3000円弱、バスは1500円。倍額違う。ホテルにチェックインできたのは午後10時だった。

何も食っていなかったので、翌日会う予定の後輩@nakayamakaoruに「美味しいラーメン屋教えて」とメールすると、電話がかかってきて、「ラーメンくらい付き合いますよ」という。言葉に甘えて、付き合ってもらった。15年ぶりの再会だが、ブランクも感じず、楽しい一時だった。

大分市は千葉市に少し似ている気がする。港があって、サッカーチームがあって、県庁所在地であり、中途半端な城もある。戦時中、空襲にあって、古い建物が残っていない。

そこで、大分出身の建築家、磯崎新の登場である。東大で丹下健三の研究室にいた磯崎は、地元財界の支援を受け、大分県医師会館で本格的にデビュー。旧大分県立図書館(現アートプラザ)、岩田学園などを手掛ける。


アートプラザ(ライカM3 ズマロン35mm)

長いスロープを渡り、二階から出入りしなければいけない市立図書館は不便極まりないと、利用者の評判は悪く、老朽化を理由に取り壊しの危機もあったが、地元建築家の保存要望をきっかけに、アートプラザとしてリニューアルオープンしたのは、既にお伝えした通り。これをきっかけに磯崎への再評価は高まり、市内には磯崎建築のおしゃれな案内板が多く見られる。


大分市推薦磯崎建築 アートプラザの看板(GRD2)

そんな大分と比べ、千葉市内は文化財の案内板は極端に少ない。そもそも、案内板自体が少なく、民主党の熊谷市議は増設を訴えている。

後輩に案内板のことを話すと、「そんなに進んでいませんよ。磯崎の建築も潰して、作り替えようとするのが大分の行政ですからね」と後輩@nakayamakaoruはいう。

確かにデビュー作、大分県医師会館は壊された。アートプラザとの対として作られたが、相棒的な存在。昨年は建築中だったが、保険会館が建っていた。こちらは民間だが、福岡シティー銀行大分支店跡にはホテルが建築中。ここ数年で大物2つがスクラップ&ビルドの波にのまれた。

それでも、我が千葉市に比べると、まだ文化の民度の高さを感じる。県庁前には磯崎作のオブジェがあると聞き、向かった途中には彫刻をいくつか見掛けた。案内板によれば、市民団体によって、きれいに研かれたものという。


平成の塔(GRD2)

フランシスコ・ザビエル像(ライカM3 ズマロン35mm)

磯崎建築では新たに作られた県立図書館を見た。こちらはキューブ状の建物で、外見はシンプル。正直言うと、それほど面白さはない。


大分県立図書館内部(GRD2)

ただ、中に入ると、また違った印象を持つ。光の取り入れかたが巧み。天井まである吹き抜けロビーは心地よい開放感と閉鎖性が共存している。


大分県立図書館内部(GRD2)

とはいえ、僕が見た磯崎建築の最高傑作はアートプラザに尽きる気がする。

磯崎はこんなチェアもデザインしている。


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磯崎新に関する過去記事一覧

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2008年8月12日 (火)

福山雅治が火をつけた?軍艦島熱~軍艦島クルーズ(2)

軍艦島クルーズは長崎港から出航する。料金は3300円。料金表やパンフレットには3000円という文字に横棒が引かれている(08年1月から値上げ)。軍艦島は現在、上陸禁止。島の周囲をめぐる観光船が出ている。

港へ向かうタクシーで、「軍艦島に行く」と告げると、運転手は「あの島は最近まで見向きもされなかったんですよ。福山雅治が写真展をやってからですよ、若い人が行くようになったのは」と話した。仕事柄、人や金の動きに敏感なタクシー運転手が「最近、軍艦島に行く若い人が増えた」というのだから、その数は相当なものだろう。


軍艦島クルーズに使われるマルベージャ2。定員370人(GRD2)

長崎出身の福山が今年4月、軍艦島の写真展「残響」を開いたことは知っていた。長崎市が町起こしを狙って、写真家としても知られる福山にオファー。端島への上陸許可を出した。福山が軍艦島を歩く様子は日テレ系ニュース番組「NEWS ZERO」にも特集された。

福山の影響力はすごい。それは大いに認める(過去記事↓)。

2007年8月 4日 (土)
福山雅治とヒロシマナガサキ

しかし、彼の力だけで注目されたわけではない。福山を軍艦島に結びつけたのは、軍艦島の歴史的な価値、建造物としての価値を訴え続けた市民である。


軍艦島。「土佐」に最も似ていると言われる角度から(GRD2)

軍艦島は大正、昭和期に海底炭鉱で栄えた小さな島で、島周辺をコンクリートで埋め立て、そこにアパートからスーパー、学校、映画館、神社など生活の全てに必要な施設を作った。都市の全てを詰め込んだ近未来的な建造群だった。特にアパートメントは日本最古のRCコンクリート建築である。


潮降り街付近(GRD2)


右手の建物が日本最古のコンクリート建築である30号アパート(GRD2)

しかし、1970年代、主要エネルギーが石炭から石油に変わったことから、74年に閉鉱され、島は無人化。建物だけがそのまま残された。

そのことが逆に幸いした、と言える。貴重な近代建築の多くは人の手によって、壊されている。しかし、軍艦島の建物群は潮風、台風などの影響で劣化、崩壊しているが、形は残っている。

今も造形美を残す建物は廃墟マニアによって、再発見され、やがて、建築家たちも、その重要性を唱えた。さらには03年3月、市民による「軍艦島を世界遺産にする会」が発足。海外からも専門家が訪れ、その重要性にはお墨付きも出た。

現在の所有者である長崎市は島内を整備し、観光地化を計画している。軍艦島クルーズは昨年、1万人を動員。その人気は既に一般にも浸透している。

忘れられた廃墟がここまで注目されたのは異例。世界遺産に登録されれば、画期的なことだろう。それも目前のところまで来ている。


クルーズではここまで軍艦島に接近する(GRD2)

僕が検見川送信所の保存活動を始めようと思い立ったのも、軍艦島の市民活動があったことが大きい。一時代を築きながらも、役目を終えたとされ、人々から忘れられようとしている貴重なコンクリート建築。どちらも状況は似ている。

検見川送信所も軍艦島と同様、新たな観光資源、施設として町を活気づかせる潜在力を持っている。

そのほかの軍艦島の写真はこちら

musenhozon.jpg

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2008年8月11日 (月)

祖父の島、高島・軍艦島~軍艦島クルーズ(1)

8月6日~9日まで九州を旅した。大分に入って、別府に移動。さらに長崎に2日間、滞在した。長崎に訪れたら、絶対に訪れようと思っていた場所がある。長崎港から船で約20分の沖合にある俗称・軍艦島だ。正式名称は「端島(はしま)」というが、シルエットが軍艦「土佐」に似ていることから、俗称の方が有名になっている。

僕の祖父は長崎で生まれ育った。祖父は元々、無口な人で、生前、長崎のことは語らなかったし、長崎に行ったという話も聞いたことはなかった。祖父は僕が大学の時に亡くなり、葬式は仏式で行われた。しかし、家にはローマ教皇のヨハネ・パウロ二世の写真が飾られていた。クリスチャンだった。

両親は父が定年を迎えた8年ほど前、祖父の足取りを追って、長崎を旅した。「ルーツ」を探る旅といえば、かっこいいが、観光もしっかりしたらしいけど。その旅のよもやま話で出てきた「軍艦島」という奇妙な地名だけが頭に残っていた。

僕も数年前、仕事で長崎を訪れる機会があった。軍艦島は大正から昭和にかけて、炭坑で栄えた人工の島で、とうの昔に閉鎖され、現在は無人ということだった。「高島」という島から軍艦島を見ることができると聞き、定期船に乗った。

高島も同じく炭坑で一時代は築いた小さな島。島を歩いていたら、初老の男性が声をかけてくれた。旅行者だと分かると、「30分もあれば、1周できるから」と車で案内してくれた。高島は長崎市に合併されるまで日本で一番小さな町だった。その中に神社もあれば、キリスト教会もある。学校もいくつもあった。「昔は何でもあったんだ」と男性は話した。

巨大な風車を眺めて、その先の小高い丘の上にある展望台から軍艦島を眺めた。確かに軍艦のようなシルエットで、もっと近くで見たいと強く思った。

しかし、この話には後日談がある。

千葉に戻って、しばらく経ってから、母親に「軍艦島を見てきたよ。おじいちゃんの島なんだろ」と告げた。
母は「違うわよ。住んでいたのは隣の高島っていう島よ」と言われた。なんてことはない、まさに、その島にいたわけだ。

軍艦島は依然、廃墟状態。一般人の上陸はできない。ただ、「軍艦島クルーズ」という周囲をめぐる観光船が出ている。今回、これに乗った。伊王島、高島を越え、軍艦島のシルエットが見える。その姿は今にも動き出しそうだった。


軍艦島。左手に見えるのは高島(GRD2)

グーグルマップで見る上空からの軍艦島

大きな地図で見る

(続く)

軍艦島に関する本やDVDはこちら

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2008年8月 9日 (土)

長崎原爆の日、爆心地を歩く


(GRD2 f8 1/290s ISO100)

8月9日午前11時2分、僕は長崎の爆心地にいた。帽子を取り、黙祷を捧げた。

この日、ピースウォークに参加。1本柱鳥居、長崎病院の爆風で傾いた門、被爆クスノキなど今も残る原爆の傷跡を歩いた。

ジローズが「戦争を知らない子どもたち」を歌ったのは1971年。僕は3歳だった。「戦争を知らない子ども」は40歳になった。僕よりも若い人たち、例えば、僕の娘は「さらに戦争を知らない子ども」ということになる。どんどん戦争が遠くなっていく。それはそれで幸せなことだと思う。つまり、日本は平和ボケできるくらい平和ということなのだ。

僕は長崎に特別の思いがある。

僕の父方の祖父は昭和初期まで長崎にいた。もし、1945年8月9日、僕がさっきまで立っていた場所近くにいたら、僕の父も、僕も、僕の娘も、この世にはいなかった。

長崎滞在中、被爆された77歳の男性の話を聞いた。当時、14歳、市内の中学校にいた。爆心地近くの自宅は倒壊していたものの、母親、2人の妹は無傷だった。一方、三菱の工場にいた父親は顔、腕にひどい大やけどを負った。しかし、2週間のうちに、母親、妹が相次いで亡くなり、祖母さえ諦めるほどの重傷だった父親は次第に回復し、仕事にも復帰できるようになったそうだ。しかし、その父親も16年後に肺ガンで亡くなった。肺ガンと被爆の関係は分からない、という。

戦争体験者には2つのタイプがある、という。戦争を語る者と、その凄惨な体験がゆえに口を閉ざす者。広島、長崎では平和運動が盛んだが、原爆を語る人が多かったわけではない、と聞く。被爆者の方はそれだけで大変な思いをされたわけだが、外見や結婚などでも差別を受けた。あえて語ることはしたくなかったそうだ。

しかし、一人が語り、また一人が語り、少しずつ増えていった。原爆を語ることこそ、使命と感じられたわけだ。

現在、被爆者の会、九条の会など平和活動されている方の多くは70歳を超えられている。大先輩たちは身をもって、戦争の悲惨さを体験し、次の世代に同じ思いをさせたくない、という思いを持っていらっしゃる。しかし、そうした大先輩たちも、いつまでもお元気でいられるわけではない。人間には寿命がある。

では、僕ら「戦争を知らない子どもたち」は何ができるのだろう? 

とはいえ、平和な日本で、平和を語ることは難しい。「九条を守ろう」と言えば、「左翼」だと思われる。「戦争で亡くなった先祖を慰霊するために靖国神社に行く」と言えば、「右翼」だと思われる。

「九条を守ること」は憲法を守るという話だし、靖国参拝は先祖の慰霊するためのこと。どちらも当たり前の行動のように思う。また、右だろうが、左だろうが、その根本には平和な国、平和な世界を作りたいという思いはあるはずだ。

偉そうなことを言える人間ではないのですが、平和のためにできること。それは、まず戦争とは何かを知ろうとすることじゃないかと思う。(もちろん、自分に言っているんですよ)。

↓世界では、これだけ戦争・紛争が起こっている。知っていましたか?僕は知りませんでした。
戦争・紛争地図

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検見川送信所の記事が8月9日付朝日新聞に

今、長崎空港にいて、出発待ちです。

旅のご報告もしたいのですが、検見川送信所に関するビッグな話題が届いたので、先にお知らせします。

送信所に関する記事が本日9日付の朝日新聞千葉版に掲載されたと聞きました。ご覧ください。

ここのところ、千葉日報、朝日マイタウン情報に取り上げられ、注目が集まっています。

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2008年8月 8日 (金)

別府

別府
今朝まで大分・別府にいました。駅の表示も楗温泉マークつき。

朝風呂に入って、朝食はバイキング。

「ソニック号」で小倉に向かい、小倉からは「ひかり」で博多へ、さらに「かもめ」で長崎に行くというスケジュール。九州横断である。

出かけに雨が降っていたけど、小倉に着く頃にはすっかり晴れ上がっていた。

東京人(千葉在住だが、生まれは東京なのだ)にとって、九州の電車はどれも新鮮だ。目新しいだけでなく、デザインがいい。

「ひかり」もおなじみのスタイルではなく、レイルスターというやつ。JR東海とは違って、喫煙席もあった。

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2008年8月 7日 (木)

「検見川送信所を知る会」の記事が7日発行の朝日マイタウン情報に掲載

7日発行の「朝日マイタウン情報」に検見川送信所を知る会に関する記事が一面で掲載されました。

朝日マイタウン情報は千葉市花見川区、美浜区などに宅配される朝日新聞に折り込まれるタウン紙です。朝日新聞購読の方はご注目ください。

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2008年8月 6日 (水)

「検見川送信所を知る会」が千葉日報で紹介されました

千葉県紙「千葉日報」7月27日付に「検見川送信所を知る会」関連の記事が掲載されました。

これは「検見川送信所を知る会」ホームページでも報告した「日本建築家協会関東甲信越支部による保存要望書提出」に関するものです。

千葉日報の記事はこちらにあります。

以下、千葉日報からの抜粋です。



旧検見川送信所 保存を
建築家協会が市に要望 「価値ある近代建築」

2008年07月27日14時55分[千葉エリア]

 日本初の国際放送を発信した旧検見川送信所(花見川区)の保存活用へ、社団法人日本建築家協会関東甲信越支部(東京都)は、市文化財として指定を求める要望・陳情書を市長、市教委、市議会議長あてに提出した。地域住民からも保存を求める声が上がっており、市は「専門家から見ても価値があるということで、現地調査も視野に検討したい」としている。

 同送信所は一九二六年、旧東京無線局の送信所として開局。三〇年には浜口雄幸首相のロンドン軍縮条約締結記念放送を日英米に同時発信し、日本初の国際放送となった。その後もオリンピックの全国中継など情報化社会の先駆的役割を果たしたが、七九年に閉局。九一年から市所有となり、土地区画整理事業で取り壊し予定のまま放置され廃虚と化している。

 東京中央郵便局など近代主義(モダニズム)建築の傑作を手掛けた旧逓信省の建築家・吉田鉄郎の設計で、丸みを帯びた外観に放物線状の窓など、機能美を追求した斬新なデザインが特徴。六月には、近代建物の保存に取り組む「DOCOMOMO Japan(ドコモモジャパン)」の二〇〇八年度選定建物に選ばれた。

 これらの動きから、同支部は支部長、支部内の保存問題委員長、県建築家協会長の連名で要望書と陳情書を提出。大正末期のモダニズム建築の出発点の一つであり、戦災で残った数少ない同時代の建築として価値があると訴え、保存活用に向けた市文化財として指定を求めている。

 保存問題委員会の委員で、住民のシンポジウムにも参加した若葉区の建築家、安達文宏さん(55)は「県や国で文化財指定してもいいレベル。所有者の千葉市がその価値に気付いてほしい」と話す。

 保存を訴え、昨年から見学会やシンポジウムを開いてきた市民グループ「検見川送信所を知る会」代表で同区在住、山梨英和短大名誉教授(情報文化論)の仲佐秀雄さん(78)は「地元町内会と協力して市への要望を検討していたところ。非常にありがたい」と喜ぶ。

 市は昨年度から地域文化財の登録制度を導入。市生涯学習振興課によると、市民から募集した地域文化財への推薦情報では、十七件寄せられたうち六件が同送信所を挙げていた。

 今回の要望を受け、同課は「秋ごろに予定している次回の文化財登録の審議会で報告したうえで、審議会メンバーの現地調査なども含めて検討したい」としている。



「検見川送信所を知る会」では8月30日(土)午後3時から、検見川公民館にて、イベント&シンポジウム「検見川送信所、文化遺産宣言」(仮題)を行います。内容の詳細は「検見川送信所を知る会」ホームページで随時、発表します。

実際に掲載された記事は「検見川送信所を知る会」ホームページで読むことができます。
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2008/2/23「送信所ナイト」の模様

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2008年8月 5日 (火)

検見川無線送信所の現状と未来~千葉市科学館の展示を発端に

「きぼーる」完成当時は「財政赤字の折に、ハコモノを作って」と否定的に思った。しかし、利用しなければ、本当に無駄なハコものとなってしまう。使わなければ、意味がない。

館内に検見川送信所に関する資料が掲示されているらしいと聞き、見に行った。場所は9階にあった。電波の歴史を知るコーナーで、短波、中波、長波の性質が紹介されている。短波のコーナーに、送信所の写真がある。


検見川送信所in千葉市科学館(GRD2,f2.4 1/32s ISO400)

市の最新施設で、検見川送信所の役割を紹介するということの意味は大きい。市側もその重要性を認識している、ということだ。

千葉市は送信所跡地を検見川中学校の用地と位置づけてきた。しかし、3月の市議会では教育長が「市民の方から同じく登録の要望をいただいております旧検見川送信所跡については、歴史的な価値を再検証するとともに、関係部局と協議してまいります」とした。

さらに6月の市議会では、山本直史市議(新政ちば)が市が確保している学校用地の状況、今後の見通しについて質問している。市側は送信所跡を含む4つの学校予定地について言及。児童推計値から判断すると、「現在のところ、学校建設の必要性はないと考える」と答弁した。(2008年6月21日付、千葉日報でも報道)。

送信所に関する千葉市の答弁を見ると、1999.09.30 : 平成10年度決算審査特別委員会(第4日目)での都市部長の発言がある。

これは中村公江市議(共産)の質問に答える形で行われた。

誤解のないように市議録から必要部分を多めに抜粋する。

中村公江市議(共産)「PTAや学校関係者,自治会の役員の方から,朽ち果てた旧検見川送信所の建物を何とか早く撤去してほしいと要望がありました。
 近くに住む方は,すぐそばの歩道を歩いて通勤,通学します。このほど,歩道に街灯がつきましたが,人通りは少なく,コンクリートの壁に囲まれ,築74年以上の廃墟となった建物は,薄気味悪く,治安上も好ましくありません。
 そこで伺いますが,1,この建物の管理者はだれなのか。
 2,住民の安全を守る立場で,早急に撤去するように求めます。」

都市部長「当該建物の撤去についてでございますが,本事業を進める上で支障となった時点で撤去する予定としておりますが,防犯上問題があるとの指摘もありますので,撤去の時期につきましては,今後の検討課題とさせていただきたいと存じます」。

中村市議の発言は検見川町の住民の声を受けてのもののようだ。現在、検見川町連合町内会は市に対して、送信所を地域文化財に指定するよう要望書を提出している。「取り壊してほしい」という考えから、「送信所=文化遺産」に変化している。

以上のことを考えると、中学校建設は必要なし、取り壊しの声もない。また、治安上に関しては、この発言の後、窓やドアを鉄板で固めており、その対策は済んでおり、6月の市教育委の発言は事実上の「取り壊し撤回発言」と取ることができる。

後は文化財として認め、これをどう守っていくかが焦点になるだろう。手前ミソになるが、千葉市側が態度を変えていった背景には「検見川送信所を知る会」の活動が発端になっているといっていい。

ただ、楽観視はできない。頑強なコンクリート造りで、基礎部分には問題はないだろうが、79年の閉局後、30年近く放置された建物の外壁は老朽化し、剥離している。また、専門家からは天井部分の水漏れが指摘されており、内部を見ないと、その劣化具合は知ることができない。そういった意味では一刻の猶予も許されないのだ。

しかし、希望はある。昨今、中央政界では政治不信が唱えられているが、千葉市では市民が動けば、市議、市はそれにきちんと答える、ということが分かった。

また、「検見川送信所を知る会」が主催したイベントには1会派を除き、すべての会派議員が強い関心を示し、送信所の存在を知って頂くことができた。市議たちは「とても重要なものだということは分かった」などとご自身のブログなどで報告されている。これを壊すべきだと考えている市議は今のところ、聞いたことがない。

検見川送信所を設計した吉田鉄郎氏の代表作である「東京中央郵便局」は郵政民営化の影響で高層ビル化が発表された。重要な文化財である建物が収益性の名のもとに解体の危機を迎えている。

今、「地方から世の中を変える」という言葉がいろんなところで叫ばれている。東京近郊にある千葉市も、やはり同じ「地方」のひとつである。

現在、廃墟状態にある検見川送信所が文化遺産として、地方自治体が認めらることがあったら、おそらく日本初の快挙であろう。そうなれば、東京中央郵便局の運命も変わる可能性があるのではないか。

それにはさらなる声が必要なんだと思う。

僕はまず、みなさんに検見川送信所がどんな建物なのかを知って頂きたい。その上で、どうすべきか考えていただきたい。千葉市最後の文化遺産、検見川送信所を次世代に残せるかは、千葉市民だけでなく、市外、県外、国外からの大きな声にかかっている。

廃墟が文化遺産になる。夢のある話だとは思いませんか?

「検見川送信所を知る会」では8月30日(土)午後3時から、検見川公民館にて、イベント&シンポジウム「検見川送信所、文化遺産宣言」(仮題)を行います。内容の詳細は「検見川送信所を知る会」ホームページで随時、発表します。

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2008年8月 3日 (日)

祭りを撮りに行く~検見川神社例祭2008

暑かったですね。本当は撮影デーと決めていたのに、すっかりだれてしまった。動き出したのは夕刻。初めて検見川神社例祭に娘を連れて行ってきた。

例祭の情報は「Go!Go!しんけみがわ! 新検見川地域情報」に詳しい。

夕刻から夜にかけての撮影なら、f1.4の明るさを持つノクトン クラシック40mmのテスト撮影に好都合。ライカM3にはめて出かけたのだが、帰り際に大失敗に気が付いた。

すべてレンズキャップをつけたまま、シャッターを切っていた(恥)。これまでもちょくちょく同じ失敗はしていたのだが、まさか…。レンズを通して被写体を見る一眼レフと違って、ファインダーが別になっているレンジファインダーはこの手の失敗が起こる。


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というわけで、以下はサブカメラとして持って行ったGRD2でのショット。デジカメとしては異例のf2.4の明るさを持つGRデジタル2も夜のスナップシューターとしても、かなりの威力を発揮する。

JR新検見川駅から検見川神社の境内を通って、商店街へ。普段は人通りが少ないが、この日は人、人、人。


雄々しい御輿が練り歩くと、かけ声と怒号が飛び、押すな押すなの大騒ぎ(GRD2、f2.4 1/45s ISO400)


山車の上からの菓子撒きでは、子供たちは手をあげてアピール。娘も2個ゲット(GRD2、f2.4 1/11s ISO400)


娘のお目当ては出店の買い歩き。フランクフルト、チョコバナナ、水飴などを楽しんだ(GRD2、f2.4 1/32s ISO400)


(GRD2,f2.4 1/32s ISO400)


(GRD2,f2.4 1/32s ISO400)

そのほかの検見川神社の写真はこちら


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旅の写真整理に、フィルムスキャナー~GTX-970

エプソンのスキャナー「GT-X970」の使い方のコツがだんだん分かってきた。

これは結構、使える。ネガフィルムの精度も相当なものだ。5025×3585で取り込んでいる。さすがにネットでは大きすぎるだろうから、1000×713サイズに縮小。クリックしていただくと、別窓が開きます。

写真は10年前に訪れた南仏カンヌ。コンパクトカメラで撮影したもの。よく見ると、フィルムに付着した細かな埃もスキャンされている(汗)。


南仏カンヌ

昔撮ったフィルムを整理するのにもいい。付属のフォトショップエレメントもフォトショップver.7と比べて、進化している。直感的で修正がしやすい感じだ。

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2008年8月 2日 (土)

90年代のモナコGP~GT-X970のネガスキャン

amazonでのレビューによると、GT-X970のポジフィルムのスキャン品質は高い、とあるが、ネガフィルムは補正が必要とある。

今後は、プリントショップに現像のみをお願いし、引き伸ばしたいものが撮れた時(そういうものには出会ったことがないけど)に、プリントを依頼しようと思っていた。ネガの品質も手間いらずではないと、困るのだ。

品質を比べるのには、既にフジカラーでCD化されたと、比較するのがいいのだけれど、手元にあるネガフィルムを引っ張り出してみた。

90年代(正確な年には不明だが、おそらく95年か96年だと思う)に訪れたモナコの写真が見つかった。5月のF1モナコGP予選が開催された時のものだ。以前はカメラに興味を持っていなかったので、普通のコンパクトカメラを使っていた。

ネガフィルムはポジと違って、反転されているので、何が写っているのか分かりにくい。早速、スキャンしてみた。

サイズは640×448ピクセル。無補正である。ネットで使うには十分耐えうる品質になっているように思える。


モナコ市街


マクラーレン

このほかの写真はこちらから


大きな地図で見る


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フィルムスキャナー「セイコーエプソン GT-X970」

エプソンのスキャナーGT-X970が届いた。

フィルムスキャンもできるスキャナーはニーズも多くないせいか、ネットでのレビュー、情報も少ない。

買った決め手の1つは、とある会社にあったからだった。その社では紙がほとんどで、フィルムスキャンはほとんどしていないそうだが、「業務で使っている製品ですからね、確かなものです」と担当者は言っていた。その会社で見たよりも実物は大きく感じた。パソコン周りをそれなりに整頓してから置き場を決めた。

ドライバーのセットアップは案外、時間がかかる。ソフトではフォトショップエレメントも付属している。ほかにEZCOLORというものも。フォトショップエレメントユーザーの特典として、購入割引もある。半額程度でフォトショップCSが購入できるそうだ。

GT-X970では、いろんなタイプのフィルムをスキャンできる。35mmのポジ、ネガ、ブローニー判、4×5フィルム、大判の8×10フィルム。取り込む時のサイズもネット用、プリント用など指定ができる。貯まったネガをデシタル化して、整理することもできそうだ。

とりあえずは先日、フジカラーのリバーサルフィルム、プロビアで撮影した1本をスキャンしてみた。ネットでは、違いがあまり分からないかもしれない。

1枚目は夕刻、後楽園の観覧車。一度、フィルムを落としてしまい、空に埃が付着してしまった。デジタル処理で消せるはずけど。2枚目はディズニーシー。3枚目は近所の小さな神社。

ピンホールカメラ ピンホールカメラ

ピンホールカメラ
神社(ライカM3 ズマロン 35mm プロビア100)

 

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2008年8月 1日 (金)

ブルーベリー熟しました

バックヤードに植えたブルーベリーの実が熟してきた。

キャップを替えて、新たな装いとなったGX100でマクロ撮影。GX200が出ても、まだまだ現役機だ。

ピンホールカメラ
ブルーベリー(GX100)

GX100はこちら

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