頓挫した検見川送信所の文化財への動き
検見川送信所に関する情報開示請求をしたことによって、いくつか新たに分かったことが出てきた。情報開示請求は市民に与えられた権利であり、行使しなければ、形骸化してしまう。手続きはそれほど面倒ではないし、疑問があったら、使ってみるのも手だと思った。
検見川送信所は10年前に文化財への動きがあったいう話を、ある市議から聞いたことがあった。
「10年以上も前だから、記録はないのでは」とも話されていたが、しっかり残っていた。
文化庁は平成8年に文化財保護法の一部改正を行った。登録文化財制度の登場だ。この制度改正に先駆け、全国でも文化財の見直しが進められ、千葉県でも、文化財の悉皆(しっかい)調査が行われた。その中で、登録文化財の候補が挙げられ、検見川送信所もその中にリストアップされたのだった。
千葉県教育委員会は平成8年10月18日、千葉市教育委員会宛に、登録文化財の照会を行っている。
候補となったのは次の3つであった。
1.千葉トヨペット本社(旧勧業銀行本店)
2.旧日本電電公社検見川無線送信所
3.旧川崎銀行千葉支店
これを受けて、千葉市側は登録文化財に不同意の旨、県に通知した。
平成8年11月15日決済の資料にはこう書かれている。
所轄課は都市局都市整備部検見川稲毛区画整理事務所。
「下記、同意できない理由を添付します
1.旧日本電電公社検見川無線送信所の取り扱いについて平成2年3月29日付けで教育長より、現在の状況を考慮し、施行者において検討する旨、回答を得ている
2.平成2年7月12日に教育委員会を含む市関係部局の協議において、検見川・稲毛地区区画整理事業において解体する方針で確認されている」
行政は前例主義でことが進んでいくというのはいうまでもない。千葉市は6年前の了解事項を理由に文化財として認めなかった。現在、文化財的な価値の見直しが進んでいるが、それがスムーズ、迅速といかないのは、前例主義に固執している面があるからであろう。
いずれにせよ、平成8年の時点では、再検討はされなかったようだ。つまり、議論の記録がない。
ただ、言えることは千葉トヨペット本社は後に登録文化財に、旧川崎銀行千葉支店は旧来の建物に新しい建物をかぶせるという「さや堂方式」で、千葉市美術館となり、さや堂ホールは千葉市指定文化財となった、ということだ。
では、これをさかのぼること6年前の平成2年、どんな議論が行われたのか? 当時の会議録を今後、明らかにしていく。文化課の認識はちょっとした驚きに値する。
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コメント
どんな驚きが待っているんでしょうか?(笑)
前例主義・・・嫌な言葉です。私のように開発業務だと前例なんて無いのが普通ですからね。ある意味対極にある考えです。
前例の時代と、現代が同じ状況であることは、今の時代難しいように思いますがね?
投稿: しぇるぽ | 2008年11月24日 (月) 19時47分
>しぇるぽさん
>どんな驚きが待っているんでしょうか?(笑)
会議録に関しては論評なしに載せようかと思います。
予断なしに、「驚き」とだけ書いた方がよいでしょう。
>前例主義・・・嫌な言葉です。私のように開発業務
>だと前例なんて無いのが普通ですからね。ある意味
>対極にある考えです。
彼らの仕事は、新しいものを生むわけではなく、慣例に照らし合わせて、慣例を守るのが彼らの仕事ですからね。英断というのは市のトップがしない限り、難しいのでしょう。
>前例の時代と、現代が同じ状況であることは、今の
>時代難しいように思いますがね?
その通りですね。今はどんな業種も、前例というものが効力を発揮しにくい。考え方の根幹が変わりつつある、というのが「今」という時代なんだと思います。
投稿: 久住コウ | 2008年11月24日 (月) 23時39分