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2008年11月 1日 (土)

逓信省を打ち負かした天才発明家・安藤博~ツェッペリン号報道の裏側で

検見川送信所が通信にかかわったものに、1930年8月に世界一周を成し遂げたドイツのツェッペリン号がある。「検見川送信所を知る会」のホームページの上部に、ツェッペリン号が動くバナーがあるのも、そういう理由からだ。


科学雑誌に載ったツェッペリン号の室内(昭和3年12月号「科学画報」)

同号には大阪毎日の円地与四松記者、大阪朝日のニューヨーク特派員、北野吉内記者が乗り込んだ。円地記者はこの後、作家、円地文子と結婚した人物。北野記者が書いた滞在記は後に教科書に載るほどの評判になった。

過去記事
2008年8月21日 (木)ツェッペリン号、79年前の衝撃

この時、朝日と毎日が連日、号外を打つなど壮絶な報道合戦を繰り広げることになる。飛行中から機内の様子を詳報ができたのは朝日だった。8月20日付けの夕刊(発行は19日夕方)で金華山沖を飛ぶスクープ写真を掲載し、その勝利を決定づけた。

ツェッペリン号の世界一周は日本だけでなく、世界中から注目を浴びていた。このため、事務連絡、祝電、報道とツ号の無線機は通信が止まることがなかった、という。

こんな状態であったから、報道の独占権を得たはずの2人の日本人記者も、無線を使うことも、ままならなかったという。どちらの社も、通信文字数には制限が課せられていた。条件はほぼ同じだったと推測される。

では、なぜ朝日は数々のスクープをモノにできたのか?そこが僕もナゾだった。

それには、その昔、天才少年と騒がれた電波研究のパイオニアである当時27歳の発明家、安藤博(後の安藤研究所理事、1902~1977)という男の存在fがあった。その経歴を見ると、華々しいが、その業績は現在、あまり伝えられていない。

滋賀県生まれの安藤は小学生の時に無線電信の発明者マルコニーの伝記を読んで感動し、無線の可能性に興味を抱いた、という。さらに当時、無線研究の第一人者だった逓信省の鳥潟右一博士の専門書に刺激を受け、博士を訪ねて、上京した。

明治学院中学(旧制度)に在学中の1919年、多極真空管を発明し、特許を得た。「多極真空管」はこれまであった「三極真空管」を改良し、より安定した電波を発振することができた画期的な発明だった。当時の新聞では、「日本のエジソン」「東洋のマルコニー(送信機の発明家)」と騒がれた。

早大在学中の1921年には日本初の私設無線局を開設。これは、東洋一の大電力無線局と言われた検見川送信所が開局する5年前のことだった。

「朝日新聞社史」によれば、朝日はツェ号が発する無電を中央電信局よりも早く受信する方法を研究していたそうで、安藤に白羽の矢を立てたのだ。

安藤が開発した受信機は朝日の期待以上の力を発揮した。「8月15日にはモスクワ上空にあるツェ伯号の所在を確かめ、16日午前7時にはヨーロッパ・ロシアの上空からの発信を完全に受信した」(「朝日新聞社史」P328)

落石局がツェ伯号の無線をキャッチしたのは8月17日午後9時半、シベリア上空にいた時で、逓信省の技術を遙かにしのぐ高性能だった。逓信省では「ツェッペリン号との交信は失敗だった」と分析しているが、エリート集団が個人に負けたのだから、通信史から消してしまいたくなるのも理解できる。

朝日は北野記者からの短い英語電文と安藤がキャッチした情報を元に、東京朝日社会部長が書き加えることで、より詳細な記事を書くことができたのだった。

毎日は朝日の記事を読んでは「どうして、こうも質が違うのだ?」と船上の円地記者に小言を言ったり、激励したりもしたという。その応答までもキャッチしていた、というから、かなうわけがない。円地記者の能力が劣っていたわけではなかった。

日本に姿を見せたツェッペリン号のスクープ写真をめぐる逸話も面白い。

当初の航路はヤクーツクから中国・東北地方を抜けると見られていたが、8月19日午前2時、東京無線局はツェ号がサハリン上空北緯48度にあることを確認。続いて、北野記者が「苫小牧を経て、太平洋に出る」と打電。しかし、位置は確認することができなかった。しかし、函館通信部から「ツェ伯号は午前7時25分渡島半島を通過し、内浦より太平洋に出た」との一報が入り、号外を発行した。


大きな地図で見る

他社のほとんどは新潟通過説を取って、飛行機を待機させていたが、朝日は他社を牽制するためにダミーで新潟に飛行機を1機を残し、仙台に2機、霞ヶ浦に3機を待機させていた。まさに総力取材であった。

中央気象台はツェ号に向け、同方面の気象情報を提供していた上、北野記者からは暗号電報「スカーティング・ダウン(スカートのように南下するの意味)」が届いていたからだった。

函館の第1報を受け、仙台に待機していた「義勇号」は飛び立ち、有視界飛行の末、釜石沖でツェ号の姿を発見し、スクープ写真となった。ツェッペリン号をめぐるスクープは天才が発明した受信機と、朝日のチームプレーの力で生まれた、と言える。

安藤はその後、業界の妨害を受けながらも特許を獲得。その技術は松下幸之助によって、高く買われ、日本の無線技術やラジオの発展に寄与した。安藤はNHK設立の発起人の一人でもあり、テレビの開発にも力を注いだ。これもあまり知られていない逸話だろう。

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コメント

ドラマチックなお話ですね。

私の技術も、レベルこそ違いますが、1技術者個人が大手を出し抜いた・・・とも言えるので、妨害もありそうです(笑)

松下幸之助のようなパトロンが出てきてくれればいいですけどね♪朝日のようなメディアの味方も必要ですね。

投稿: しぇるぽ | 2008年11月 2日 (日) 08時00分

>ドラマチックなお話ですね。

ツェッペリン号の報道をめぐっては、朝日が圧勝というのは以前、調べて分かったのですが、どうして圧勝できたのかはずっとナゾでした。

こうして読み解くと、総力を挙げた情報戦であったのですね。その企業同士の闘いの中に、安藤博という、一人の発明家が大きな役割を果たした。面白いですね。

>私の技術も、レベルこそ違いますが、1技術者個人
>が大手を出し抜いた・・・とも言えるので、妨害も
>ありそうです(笑)

安藤さんの場合、7年くらい特許は降りず、その間、外国からも国内からも、いろいろと妨害を受けた模様です。

ネット検索すると、いくつか記事が出てきますよ。面白いので、読んでみてください。

>松下幸之助のようなパトロンが出てきてくれればい
>いですけどね♪朝日のようなメディアの味方も必要
>ですね。

松下がオールライツを買い取って、国内で自由に使えるようにしたようです。この安藤さんの話を読むと、特許を取るのも、なかなか難しいようですね。しぇるぽさんの幸運を祈っています。

投稿: 久住コウ | 2008年11月 3日 (月) 09時48分

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