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2008年11月 7日 (金)

「ラヂオの時間」★★★★

●和製ニール・サイモンが描く愉快な時間

「古畑任三郎」「王様のレストラン」の三谷幸喜の初監督作品。ラジオ局のスタジオを舞台に繰り広げられるシチュエーション・コメディ。 出演は唐沢寿明、鈴木京香、西村雅彦。

 

誰もが知っている三谷幸喜だが、普段、テレビドラマをあまり見ない僕は「古畑任三郎」のいくつかのエピソードを見たくらいだった。中原俊監督の「12人の優しい日本人」の脚本家であることも知らなかった。そして、なるほどな、と思った。

彼のホンの下地は古き良きアメリカ映画。 「12人の優しい日本人」はそのまま、シドニー・ルメット監督の「十二人の怒れる男」。「古畑任三郎」はカミさんのいない「刑事コロンボ」、笑いのペーストはビリー・ワイルダー監督、脚本家のニール・サイモンに通じるものがある。それらに共通するのは人間に注がれる優しい視線である。

 

三谷の殺人事件には、猟奇的なものは登場しない。殺す方にもそれなりの理由がある、というのを描いているように思える。時に犯人は人間的なささいな失敗をし、和製コロンボである古畑の執拗な追求にしっぽを捕まれてしまう。

三谷の本は優秀な前人のマネと言ってしまえば、それまでだが、彼らのテーストをうまく受け継ぎ、成功した日本人演出家はほとんどなく、むしろ、ここは後継者として迎えたい。

初監督作の題材に「ラジオ」を持ってきたのも、実にユニークだ。舞台からテレビ、そして、映画という新しい場を求めた男がまったく違うメディアを描くという試みを高く買いたい。

この辺のチョイスもフツーの映画監督にはないセンスではないだろうか? 一瞬、「おれは何でもできるんだ」という見せつけにも思えるが、三谷幸喜は脚本家でもなく、演出家でもない、表現者・三谷幸喜として成り立っているのだろう。

映画に登場するラヂオの人々は実に愛すべき人々である。しょうもない物を作っているという自覚を持ちながらも、時間と予算、役者のわがまま、など諸事情に押しつぶされ、自ら作品を汚してしまうクリエーターたち。ディレクター、プロデューサー、録音マン。彼らのジレンマを見事に描いている。それは時として、表現者・三谷自身の言い訳にも見えて笑える。 (97年11月25日、渋東シネタワー4)

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コメント

あのぉ~・・・・最後に1つだけよろしいでしょうか?

コロンボ刑事の決り文句ですが、古畑任三郎も同じような台詞を使っていましたね。といっても私も数話、それもちゃんと全部見たことはないんですけれど(笑)

彼の映画も未だちゃんと見たことは1本も無いんです。彼の作品は活字で何点か読みましたが、活字なのにお腹をかかえて笑ってしまいましたから、映像になったら大変でしょうね♪

投稿: しぇるぽ | 2008年11月 9日 (日) 07時55分

>しぇるぽさん

この記事は11年前の97年当時に書き、ホームページに掲載していたものですが、今、載せると、コメントがいただけるんですね。

ホームページからブログへ。時代の移り変わりを感じます。

>彼の映画も未だちゃんと見たことは1本も無いん
>です。彼の作品は活字で何点か読みましたが、活字
>なのにお腹をかかえて笑ってしまいましたから、映
>像になったら大変でしょうね♪

僕も三谷さんのテレビドラマはあまり見ているわけではないのですが、映画はほとんど見ています。「ラヂオの時間」は面白かったですよ。

朝日新聞ではエッセーを連載されていますね。

投稿: 久住コウ | 2008年11月 9日 (日) 13時11分

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