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2008年11月20日 (木)

毎日新聞千葉版に「検見川送信所を知る会」の9段記事

送信所ナイト2008/2/23

11月20日付の毎日新聞の千葉版に「検見川送信所を知る会」の取り組みが大きく紹介されました。これで朝毎読の3紙で紹介されたことになります。このほか、これまで東京新聞、千葉日報にも掲載されています。

千葉遺産:/26 検見川送信所 モダン建築の魅力 /千葉

 ◇廃虚を「夢拓く場」に
 日本で初めて外国向けの無線放送を成功させた逓信省(当時)の「検見川送信所」(千葉市花見川区)は、1926年の開局当時、最先端の技術を誇る電波の研究施設として活用されていた。しかし、79年の閉鎖後は、荒れ地に取り残された「廃虚」となり、「心霊スポット」として名高い場所になってしまった。ここ数年、送信所の歴史的、建築的な価値が見直され、「廃虚を文化遺産に」という声が高まっている。【斎藤有香】

 JR新検見川駅から住宅地を海側へ歩くと、整備された遊歩道の向こうに荒れ地が現れた。ススキが生い茂る中に、くすんだコンクリート壁の異様な雰囲気を醸し出す建物が見える。

 面積1375平方メートルの敷地に高さ約13メートルの建物(2階建て)が1棟。「あれが検見川送信所です」。取材に同行してくれた「検見川送信所を知る会」代表、仲佐秀雄さん(78)=千葉市花見川区瑞穂=が指さした。お世辞にも、「文化遺産」のイメージとは、ほど遠い外見ではある。

  ◇    ◇

 送信所開設のきっかけは1923年に発生した関東大震災。関東一円の有線通信網が壊滅したことから無線放送の必要性が指摘され、逓信省が設置した。

 我が国初の海外向け国際放送を送信したのもこの施設。30年10月、国際協調を掲げていた浜口雄幸首相が、ロンドン軍縮会議を記念して米英に向けた交歓スピーチを送信したのが日本で初めての国際無線放送とされる。周波数は7880キロヘルツ、出力10キロワット。「北米大陸まで届くように」と、高さ45メートルのアンテナ6本が建てられた。

 昭和初期に北海道や九州で台風などの災害が起きて陸上の電話通信が途絶えた時は、送信所の無線技術が大いに役立った。戦時中は軍用通信の基地として使われた。戦後は日本電信電話公社(当時)に移管されたが、衛星放送などの技術が発達し、79年、送信所はその役目を終えた。

 閉局後、敷地を所有していたNTTから千葉市が建物と土地(5・3ヘクタール)を買い取った。中学校の建設予定地だったが、少子化で建設計画は延期に。放置された土地は荒れ、残された建物は少年たちのたまり場となった。事故防止のため、窓はすべて鉄板でふさがれ、周辺住民に「不気味な建物」と言われるようになった。

  ◇    ◇

 00年に同市花見川区に引っ越してきた仲佐さんも、偶然送信所を目にした時「何とも言えない、変な場所だ」と思った。しかし、長く日本民間放送連盟(東京都千代田区)の事務局長を務めた仲佐さんは、送信所の歴史に興味を抱く。

 インターネットで送信所について調べてみると、「廃虚」「心霊スポット」として紹介されている一方で、建物の設計者がJR東京駅前にある「東京中央郵便局」などを手掛けた故吉田鉄郎氏(1956年死去)とわかった。「送信所についてもっと詳しく調べてみたい」と仲間を募ると、地元の人たちにとどまらず、画家や写真家など約60人が参加、07年8月、「知る会」が発足した。

 仲佐さんの案内で、送信所に近付いてみた。よく見ると、建物の角がすべて丸みを帯びている。「これはアールという建築の特徴の一つです。建築のことはよく分からないが、何となく触ってみたくなるような気持ちになるね」と仲佐さん。確かに、じっくり見るほど不思議な魅力がわいてくる。

 無線機械を冷やすための給水塔や、雑草の間に見え隠れする鉄柱跡を探し当てていくうち、かつて空にクモの巣のように張り巡らされていたであろう電線と、その中で白亜に輝く送信所の姿が目に浮かぶ。仲佐さんは「研究所として栄華を誇ったが、荒廃して『廃虚』と呼ばれた。しかしまた、価値を見直そうという機運が高まっている。この建物にまつわる時代の流れの変遷が面白い」と語る。

  ◇    ◇

 送信所の歴史と、モダニズム建築という近代建築様式が評価され、送信所は国際的な建築保存団体「ドコモモ・ジャパン」(代表=鈴木博之・東京大大学院教授)の07年度重要建築に選定された。「知る会」は今年9月、送信所の保存と活用、周辺整備を求め、要望書を市に提出した。要望書は市議会で審議され、市は「跡地利用を含めて保存を検討したい」と回答した。仲佐さんは「取り壊し寸前だった状況から考えると、大きな前進」と評価する。

 「知る会」会員で、電電公社検見川送信所技術課職員だった岩佐悦次さん(60)は、送信所の活用方法について「送信所を子供たちに開放して、電波を利用した技術に親しむ施設に」と提案する。「無線は現在の通信技術の原点。通信の原理を知って、自分の発信した情報が世界中につながる感動を得られるような、夢を拓(ひら)く場所になればいい」と話した。

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 ◇行こうョ!千葉遺産
 所在地は千葉市花見川区検見川町5の2069。JR総武線新検見川駅、または京成電鉄千葉線検見川駅下車、徒歩10分。建物は閉鎖されているため敷地脇の遊歩道から見学が可能。

毎日新聞 2008年11月20日 地方版

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コメント

快挙ですね! 日刊紙にここまで大きく取り上げられたのも久住さんはじめ、関係する方々のご尽力があってのこと。
次から次へと大きな動きが出てくるので、Webの方も更新のし甲斐があります。

投稿: まさやん | 2008年11月21日 (金) 00時43分

まさやんさん

>快挙ですね! 日刊紙にここまで大きく取り上げら
>れたのも久住さんはじめ、関係する方々のご尽力が
>あってのこと。

これは、文中にも登場される仲佐さん、岩佐さんが取材対応されたのですが、これまで報道されたのは、知る会のメンバーの熱が少しずつ伝わっている、という結果なんでしょうね。

少しずつ、近づいているような気がします。みんなで頑張りましょう!

>次から次へと大きな動きが出てくるので、Webの方も
>更新のし甲斐があります。

更新の方はお手数をおかけしますが、よろしくお願いします。

投稿: 久住コウ | 2008年11月21日 (金) 08時41分

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