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2009年1月27日 (火)

知るということ、考えるということ

口は災いのもと、とはよくいったものだ。

昨日の「花見川区にもう一つの図書館を作る会」との合同定例会で、「検見川送信所を知る会」のネーミングの由来について話した。

「知る会」というネーミングは案外、いろんなところで誉められる。保存する会、守る会でないところがいい、というのだ。

「守る会、考える会では敷居が高い。気軽な気持ちで入れるように、『知る会』にしました」と話したら、会場から苦笑が漏れた。

その理由は、会の終了後にすぐ分かった。

「作る会」の上部組織は、「千葉の図書館を考える会」だという。

慌てて、
「送信所はその存在を知らなかった人が多いですが、図書館はみんな知っていますから、『考える会』でよいと思いますよ」と弁解した。冷や汗ものである。

「知る会」という名前は、図書館がなければ、生まれなかった。

送信所は忘れられた建物だった。そこに存在していたのに、開発からも取り残され、ひと昔は地域住民から撤去してほしい、という要望さえ出ていた(現在は保存要望が出ている)。

こんな存在であった送信所を、いかに話題にするべきか。答えを求めて、地元の図書館に出掛けたのだ。

そこで目に止まったのは「建物が残った―近代建築の保存と転生」という本。

磯崎新による旧大分県立図書館の保存利活用の記録であった。図書館は大分出身の磯崎の貴重な初期作品であったが、老朽化とバリアフリーではないことを理由に取り壊しの話が持ち上がる。それを新聞で知った建築家が異議を唱え、「大分県立図書館を考える会」が結成される。

保存が目的だが、あえて、「保存する会」とはしなかったという。建物の保存には必ず、賛否がある。保存する会にしてしまったら、取り壊し派の声は聞けなくなるからだという。

ともかく、保存派、反対派がひとつのテーブルについて、忌憚ない意見を言い合う。そんな場所にしたかった
のだという。

その意図は見事に成功し、旧大分県立図書館は「アートプラザ」として蘇り、磯崎新による新県立図書館が別の場所に作られた。建物の保存と再生の好例であった。

2008年8月13日 (水)
磯崎新の「大分」

「知る会」が「保存する会」としなかったのは、アートプラザをめぐる活動があったからだった。面識はなくとも本は教えてくれる。

僕らは建物の専門家ではない。「考える」というと、少し難しそうである。「考える」の前のステップである「知る」がふさわしいのではないか、と思ったわけである。送信所とは何かを知れば、自然と考えるものではないか。

07年10月に行った第一回のイベントは朝日新聞に報道されたこともあり、台風にもかかわらず、多数が来場し、フリーディスカッションでは自然と建物を保存しようという声が上がった。

「千葉の図書館を考える会」会報には千葉の図書館の予算削減の話が載っている。原因は千葉市の財政の悪化である。レポート筆者は、まずはそれらを知ることが大事だと結んでいた。

まったく同感だ。自治体の財政は市民の知らないところで悪化している。いや、実は知らないのではない。情報はある程度開かれている。知りたかったら、情報公開制度もある。僕らは知ろうとしない。無関心だったのだ。

何かを「知る」という意味では、図書館は格好の施設である。図書館は市内在住者、市内で働く人々に開かれている。そこには新聞もあり、最新情報も知ることができる。知りたい情報を探し当てられない時は、ライブアリアン(司書)に聞けばいい。

不況に入り、「知」が求められる時代に入った。今回の経済危機は100年に1度といわれる。しかし、みんながアイデアを持ちよれば、必ずその危機は乗り切られる。「アイデア」=「知恵」はまずは「知る」という漢字から始まるのだ。

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