« 「検見川送信所を知る会」によるお話と映写会レポート | トップページ | ウルトラワイドヘリアーの真価 »

2009年5月28日 (木)

講演「検見川送信所をめぐって」@「千葉市の図書館を考える会」主催の学習会

5月27日午前に行われた「千葉市の図書館を考える会」主催学習会で、僕が話したことを以下、採録しました。

「千葉市の図書館を考える会」にお招きいただき、感謝申し上げます。
「検見川送信所をめぐって」と題して、約30分お話させていただきます。最後までおつきあいください。

稲毛区で行われる「千葉市の図書館を考える会」主催の学習会ということなので、以下3点に絞ってお話いたします。一つめは図書館建築、二つ目は稲毛の近代建築、最後に廃墟についてです。建築についてはプロではないことをあらかじめ申し上げます。

検見川送信所はドコモモ135選に選定されています。検見川送信所が選ばれたのは、吉田鉄郎の初期の貴重な建築であり、唯一、日本に残っている送信施設ということもありますが、市民が取り組んでいる保存運動へのエールを送りたい、という意味も込められていると聞きました。とてもありがたいことです。

「ドコモモ」というのは一般に聞きなれない団体かと思いますが、Documentation and Conservation of buildings,sites and neighborhoods of the Modern Movementの略。公式ホームページの説明によりますと、「モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織」という意味です。設立は1988年、本部と40ヶ国以上に設けられた支部となりたっています。

ドコモモジャパンはその日本支部で、1998年に日本建築学会歴史 意匠委員会の下に設けられました。同年から日本の近代建築20選を選定しまして、以後、年に10程度の優れた近代建築を選んでいます。

この135選には、千葉県内の建物は3つあります。

千葉県立図書館
検見川無線送信所
大多喜町町役場


「図書館を考える会」の方々にとっては千葉県立図書館というのはおなじみであるかと思います。1968年、大高正人設計。

送信者 summron35-kodakuc

県立図書館は市立図書館にはない蔵書もあり、私も「吉田鉄郎作品集」という貴重な本を借りたことがあります。 ユニークな形だとは思いましたが、コンクリートの外壁が汚ないなぁというのが正直な感想でした。ここが貴重な建物であることは、「知る会」の活動をしていなかったら、認識していなかったと思います。ただ、よく見ると、いい建物なんですよね。コンクリートのモダニズム建築というのは、レンガ造りとは違って、よさが分かりにくいものであります。

送信者 summron35-kodakuc

国土交通省の調査結果なのですが、「千葉県における近代建造物の解体状況」というものがあります。千葉県教育委員会が平成5 年に調査した近代建造物93 棟のうち、平成18 年2 月現在21棟(約23%)が解体されているそうです。

こんな例は千葉に限ったことではありません。そんなことを顕著に表しているのが次の例です。

ドコモモ選定82の「旧大分県立中央図書館」(1966年)です。 日本を代表する建築家、磯崎新の初期の代表作と評価されています。

送信者 大分

磯崎は1960年、大分医師会館の設計で正式デビューしています。それから、6年後の作品です。磯崎は当時、東京大学の丹下健三の研究室に所属していました。ちょうど1964年の東京オリンピックの準備が一段落した頃だったようです。

そんな時に「美術手帖」という雑誌に「孵化過程」という建築論を発表しました。
「都市とは変動のプロセスそのものである。その生成には始まりも終わりもない。時間は途切れることなくつながっていて、時々に現れ出る姿は未来都市でもあり、廃墟でもあるのだ」という内容で、ギリシア神殿の廃墟の絵に近未来図を重ねたモンタージュも掲載したのです。

同時期、大分県立中央図書館の設計を依頼されます。当時は駆け出しでしたが、磯崎の父は大分の名士だったのでした。しかし、大学生の時に病気で亡くなり、父の友人、大分財界の人々が磯崎を後押しをしたのです。

大分県は見切り発車で、場所は決まっていましたが、予算も規模も決まっていないという状態。磯崎は大分県の当時人口124万人から予想される利用者数と蔵書数を計算して、予算をはじき出しました。さらに、閲覧室や書庫、設備の機能を縦にも横にも伸ばしていけるように構造を設計したそうです。

つまり、さきほどの「孵化過程」の実践版だったわけです。

磯崎は少年期、空襲で焼け野原になった大分で終戦を迎えます。それが磯崎にとっての原風景であり、一時、廃墟の絵ばかりを書いていた時期もあるんですね。

送信者 大分

断面は「成長」と「切断」をイメージしています。大分の人口が増え、蔵書が増えれば、建て増ししてやろうと考えていたわけです。

すべては順調だったわけですが、うっかりミスで、ボスである丹下の許可を得ず、設計を発表してしまいます。これ一研究員としては出すぎたことで、研究室を出て、独立しなければならなくなります。磯崎の個人史においても、重要な建物です。

磯崎の設計事務所は「磯崎新アトリエ」というのですが、「アトリエ」とつける建築家はこれまでいなかったそうで、こんなエピソードでも磯崎の芸術への傾倒ぶりが分かりますね。

ところが、92年秋に取り壊しの話が持ち上がります。建物自身が老朽化したというよりは、書籍の収容数が限界に達し、建物の構造的にも今日的ではない(階段が多いなど)という機能面が大きいようです。

鈴木博之東京大学教授の新聞コラムが書きました。磯崎も「所感」を発表します。無念さと愛着を滲ませますが、しばらくは推移を見守ったのです。

磯崎の考えはこうでした。
建物は既に引き渡し済み。
「取り壊しか」「保存か」それを考える主体は県民、市民にあるとゲタを預けたのです。これには、建物を取り壊そうとする自治体への牽制も多分にあったようです。

続いて、日本建築学会が保存要請を行い、「大分県立図書館を考える会」が発足。 「千葉市の図書館を考える会」と同じ、考える会なのですが、実はここがミソなんです。

建物の保存活動では「○○を守る会」とか「保存する会」とつけるのが一般的らしいのです。ところが、「保存しろ」という人がいる一方、「取り壊せ」という人もいる。意見が割れるんです。建築の世界で働く方でも、壊せば、新たな建築という仕事が舞い込んでくる。建築業界を考えれば、適度に循環した方が経済効果があるわけです。

ところが、最近の建築家の方々は「取り壊せ」と言わない。古い建築を残すことが大事だとおっしゃる。社会への意識が高いんですね。

ともかく、「考える会」とすることで、保存派も取り壊し派も同じテーブルについて話し合う場を作ろうとしたそうです。

先ほどは奇麗事を言いましたが、やっぱり、建築業界の意見も割れます。自分の建築を残したいというのはエゴだ。という人もいます。

ある建築家は「建築物にも死の美学、崩壊の美学がある」といったそうです。

これに、建築家の西岡弘氏が反論しています。

「建築を脳死の状態で置いておいても、しかたないという書き方をされていましたが、僕は脳死状態でも何とかして生かしておきたいという気持ちがある。ご本人もいろいろ苦労して、それで亡くなっていくのが死の美学だと思うのです。それをもう機能しないからということで、その生命維持装置を取ってしまう。これは死の美学ではない。単なる暴力だ」
と、かなりの論争に発展します。

しかし、この声に動かされ、行政が動きます。大分県は大分市に譲って、新たな施設として再利用をしようという話がまとまります。95年には県が市に無償貸与します。再び磯崎の手によって、リニューアルのための設計がなされ、翌96年から工事が始まります。

運営にあたっては条例も定められ、98年からアートプラザとして、再生。

アートプラザ内部 大分
送信者 大分

市民アートの展示のほか、制作の場として親しまれています。3階部分には磯崎氏の作品模型、パースなどを常設展示。

「スクラップ&ビルド」の運命に晒されている近代建築の新たな可能性を提示したといえると思います。磯崎氏の初期の傑作がこのようにして残され、活用されたのは大きな事件です。磯崎建築の見直しが進み、市では磯崎建築散策マップも用意しています。

こちらは1995年竣工の新・大分県立図書館。こちらも、磯崎が手がけました。キューブ状の建物で、外見はシンプル。正直言うと、それほど面白さはない。

送信者 大分

ただ、中に入ると、また違った印象を持ちます。光の取り入れかたが巧み。天井まである吹き抜けロビーは心地よい開放感と閉鎖性が共存しています。

送信者 大分
送信者 大分

ドコモモ選定建築では、 神奈川県立図書館・音楽堂(前川國男 1954年)もあります。ここにも見学に行かれた方はいるのではないでしょうか。建物から図書館を見るというのも面白いのでは、と思います。

●別府南部児童館

 大分つながりで、次は別府です。こちらにも利活用の成功例があります。送信所と同じ吉田鉄郎の設計です。
 旧別府電信電話局(昭和3年、鉄筋コンクリート造2階建外装タイル張り)は逓信省の建築物です。

送信者 大分

サイドは窓と雨どいの配列が絶妙。2列の窓の両サイドにある雨どいが引き締める。デザインの一部として組み込まれています。

送信者 大分

 ここは電話局としての役目を終えた後、別府市が譲り受け、庁舎となり、現在は別府市南部児童館になりました。
 近代建築の保存の方法にはいくつかのパターンがあります。
①オリジナルな状態を完全な形で残す
②オリジナルな状態を生かしながら、現代風にアレンジを加える。
 旧別府電報電話局は②のパターンで、平成10年7月18日、国の登録有形文化財になりました。
 さて、中に入ってみましょう。

1階は乳幼児から未就学児を対象にした「子育て支援センターわらべ」。フロアには幼児が楽しめる遊具や飾りがいっぱい。絵本を読んだり、オモチャで遊ぶことができる。

送信者 大分

 絵本ルームは通常の床よりも少し高くなっている。聞けば、ここには元々、地下室があったが、現在は塞がれているのだそうです。入ってみたいものですね。

送信者 大分

 窓ガラスもほとんど当時のものがそのまま。昔のガラスは厚さが均一ではなく、光が反射すると、すぐに分かります。

送信者 大分

 2階は乳幼児から中学3年までを対象にした「児童館」。図書館兼学習室と広いプレイルーム。図書館と言っても、ゲームもある。インターネットにも接続できるなど最新鋭。
 フロアにはこどもたちが駆け回っていました。撮影していると、10歳くらいの男の子が物珍しいそうに寄ってくました。
 「ここ、好き?」と聞くと、笑顔を見せました。子供たちは元電話局であったことも知っています。歴史はしっかり次代に受け継がれているなぁと思いました。

送信者 大分

●旧別府市公会堂

 別府市は大正13 年(1924年)に市制を施行しました。その際、「泉都別府に公会堂がなきは一大欠点とする所なり」との声が上がり、別府市公会堂建築の話が持ち上がりました。

送信者 大分

 当時の助役、笠置雪治氏の知人が吉田の恩師だったことから、白羽の矢が立ったのです。
 吉田は大正15年(1926年)4月に設計を開始しました。ちゃんと記録が残っているんです。
 ちょうど検見川送信所の竣工を見届けた時期です。
 スウェーデンの代表的な近代建築「ストックホルム市庁舎」(設計ラグナル・エストベリィ)に深く感銘を覚えていた時期で、その影響が見て取れる、と言われています。
 昭和2年に着工し、翌3年3月に竣工。総工費は当時43万円。
 外観は老朽化しています。遠くから見ると、一瞬、鉄筋コンクリートなのかと見間違うが、飾りレンガが施されている。その配列も一風変わっている。

送信者 大分

 平成6年11月25日には、大分県下、最古級の鉄筋コンクリート建築として、別府市指定有形文化財になり、別府市中央公民館として使われています。

 内部に入って、最初に目に飛び込んでくるのは「来たときよりも美しく」という標語。大切な文化財だから、大切に使いましょうという心意気の現れ。訪問した時は宮沢りえが主演した反戦映画「父と暮らせば」の上映会を行っていた。終戦記念日に合わせた企画のようです。

送信者 大分

 窓からは面白く光が差し込み、2階と3階の間には空、雲、月、星をモチーフにしたステンドガラスが飛び込んでくます。さらに階段を上がると、屋上の★のモチーフ。吉田鉄郎は公会堂に空を閉じ込めようとしたのかもしれません。

送信者 大分

屋上からは別府市内を一望できる。

公会堂は3度に渡る大改造を行っています。竣工当時の方が遥かに素晴らしいプロポーションなんです。だから、竣工当時の姿に戻そうという動きもあります。市職員に復元計画を聞いた。耐震強度を検査し、その後、予算を組むといっていました。その後、どうなったでしょうか。

●東京中央郵便局

利活用されている、2つの建物の素晴らしさは分かっていただいたと思いますが、この2つはさきほどのドコモモ選定には入っていないんです。だから、ドコモモに選ばれる検見川送信所はすごいんですね。

ドコモモ選定には、吉田鉄郎建築が3つ選ばれています。ひとつは鳩山大臣の発言をきっかけに注目を浴びた東京中央郵便局。国宝級の建物ともいわれましたが、1998年には既に選定している。その先駆性と確かな目を感じることができます。

建て替え工事中の東京中央郵便局 吉田鉄郎建築

もうひとつは大阪中央郵便局。こちらも再開発を計画していて、取り壊しが議論を呼んでいます。東京中央郵便局での議論を受け、現在は計画が凍結されています。こうして、メディアに大きく取り上げられることの意味は、ほかの建築にも大きな影響を与えるという好例だと思います。

 文化財との向き合い方は、その町の歴史とそのままリンクしているように思えます。歴史ある町はそれを大事にする。人は何でも新しいものを求めるが、実は古いものこそ資産、町の宝なんです。古いもの、文化、伝統は一朝一夕ではなし得ない。だから、文化や人を育てる図書館の存在は大事なんですよね。

●稲毛の建築

では、わが町、稲毛の建物を見てみましょう。さきほどの映像でもお分かりの通り、私が送信所に興味を持ったのはサイクリングがきっかけです。それまで、あまり町に関心があるわけではなかったのですが、調べ始めると面白いんですね。稲毛にも、結構由緒あるものがあるんです。クイズ感覚でみてください。千葉市民は郷土愛が薄いとよく言われますが、学校教育の中で郷土について学ぶ機会はほとんどありませんでした。知らないのだから、愛着なんて持つわけがないと思います。

「神谷伝兵衛稲毛別荘」(1918 年)です。神谷は日本のワイン王といわれた人物です。浅草には神谷バーというのもありますね。市内では、最古のコンクリート建築ということになります。その次が検見川送信所です。ワインを寝かせる地下室もあって、かなり凝っています。稲毛辺りは高級別荘地でもあったのですが、そんなことをしのばせる建物です。

ラストエンペラーで知られる溥儀の弟、溥傑と浩さまが新婚時代を過ごした住居の一部です。「千葉市ゆかりの家・いなげ」(旧愛新覚羅溥傑邸)。和でもあり、洋もあるという折衷住宅です。コンクリート製の防空壕もあって、戦中という時代を感じますね。庭がとても美しい。市民団体がボランティアで管理、運営していると聞いています。

送信者 稲毛

「トラスの倉庫」は旧日本陸軍気球連隊第2格納庫です。気球連隊とは聞きなれない部隊名ですが、風船爆弾というのはご存知でしょう。偏西風に乗せて、アメリカ本土を攻撃した爆弾。それも、気球連隊に関連があるようです。軍都・千葉には鉄道連隊があったり、この気球連隊があったりと、特殊な役割を果たした連隊が置かれていたのです。

送信者 稲毛

この格納庫は現在、「川光倉庫」の倉庫として使われています。格納庫は昭和7年竣工。千葉市の戦前建築で最大。建坪は約500坪ある。高さは地上6階に相当します。第1格納庫の方がもっと大きかったようです。近くにある陸軍歩兵学校は空襲で全焼したようですから、この格納庫が残ったのは幸運だったと言えるでしょう。

送信者 稲毛

この倉庫を買い上げたのは、川光倉庫さんで三代目だそうです。

送信者 稲毛

千葉経済大学の敷地にある「旧鉄道連隊材料厰煉瓦建築」。材料廠は1908年(明治41年)に作られた煉瓦造りアーチ構造。10連アーチが非常に珍しいということです。鉄道連隊は1896年に創設された鉄道大隊が起源。中野にあった交通兵旅団が発展し、連隊となる。一時、津田沼に兵営が置かれましたが、1908年に第一大隊、第二大隊、連隊本部が千葉町椿森に移ります。千葉には軍事施設がたくさんあるのですが、それには町の発展を願い、千葉町が誘致に熱心だったという背景があります。

送信者 稲毛

外観は2階建てのように見えますが、中に入ると、平屋であることが分かります。戦後は国鉄のレールセンターとして使われていましたが、千葉経済大学が土地を取得し、平成6年に千葉県指定文化財になりました。現状は倉庫ですが、もう少し使い方はあるのかな、という気もしますが、一応は利活用されています。

最後は近代建築ではありませんが、御成街道に面する駒形観音堂にある「長沼大仏」。稲毛に大仏があるって知っていましたか?大きさは2m36。大仏は1703年に鋳造されました。開眼導師は然誉上人沢春。作は浅草の鋳物師、橋本伊左衛門。この観音堂が面する御成街道は船橋~東金間を結ぶもの。慶長18年(1613)12月から翌年の1月にかけ、徳川家康が鷹狩りをするために作らせた道です。この大仏はこの街道周辺の人々が人馬の安全と疫病を祈願するために作られたようです。背中には寄進した人の名前が刻まれていて、松戸の人も名を連ねているんです。


私自身もその多くは存在すら知らなかったのですが、こうした稲毛の歴史的なものを見ると、もう少し学んでみたいなと思うわけです。

●廃墟とは何か?

最後に、廃墟について、お話します。

検見川送信所はご存じの通り、廃墟になっています。私は検見川送信所の活動を通じて、一体、廃墟というのは何かを考えるようになりました。

以下は作家・洲之内徹さんの言葉です。これは「軍艦島」という名前で知られる長崎・端島に行った時の文章です。

「廃墟は人間の営みにのみ起こる現象である。自然界は一度は失っても再生する。人間のいる恐ろしさではなく、いるはずの人間がいない恐ろしさだが、それはそれで、人間の恐ろしさといえないだろうか」

送信者 検見川送信所(Kemigawa Radio Station)

確かに、自然の力はすごいのです。さきほど、銀杏の木が生い茂る送信所をお見せしました。昨年冬、おそらく、建物を傷めるからという理由で大胆に剪定されています。ところが、春になって、すくすくと芽を出す。当たり前だけども、再生を果たしている。一方、建物の方は痛みが進行している。こちらは人間の手をかけないとダメなわけです。

廃墟には「薄気味悪い」「取り壊せ」という声がある一方、魅力を感じる人もいます。

それはこういうことではないかと思うのです。

建物は廃墟となった瞬間、その役割を終え、人間の支配から離れ、「死という時間」を己のエネルギーを振り絞って生き始める。そこに、ある種のエネルギーやオーラみたいなものを感じる。あるいは、濃縮した時間のようなものを感じる、という人もいます。

再び、磯崎新の廃墟論を引っ張り出します。

「都市とは変動のプロセスそのものである。その生成には始まりも終わりもない。時間は途切れることなくつながっていて、時々に現れ出る姿は未来都市でもあり、廃墟でもあるのだ」

先ほどのドキュメンタリー映像の中で、廃墟の検見川送信所と幕張の高層ビルを映したシーンがあったのを覚えている方がいるでしょうか。この廃墟も高層ビルも変動のプロセスの中に組み込まれていることです。さきほどのピカピカのビルも、いつかは検見川送信所のように朽ちてしまう可能性もある。

しかし、廃墟が出来上がってしまうのか?それは無関心が引き起こすのだと言えるのではないでしょうか?

バーナード・ショウの有名な言葉ですが、「最も罪深きは無関心だ」というものがあります。

廃墟が怖い、気味が悪いという意見も分かりますが、実は廃墟というのは、いるはずの人間がいない恐ろしさであり、それ自体も人間の恐ろしさである。ならば、廃墟というのは人間の無関心を表す鏡ではないか。79年の閉局後、ずっと放置され続けていたわけです。「歴史的な建造物だから、大切に残していこう」という論の前に、それは非常に恐ろしいじゃないかと思うのです。そういう意味でも、廃墟となっている検見川送信所は現代社会を象徴しているのでは、と思うのです。

そんな状態だったからこそ、「知る会」と名付けたという側面もあります。つまり、「考える」というレベルまで達していなかったわけです。また、「知る」は「考える」の一歩であります。存在を知る、関心を持つ、調べる。そうすれば、自然と自分で考えるではないか。何かを知ろうと思った時に、助けになるのが図書館です。知る会の活動も、図書館なしには考えられなかったでしょう。

文化を育てる、人を育てる。非常に時間もかかるし、お金もかかるかもしれません。効果も見えにくい。ただ、不況だから単に蔵書数を減らす、新聞や雑誌の定期購読をやめるというのは、間違った施策ではないかと思います。資料が多いほど、知恵は広がっていきます。何かを知りたいという思いをくじくようなことがあってはなりません。

|

« 「検見川送信所を知る会」によるお話と映写会レポート | トップページ | ウルトラワイドヘリアーの真価 »

検見川送信所」カテゴリの記事

コメント

これは読み応えのある力作ですね!
ぜひ、知る会HPの「バーチャル展示館」に転載したいと思いますが、いかがでしょうか?

投稿: まさやん@埼玉 | 2009年5月28日 (木) 20時39分

>まさやんさん

>これは読み応えのある力作ですね!

そういっていただけると、ちょっと安心します。

>ぜひ、知る会HPの「バーチャル展示館」に転載したい
>と思いますが、いかがでしょうか?

もちろん、そうなればいいなぁと思って書いています。
申し出てくださるなんて、それに勝る幸せはありません。

PDFかドキュメントファイルにしてお送りします。あるいはほかの方法が有効でしたら、それに従います。ご指示ください。

投稿: 久住コウ | 2009年5月28日 (木) 22時56分

>もちろん、そうなればいいなぁと思って書いています。
>申し出てくださるなんて、それに勝る幸せはありません。

はい、承知しました。


>PDFかドキュメントファイルにしてお送りします。あるいはほかの方法が有効でしたら、それに従います。ご指示ください。

「送信所ナイト」の倉方俊輔さんの講演ページがありますよね。↓
http://kemigawaradio.web.fc2.com/cont/archive/kurakata0101.html

このコンテンツのレイアウト構成と合わせようと思っています。ですので、このブログの記事をそのままコピるつもりですから、特に別途のご用意はしていただかなくてもけっこうですよ。

ちなみに、写真はすべて久住さんによる撮影、という理解でよろしいでしょうか?

投稿: まさやん@埼玉 | 2009年5月28日 (木) 23時52分

>まさやんさん

「送信所ナイト」の倉方俊輔さんの講演ページがありますよね。↓
http://kemigawaradio.web.fc2.com/cont/archive/kurakata0101.html

このコンテンツのレイアウト構成と合わせようと思っています。ですので、このブログの記事をそのままコピるつもりですから、特に別途のご用意はしていただかなくてもけっこうですよ。

了解です。さきほど再度、赤字を確認したつもりです。しかし、一人で見ているので、赤字が残っているおそれも(汗)。

>ちなみに、写真はすべて久住さんによる撮影、とい
>う理解でよろしいでしょうか?

すべてオリジナル画像です。

では、よろしくお願いします。

投稿: 久住コウ | 2009年5月29日 (金) 00時09分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/153718/45155677

この記事へのトラックバック一覧です: 講演「検見川送信所をめぐって」@「千葉市の図書館を考える会」主催の学習会:

« 「検見川送信所を知る会」によるお話と映写会レポート | トップページ | ウルトラワイドヘリアーの真価 »