「虫庭の宿」(野口智弘)★★★★ 由布院のブランド力
「虫庭の宿」は、由布院の町づくりに奔走された旅館「由布院玉の湯」会長の溝口薫平さんの話を、西日本新聞記者の野口智弘さんが聞き書きしたもの。2008年9月11日から09年1月26日まで西日本新聞に連載されていたそうです。
虫庭の宿楽天
40年前は別府の奥の寒村であった由布院が人気の観光地になるまでが書かれています。実話のサクセスストーリーだけに胸躍るものがあります。
日本全国には温泉地はあまたあるのに、なぜ由布院が成功したか?
それはリーダーとなった溝口薫平さん、亀の井別荘の中谷健太郎さん、志手康二さんという3人のアイデアと実行力にあります。そして、その根底にあるのはしっかりとした思想があったからだと分かります。
題名の「虫庭」とは、玉の湯にある雑木林の庭のことです。この庭のヒントを与えたのは文芸評論家の小林秀雄でした。小林は73年に宿泊しました。当時、玉の湯はフロントまで車で乗り付けるスタイルだったそうですが、74年から2年間かけて大改装をしたそうです。
その際、小林は「道を狭くして、車が入れないようにしたらいい。周囲はコンクリートの塀ではなく、草花や樹木を植えたらいい」とアドバイスをしたそうです。亡くなるまで年に1、2回やってきたそうですが、小林は由布院のことは最後まで文章にしませんでした。
小林の親戚で、NHKドラマでも有名になった白洲次郎の妻、白洲正子は「玉の湯につれてって」とせがんだそうですが、小林は断ったそうです。その理由は正子はすぐに原稿に書くので、静けさが失われるから、というものでした。
今の由布院の通りはオンシーズンになると、人であふれますが、少し中に入ると、里山の風景があり、ほっとする空間になっています。
大分の温泉地というと、別府が有名なのですが、由布院では真逆のやりかたを選びました。
別府は男性天国の歓楽地でしたが、由布院は生活型観光地を目指したわけです。何度も開発計画は持ち上がりましたが、それには拒否し、由布院の魅力である自然を守り続けました。この結果、これが由布院のブランドとなりました。
一方、他の温泉地が歓楽地化して、行き詰まっているのはご存じの通りです。
2008年8月18日 (月)
湯婆婆が出そうな温泉建築~別府
送信者 由布院 |
由布院が大型開発に至らなかったのは、各旅館の懐事情も大きかったようです。しかし、貧しいからこそ結束し、知恵を出し合いました。
由布院の旅館組合の結束力と知恵の一例は前の記事でも紹介しましたが、もう一例紹介します。
駅前にある観光拠点「由布院観光総合事務所」は、旅館や観光業者が共同で出資したものだそうです。旅館は売り上げの1万分の6の賛助金を出しています。つまり、年間10億円を売り上げれば、年間賛助金は60万円。これは結構な負担になります。しかし、宣伝活動は一括して行われるわけですから、一つの旅館が過大な宣伝費をかけることもなくなり、値引き合戦にもならない。由布院のブランドが守られる仕組みになっています。
そもそも、ブランドとはなんでしょうか? ブランドはイコール「強み」です。しかし、その強みは実は弱みの裏返しでもあることが分かります。
寒村であったことは「弱み」ではありましたが、それは「自然豊かな静かな里山」という強みに、「貧乏な旅館」という弱みは「旅館業者の結束」という強みに変換しました。
小林が虫庭というアイデアを出したように、利便性を捨てることで、新たな価値観が生まれることもあります。玉の湯の庭は非常に魅力的です。
ここに、本当のブランドとはなんたるかの、大きなヒントがあるように思えます。
由布院再建の立役者である3人ですが、語り部の溝口さん、中谷さんはいわゆる「よそ者」です。そこにも、第二のヒントがあるように思えます。
彼らが土地の人間だったら、豊かな里山という「由布院ブランド」は生まれなかったかもしれません。土地の人間はやはり、開発を望みます。それは責めるわけではなく、仕方のないことだと思います。
溝口さんが由布院に住み、土地の人間になろうとしますが、故郷を聞かれて、うまく答えられなくなって恥ずかしくなったと書いています。また、「由布院です」といっても、分かってもらえないことも多かった、とか。そんな時は「別府のひと山裏側です」と答え、むなしさを覚えたそうです。
町作りの出発点については「子供たちが、この町に生まれて良かったと思うことができて、自信と誇りをもって暮らせる町にするには、まず何から始めたらいいか」をテーマにしたといいます。僕も、ここが「肝」ではないかなぁと思います。
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