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2010年2月

2010年2月27日 (土)

「運命の人」(山崎豊子)★★★★★

山崎豊子の最新作「運命の人」は1971年の沖縄密約の漏洩事件「西山事件」を基にしたフィクション。西山事件は僕にとって幼少の事件であり、記憶にすらない。

西山事件のあらましはこうだ。

毎日新聞社政治部の西山太吉記者は沖縄返還協定に絡む補償金をめぐって、米国が支払うとされた金が実際は日本政府が肩代わりをしたことを掴む。

しかし、決め手をつかみきれず、その秘密文書のコピーを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に手渡す。疑惑は国会で明らかになり、批判が巻き起こった。

ところが、政府は「密約はなかった」といい、国家公務員法(秘守義務)で情報提供者だった女性事務官と西山記者を逮捕。新聞記者と、その情報源の逮捕という衝撃に、毎日新聞だけでなく、他メディアも表現の自由、知る権利への侵害だとして一大キャンペーンを張るが、検察側は2人が愛人関係にあったことを暴露。裁判では、検察側が起訴状の中に「情を通じて」という文言をあえて盛り込み、セックススキャンダルに仕立て、焦点をぼかす。

「週刊新潮」が2人の関係を興味半分で面白おかしく取り上げたことで、新聞メディアのキャンペーンも勢いを失う。第一審では、女性事務官は有罪、西山記者は無罪とされたが、最高裁では取材手法の違法性、報道の自由は無制限ではないとして、逆転敗訴となった。しかし、肝心の沖縄密約の有無は問われず、うやむやになったままだった。

山崎豊子は事実を基にフィクションを構成する手法で知られる。映画化された「沈まぬ太陽」も御巣鷹山の日航機事故を中心に、信念を貫く労組委員長、恩地の闘い。異例の2クールでドラマ放送中の「不毛地帯」も伊藤忠時代の瀬島龍三がモデルだ。

モデル小説はプライバシー保護の観点から、難しいところがある。より今回は公人ではなく、セックススキャンダルに巻き込まれた主人公と、その相手を描いていることから、小説に仕立てる自体、困難さがつきまとったのではないだろうか?

山崎にはこのリスクを覚悟しても、描きたいという動機があった。山崎は毎日新聞社出身でもあり、マスコミを正面から描くというのは、彼女自身の「けじめ」でもあったようだ。それは横山秀夫が「クライマーズ・ハイ」を書かずにはいられなかったことと同じなんだろう。

2005年4月14日 (木)
「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫)★★★★

小説は1、2巻が事件そのもの、3巻がその裁判、4巻では新聞社を退社した主人公は故郷、小倉に戻り、青果店を継ぐも、激しい競争の中で再び失意を味わい、運命に導かれるように沖縄にたどり着く。物語は主人公の魂の旅路ともいえる。

東京で暮らす主人公は沖縄密約を問題視しながらも、沖縄自体については深く知っていたわけではない。現地で暮らし、人々と接することで、沖縄の悲劇の真実を目の当たりにするわけだ。

4巻は沖縄決戦での集団自決の悲劇、戦後の進駐軍兵士によるレイプ事件、米軍による土地の搾取、基地問題などが語られる。それらの悲劇には憤り、深い悲しみを感じずにはいられない。

「沈まぬ太陽」と「運命の人」はより近いものを感じる。

「太陽」の恩地も「運命」の弓成も信念、正義感の持ち主で、はからずも巨大な組織を相手に闘いを挑む。「図らずも」というのがポイントだ。しかし、正義は必ずしも勝利できない。

恩地は不当人事によって、アフリカへと左遷される。一方、弓成は会社を追われるようにして辞職し、逃げるようにして、沖縄に流れ着く。恩地は御巣鷹山事故後に新たに就任する国見会長と出会い、弓成は衰弱しているところを沖縄人に助けられ、「人間の言葉を久しぶりに聞いた」と口にする。「南」の大陸、島の風土が主人公を変えるという設定も同じだ。

組織と個、国家と個は山崎作品の大きなテーマだ。それは山崎がジャーナリスト出身であることも関係しているのだろう。

昨今、ジャーナリズムの弱体化が指摘されてるが、山崎豊子作品は2度の盗作疑惑を差っ引いても、ジャーナリズムを感じる。それは、今日性があるか、どうかだ。

この作品の舞台は71年がメインではあるが、報道の自由、普天間基地の問題、検察による人権蹂躙といったことはまさに現代の問題だ。

新聞記者とは今の問題をえぐることであり、さらに半歩先を見つめることだ。新聞は文字通り、「新しく聞く」メディアであったはずだ。山崎作品は「沈まぬ太陽」で指摘した日航問題が09年になって、再建問題として顕在化したことでも分かる通り、同時代を描き、未来を予測している。

この「運命の人」でも、71年の沖縄密約問題は40年後の今でも、くすぶり続けている。

2009年12月1日には、 吉野文六・元外務省アメリカ局長が「過去の歴史を歪曲するのは、国民のためにならない」と証言し、密約が存在する事実を認めた。さらに同22日、 佐藤栄作元内閣総理大臣私邸から、佐藤=ニクソン共同声明における、核密約に係る覚書文書が発見され、佐藤家が保管していることが明らかになるなど日米密約の事実が明らかになった。

一方、西山元記者が起こした沖縄密約情報公開訴訟はは2010年2月16日、 結審した。判決は4月9日を予定している。

山崎小説は物語というだけではない、「現実」を内包し、問題提起し続けている。必読。


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2010年2月21日 (日)

「微差力」(斎藤一人)★★★★☆

著者は納税額トップでおなじみの斎藤一人さん。「銀座まるかん」の創業者なのだが、この方はずいぶん変わった人らしい。

納税額の公表は数年前、個人情報保護の観点から非公表になったが、これにガッカリしたお金持ちは斎藤さんくらいではないか。普通、金持ちという人は、こういうことを隠したがる。しかし、人っり巻末のプロフィールを見ると、ご丁寧に1993~2004年分納税額の順位が載っている。総合納税額は173億円。しかも、これは土地の売り買いや株式公開などバブリーなお金ではなく、事業所得による収入というから恐るべし。

斎藤さんは自身のことを「一人さん」と呼ぶ。最終学歴は中学卒。大人たちを見ながら、「学歴は必要ない」「早く社会に出て、学んでしまった方が早い」と判断したのだそうだ。

お名前通り、孤高の人だ。こんな個性的な方だから、真似はできないと思ってしまうが、一人さんファンは多い。それは答えがシンプルで、説得力があるからなんだろう。

一人さんは「人間は幸せになる義務がある」と書く。権利じゃなくて、義務というのがみそ。しかし、現実には、幸せな人と不幸な人が。その違いは微差だが、微差が大差を生んでいる。例えば、日本一高さの富士山は超有名だけど、二位は知られていない。これが一位と二位の差。

バンクーバーオリンピックのカーリングの勝ち負けもメジャーで測定してやっと分かるような微差が分かれ目。ほかの競技にしても、0・00秒の差がメダルの色を決めるというわけ。やっぱり、微差というのが大切なんですね。

だから、一人さんは微差に執着したら、という。

「その執着度によって、結果が違うのです。それによって、微差、微差、微差が積み重ねるたびに、倍、三倍、10倍と変わってきちゃうのです。だから面白いのですよ、微差は」

語りかけるような文体で、なんか読んでいるうちに、ちょっとだけ努力しようかな、と思ってしまう。

「この地球という星は、行動しないと、何も起きない星なんです。何も行動しないで、世の中は変わりません。安定は動くことです。自転車と同じです。止まってしまうと、倒れてしまう。安定とは動くこと」

なるほど。

同書は単行本だが、文字も行間も大きく、小一時間で読み終わってしまう。これで1500円か、少し高いかと思ったが、最後のページには追伸として、「この本は最低でも七回読んでくださいね」とある。

やられた。

原稿量は少ないけど、その分回数を読め、と。そう来たか。

この一押しがまさに「微差力」なんだよね。

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2010年2月15日 (月)

「どうして僕はこんなところに」(ブルース・チャトウィン)★★★★

12~14日、下関を旅した。その旅のお供に選んだのが、ずっと読了できなかったブルース・チャトウィンの「どうして僕はこんなところに」だった。

ブルース・チャトウィンは1940年、英シルフィールドに生まれた。オークションで有名な「サザビーズ」に就職。8年間、美術鑑定士として活躍。エジンバラ大学で考古学を学び、3年間、「サンデー・タイムズ」で働き、77年に紀行小説「パタゴニア」を発表。同書は英ホソンデン賞、米E.M.フォスター賞などを受賞した。代表作は「ソングライン」、映画化された「ウッツ男爵」など。1989年に48歳で亡くなっている。同書は死の直前に自らが編纂したアンソロジーだ。

旅を愛したチャトウィンはモレスキンの愛用者で、「パリ・ノート」と呼んだ。彼はパリに立ち寄る際に購入していたようで、生産会社が倒産した時はパリの文房具店で大量に買い求めている。

2006年3月25日 (土)
パスポートよりも大事な”パリ”ノート

この本も、アマゾンを見ると、在庫切れ。おそらく、チャトウィンがモレスキンの生産中止を嘆いたような気分になってしまった。彼の著書は「ソングライン」「パタゴニア」が新訳の形で復刻しているが、いくつかの本は絶版のままでプレミアがついている。

同書の原題は「What am I doing here」。チャトウィンは「僕はずっと奇跡的な何かを探し続けてきた」と書く。イエティの足跡が見つかったと聞けば、エベレストに向かい、インドで狼に育てられた少年が見つかったニュースを読んでは駆けつける。しかし、その「奇跡」と呼ばれる現象そのものにはいつも懐疑的で、客観性を保とうとする。

チャトウィンはまえがきで「本書に収められた断章、物語、人物素描、紀行談は<ガンディー夫人に関するもの>を除く全てが私の着想によるものである。<物語>という言葉を使ったのは、中身がいかに事実に即していようと、架空の設定で書かれたものであることをお断りしておきたかったからである」としている。

僕がチャトウィンを好きな理由は(1)面白いことがあったら、とにかく、その場所に行く=現地主義。(2)美術や事象に対する鑑識眼(3)対象に同化しない客観性だ。

最近、クラウドコンピューティングの普及によって、「ノマド」という言葉が浸透してきた。

ノマドとは「遊牧民」のことで、牧草地を意味するギリシア語の「ノモス」が語源だという。チャトウィンは「正統のノマドは移動する牧畜者のことで、家畜の所有者、飼育者を指す。流浪の狩人をノマディック(遊牧する人)と呼ぶのは間違い」と指摘する。

チャトウィンは「遊牧民の侵入」という文章の中でこんな風に書いている。

「人間は本質的に広い意味での移動に対する止むに止まれぬ衝動を持っている。旅をするという行為は、人に肉体的・精神的な幸福感を与えるもので、一方、長期に渡る定住・定職生活からくる単調さは、疲労と、何かが欠けているような感覚を生む、脳のパターンを作り出す」

チャトウィンはまさに、その衝動を抑えずにはいられない「人」「ノマド」だった。しかし、旅に対して情熱を持ちながらも、いつもどこか冷めていた。だから、「どうして僕はこんなところに」と自問したのだろう。

同書は断章を寄せ集めで、読みにくさもあるが、読み進めていくと、全体が見えてくる。万人には勧めないが、「ソングライン」「パタゴニア」が好きという人は読んでほしい。

僕は家を持ち、「ノマド」ではないが、チャトウィンのような「ノマド」的な生き方、考えは有効だと思う。昨今、「地域活性化」を考えることが多いが、実は「地域」は拡大するものだと気づいた。つまり、「地域」とは、非常に主観的なもので、愛着を持つかどうかに関わっている。

例えば、僕は千葉・稲毛という町に住んでいる。稲毛は僕にとって間違いなく「地域」である。その一方、隣の区の「検見川送信所」のことも考えている。狭義に言えば、検見川は僕の「地域」ではないのかもしれない。ただ、僕が検見川のことを思うことは僕にとっての「地域」だからである。

「検見川送信所を知る会」の活動でいえば、他県から参加している中心的な人々もいる。こうした人々も、同様に、検見川を「自分の地域」と感じているのではないだろうか。そして、旅という行為は自分にとっての「地域」をひとつひとつ増やしていく行為ではないか。今回の下関行きでは、それを実感した。詳しくは後で。

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2010年2月11日 (木)

「小が大に勝つ 兵法の実践」(中條高徳)★★★★

先日、ある会議が行われた九段会館でのこと。懇親会を抜け出し、喫煙コーナーで、一人で一服していたら、ある老人から「君、一人でいないで、こっちに来なさいよ。これも縁だからね」と言って声をかけられた。それが「小が大に勝つ 兵法の実践」の著者、中條高徳さんだった。

名刺の裏書きを見ると、立派な肩書きがズラリ。しかし、それと反して、気さくなお人柄に感銘を受け、アマゾンで著書を手にした、というわけだ。

中條さんはアサヒビールの再生に成功した人物。一貫して、「ビールは生が正しい」とミニ樽ブームに火をつけ、「スーパードライ」の生みの親としてドライ戦争の第一線で指揮した。


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昭和61年、アサヒビールは戦いに疲れ果てた集団だった、という。キリンのシェアは60%と、その背中を見ることさえ困難だったという。再建計画の指揮にあたった中條さんが手本としたのが兵法だった。

中條さんは兵法だけでなく、いろんな経営者を独自に研究されているようだ。日本の経営者で経営理念を重要視してきたのは松下幸之助だという。

「私は60年にわたって、事業経営に携わってきた。そして、その体験を通じて感じるのは経営理念というものの大切さである。いいかえれば、この会社は何のために存在しているのか。この経営をどういう目的で、またどのようなやりかたで行っていくのか、という点について、しっかりとした基本的な考え方を持つことである」(松下幸之助「実践経営哲学」より)

士気を高めるには、大声だという。理屈がいい。声を出すのに金はかからない。

「声を大きくすることは単純で素朴な行為であるが、組織行動にはきわめて大きな効果を発揮する。自らのフラストレーションの解消に役立ち、相手を圧倒し、内なる勢いを増す。どんな不況になっても、コストはまったくかからない。スポーツでも激しい戦闘でも、攻め込むときは必ず大きな声をだし、自分を励まし、仲間の心を引き立てるのが常道である」

雑談で少し伺ったのだが、中條さんは九段会館近くに事務所を構えている。それは靖国神社を参拝するためだという。中條さんは終戦を陸軍士官学校で迎えた。士官学校の生徒であることは家門の誇りであったが、一変して、世間の目は国賊といわんばかりの冷たい視線に変わったという。

「志立たざれば、舵なき舟、くつわなき馬のごとし」との心境だった、と書く。
しかし、若き日の挫折が後に力になったようだ。

若さについて、以下のように書かれている。

「若さとは国の宝であり、会社の宝である」。

確かに、その通りだ。しかし、今の企業の多くは若者を活かしきっていない。

同書は96年発行だが、「自民党の瓦解は、この若さの喪失にあった」と指摘している。

「冷戦構造の解消と同時に、自民党の存在理由が著しく希薄になったことを党自身が気がつかねばならなかった。長期支配の翳りが体質疲労となり、『心の若さ』を失ってしまったのである。いまは凄まじい変化の時代である。変化への対応をお怠れば、必ず滅びる。他人事ではない。常にこんな危険が迫っているのである」

いまや、自民党だけではない。いくつか思い当たる業種もある。

では、強い集団になるのはどうしたら、よいか?

以下は「エクセレント・カンパニー」の著者が米国の超優良企業を対象にしたレポートから。

「自社の価値体系を確立せよ。自社の経営理念を確立せよ。働く人の誰もが仕事に誇りを持つようにするためには何をしているのかと自問せよ。10年、20年さきになって振り返ったとき、満足感をもって思い出せることをしているかを自問せよ」

やはり、何はなくとも理念なのだ。

そして、勝つ条件として、孫子の言葉を引用する。

「孫子は戦いに勝つか否かは、勝ちを信ずるかどうかにかかっている、と教えている。まず、勝つ体制をつくり、そのうえで絶対勝つという信念を持つ」

ところで、最近、飲料メーカー第1位のキリンとオーナー会社のサントリーの経営統合が物別れに終わった。原因は統合比率の不一致。資本力はサントリー1:サントリー0・5程度のようだが、サントリー側は対等統合を望み、断念せざるを得なかったという。両社は巨大化する諸外国の飲料メーカーに対抗しようと利害が一致。中国などでの海外市場の拡大を狙ったわけだが、これによって、経営戦略の修正を迫られた、といった論調で報じられている。
 
キリンは上場企業、一方、サントリーは創業者が株主を持つオーナー会社。企業体質の違いを乗り越えることができなかった、というわけだ。今後、どのような影響が出てくるのか。一層注目が集まることだろう。

いま、あらゆる産業で統廃合が進み、産業構造は大きく変化している。各社とも生き残りに必死だが、そのヒントは歴史の中にある。

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2010年2月 9日 (火)

「岡本太郎 『太陽の塔』と最後の闘い」(平野暁臣)★★★★

 岡本太郎の生涯のパートナーだった岡本敏子さんの甥で、岡本太郎記念館館長の平野暁臣さんが、代表作「太陽の塔」を通じて岡本太郎の生き方を読み解く。

 「太陽の塔」は大阪万博(70年)のシンボル的な存在。しかし、万博がテーマに掲げた「進歩と調和」に岡本は反対の立場だった。

送信者 太陽の塔

 「人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。縄文土器の凄さをみろ。ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、いまの人間にあんなものが作れるか」

 「調和というが、みんなが少しずつ自分を殺して、頭を下げあって、こっちも六分、相手も六分どおり。それで馴れ合っている調和なんて卑しい。ガンガンとフェアに相手とぶつかって、闘って、そこに生まれるのが本当の調和なんだ。まず闘わなければ、調和はない」

 しかし、岡本は万博のテーマプロデューサーという大役を引き受ける。周囲は「組織にまみれば、泥水を飲まされるだけ」と反対。その声が余計に岡本の叛逆精神を炊きつけた。
 「進んで傷つくのが私の哲学だ」(岡本太郎)

 そこで、岡本はモダニズムの象徴である「大屋根広場」に、「ベラボーなもの」=「太陽の塔」(70m)をぶち抜いて建てることを思いついた。

「EXPO'70=進歩と調和だというわけで、テクノロジーを駆使してピカピカチャカチャカ。モダニズムが会場にあふれていることは目に見えている。それに対して、ガツーンとまったく反対のもの、太古の昔から、どんとそこにはえていたんじゃないか、と思われるような、そして、周囲とまったく調和しない、そういうものを突きつける必要があったんだ」

 モダニズムVSベラボーなもの。
 
 「頂上には目をむいた顔を輝かせ、会場全体を睥睨(へいげい)し、まっすぐに南端にたつランドマークをにらんでいる。こういう対決の姿によって、雑然とした会場の、おもちゃ箱をひっくり返したような雰囲気に、強烈な筋を通し、緊張感を与えるのだ。私は実現を決意した」

 これらの言葉で分かる通り、太陽の塔は万博のシンボルでも何でもない。むしろ、反「万博」であった。

 この大屋根を持った「お祭り広場」の責任者は建築家、磯崎新だった。
 「太郎さんの塔はパンドラの塔ではないけれど、日本の昔の、本当は見たくないものがふたを開けたら現れた(笑)。僕なんかは最初の印象はそうでしたよ。そして、よくよく考えてみて、負けた!って思いましたね」と振り返っている。
 
 確かに負けだった。万博のモダニズム建築は壊れ、反「万博」の太陽の塔だけが残った。最も原始的な異様なこけしが勝ったのだ。原始的なものが、もっともアバンギャルドだったと言うことかもしれない。

 大屋根を突き抜ける、巨大なこけし。
 
 石原慎太郎のデビュー小説「太陽の季節」での「勃起した陰茎を外から障子に突き立てた」の一文を思い出す。この小説のモデルは、かの石原裕次郎。裕次郎も岡本と同様、ベラボーなスターであった。

 同書では、「岡本太郎」誕生のパリ時代から振り返り、珠玉の言葉を並べている。そのひとつひとつが心に刻みたい言葉だ。
 
 岡本は多数のパブリックアートを残した。
 「銀行預金のようにしまっておくための芸術なんて、何の意味があるのか」
 「パブリックアートはいいよ。見たくなったら、そこに行きさえずれば、いつでも誰でも、タダで見られるんだからね。それを見て『ああ、いいなぁ』と思ってもいい。だけど、『なんだ、こんなものつくりやがって!』と悪口言ったっていいんだぞ。あるいは無視して、通りすぎたっていい。芸術とはそういうものなんだ。なんでもないもの、道端の石ころと一緒なんだよ」
 
 国立近代美術館の展示物が切りつけられた時は「切られて何が悪い。切られたらオレがつないでやる。それでいいだろう。子供が彫刻に乗りたいなら、乗せてやれ。それで、もげたらオレがまたつけてやる。だから触らせてやれ」といった、という。
 
 芸術は外へと開かれたもの。それが岡本のアート観だった。「芸術は爆発だ」という言葉はあまりに有名だが、岡本の芸術は常に外へ外へと広がっていく。芸術は芸術の世界だけで終わらない。社会や人間をも突き破る存在である。
 そのイメージを言葉で表すと、こうなるのだろう。ちなみに、この爆発とは音が出るようなものではない、という。音もなく、パッと広がっていくもの。光のイメージなのかもしれない。

 これも有名な言葉だが、岡本の芸術論。
 「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
 つまり、「なんだこりゃ」が芸術であるという。

 太陽の塔は岡本のメッセージだった。
 「自分のやりたいことをやらないで、他人の目ばかりを気にする」飼い慣らされた小市民根性や、勤勉まじめで無難に60点を取りに行く事なかれ志向をぶっつぶす」(本文より)

 僕はふと、検見川送信所のことを思う。

送信者 検見川送信所(Kemigawa Radio Station)

 岡本太郎が住宅地の真ん中にぽっかりとある”荒野”に建つ、この廃墟を見たら、どんな感想を持つだろうか。
 送信所は1926年に竣工。1979年の閉局以降も、なんのメンテナンスもされずに、自身の力だけで力強くそびえている。僕にとって、送信所は「なんだこりゃ」なものであったし、「ベラボーなもの」だった。この建築は巨大なパブリックアートでもある。太陽の塔と同じく、今も何かを発信し続けているようだ。

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