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2010年2月 9日 (火)

「岡本太郎 『太陽の塔』と最後の闘い」(平野暁臣)★★★★

 岡本太郎の生涯のパートナーだった岡本敏子さんの甥で、岡本太郎記念館館長の平野暁臣さんが、代表作「太陽の塔」を通じて岡本太郎の生き方を読み解く。

 「太陽の塔」は大阪万博(70年)のシンボル的な存在。しかし、万博がテーマに掲げた「進歩と調和」に岡本は反対の立場だった。

送信者 太陽の塔

 「人類は進歩なんかしていない。何が進歩だ。縄文土器の凄さをみろ。ラスコーの壁画だって、ツタンカーメンだって、いまの人間にあんなものが作れるか」

 「調和というが、みんなが少しずつ自分を殺して、頭を下げあって、こっちも六分、相手も六分どおり。それで馴れ合っている調和なんて卑しい。ガンガンとフェアに相手とぶつかって、闘って、そこに生まれるのが本当の調和なんだ。まず闘わなければ、調和はない」

 しかし、岡本は万博のテーマプロデューサーという大役を引き受ける。周囲は「組織にまみれば、泥水を飲まされるだけ」と反対。その声が余計に岡本の叛逆精神を炊きつけた。
 「進んで傷つくのが私の哲学だ」(岡本太郎)

 そこで、岡本はモダニズムの象徴である「大屋根広場」に、「ベラボーなもの」=「太陽の塔」(70m)をぶち抜いて建てることを思いついた。

「EXPO'70=進歩と調和だというわけで、テクノロジーを駆使してピカピカチャカチャカ。モダニズムが会場にあふれていることは目に見えている。それに対して、ガツーンとまったく反対のもの、太古の昔から、どんとそこにはえていたんじゃないか、と思われるような、そして、周囲とまったく調和しない、そういうものを突きつける必要があったんだ」

 モダニズムVSベラボーなもの。
 
 「頂上には目をむいた顔を輝かせ、会場全体を睥睨(へいげい)し、まっすぐに南端にたつランドマークをにらんでいる。こういう対決の姿によって、雑然とした会場の、おもちゃ箱をひっくり返したような雰囲気に、強烈な筋を通し、緊張感を与えるのだ。私は実現を決意した」

 これらの言葉で分かる通り、太陽の塔は万博のシンボルでも何でもない。むしろ、反「万博」であった。

 この大屋根を持った「お祭り広場」の責任者は建築家、磯崎新だった。
 「太郎さんの塔はパンドラの塔ではないけれど、日本の昔の、本当は見たくないものがふたを開けたら現れた(笑)。僕なんかは最初の印象はそうでしたよ。そして、よくよく考えてみて、負けた!って思いましたね」と振り返っている。
 
 確かに負けだった。万博のモダニズム建築は壊れ、反「万博」の太陽の塔だけが残った。最も原始的な異様なこけしが勝ったのだ。原始的なものが、もっともアバンギャルドだったと言うことかもしれない。

 大屋根を突き抜ける、巨大なこけし。
 
 石原慎太郎のデビュー小説「太陽の季節」での「勃起した陰茎を外から障子に突き立てた」の一文を思い出す。この小説のモデルは、かの石原裕次郎。裕次郎も岡本と同様、ベラボーなスターであった。

 同書では、「岡本太郎」誕生のパリ時代から振り返り、珠玉の言葉を並べている。そのひとつひとつが心に刻みたい言葉だ。
 
 岡本は多数のパブリックアートを残した。
 「銀行預金のようにしまっておくための芸術なんて、何の意味があるのか」
 「パブリックアートはいいよ。見たくなったら、そこに行きさえずれば、いつでも誰でも、タダで見られるんだからね。それを見て『ああ、いいなぁ』と思ってもいい。だけど、『なんだ、こんなものつくりやがって!』と悪口言ったっていいんだぞ。あるいは無視して、通りすぎたっていい。芸術とはそういうものなんだ。なんでもないもの、道端の石ころと一緒なんだよ」
 
 国立近代美術館の展示物が切りつけられた時は「切られて何が悪い。切られたらオレがつないでやる。それでいいだろう。子供が彫刻に乗りたいなら、乗せてやれ。それで、もげたらオレがまたつけてやる。だから触らせてやれ」といった、という。
 
 芸術は外へと開かれたもの。それが岡本のアート観だった。「芸術は爆発だ」という言葉はあまりに有名だが、岡本の芸術は常に外へ外へと広がっていく。芸術は芸術の世界だけで終わらない。社会や人間をも突き破る存在である。
 そのイメージを言葉で表すと、こうなるのだろう。ちなみに、この爆発とは音が出るようなものではない、という。音もなく、パッと広がっていくもの。光のイメージなのかもしれない。

 これも有名な言葉だが、岡本の芸術論。
 「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」
 つまり、「なんだこりゃ」が芸術であるという。

 太陽の塔は岡本のメッセージだった。
 「自分のやりたいことをやらないで、他人の目ばかりを気にする」飼い慣らされた小市民根性や、勤勉まじめで無難に60点を取りに行く事なかれ志向をぶっつぶす」(本文より)

 僕はふと、検見川送信所のことを思う。

送信者 検見川送信所(Kemigawa Radio Station)

 岡本太郎が住宅地の真ん中にぽっかりとある”荒野”に建つ、この廃墟を見たら、どんな感想を持つだろうか。
 送信所は1926年に竣工。1979年の閉局以降も、なんのメンテナンスもされずに、自身の力だけで力強くそびえている。僕にとって、送信所は「なんだこりゃ」なものであったし、「ベラボーなもの」だった。この建築は巨大なパブリックアートでもある。太陽の塔と同じく、今も何かを発信し続けているようだ。

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