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2010年3月

2010年3月31日 (水)

ツイッターで政務調査費を語る

2008年度の千葉市議の政務調査費問題が30日付の朝日新聞で報じられている。

「政調費返還求め勧告 千葉市監査委員」 

市民オンブス千葉が自民、民主の25人(※名前はこちら。http://bit.ly/aH7M31)に対し、目的外利用があったと主張。千葉市監査委員は14市議の一部に目的外利用があったとして、返還勧告している。

市民オンブズ千葉は目的外支出額として計11,761,083円の返還を請求。市監査委員側は4,928,369円を認定した。

市民オンブズによる政務調査費の監査請求はなるほどと思う面もあれば、これは政務調査費と認めてもよいと思う部分もある。

たとえば、複数の新聞購読料についても苦言を呈しているが、市議が社会情勢を知るために、新聞を購読するのは問題ないのではないか(新聞購読料は1紙を自己負担していれば、調査費と判断されている)。

朝日新聞には自民、民主の両幹事長の談話が載っている。

「自民会派の小川智之幹事長は『基準に沿い政務調査と議員活動を切り離して請求しているのに納得できない。議員の実情をわかっていない』、

民主会派の布施貴良幹事長は『実際は身銭を切る部分も多く、議員の実態からすると難しい』と反論するものの、返還する方向だという。

無所属・鈴木友音氏のブログ記事「政務調査費の返還勧告について」では「この返還命令の一部については納得のいくものと言いきれない部分もあります」と書く。

鈴木市議は当然、この14人には含まれていないだけに説得力を持っている。

鈴木市議は「特に『政務調査活動』と「政務調査活動以外の議員活動」との違いは曖昧」と指摘。「事務所の経費を政務調査費とそれ以外の部分で2分の1に按分するとなっていますが、やはり定量的に計算することはできない。様々な活動を通じて市民や支援者の方から市政に対する様々な意見をいただきそれを反映させることも重要ですから、2分の1が本当に妥当であるかは疑問です」と書く。

確かに、2分の1の按分というのは明確な根拠はないと思われる。<※按分=あんぶん【按分】. Ads by Google. (名)スル物品や金銭などを、基準となる数量に比例して割りふること>

監査委員も、曖昧さについては問題意識もある。「議員の同族会社との賃貸借契約や親族の雇用についての収支報告書については、現状の議会事務局と市長事務部局でもそれぞれチェックする役割をもつべき」「マニュアルは明確さを欠く部分があり、見直しを図られたい」と要望している。

千葉市の議員報酬と政務調査費についていえば、削減方向にある。市議会では2月1日、市の財政状況を鑑み、議員報酬の削減等について申し出た。 議員報酬の5%削減(効果 約2,500万円)、1人あたり月額30万円交付されている政務調査費を10%削減(効果約1,950万円)。その削減合計は約4,450万円になる。 http://202.212.171.17/shigikai/download/gikaihi220201.pdf

市議の年間の議員報酬・期末手当は1335万円(09年)。しかし、市議の労働量、その責任、職業としての不安定性(任期が切れればただの人)を考えれば、高いとは言い切れるだろうか。

以上のような内容をツイッターで発信していたら、市川市の並木まき市議(民主)がコメントをしてくれた。以下はツイッターでのやり取りを若干、再構成したものだ。経費の処理についての実態が分かるはずだ。

並木市議「市川市の場合、政務調査費は月額8万円。事務所を持っていたとしても事務所費には当然足りない。現地視察や書籍購入、専門情報誌購読などでほとんど消えます。それでも足りない分は報酬から身銭を削ります」

ちなみに千葉市の政務調査費は月額30万円(新年度は27万円)。

「8万円ですか、少なすぎませんか。それを聞くと、千葉市議は恵まれている。すごく基本的な質問ですが、市議には必要経費は認められているのですか?」

並木市議「税務上、確定申告では認められていません。源泉はもちろんあります。経費は、認められないようです。議員報酬はいわゆる役員報酬の性質と同じとみなされるようです。基礎控除などはもちろんあります」

「政務調査費のうち、事務所経費は半分という認定なら、半分は文字とおり、身銭を切ることになるのか、どうか。領収書は政務調査費の方で提出してしまったら、必要経費として税務処理はできないことになりますよね」

並木市議「私の場合、事務所費を政務調査費で使ったことがないので、あまり断定はできませんが、按分した上でそれぞれ計上できるのか、まったく無理なのか、によって変わってきますよね。ちなみに市川市は領収書原本を添付しますが議会によってはコピーのところもあるようですし」

「政務調査費でなくても、経費として事務所費くらい認めてもいいのではないですかね。課税対象になることはない。政党にいる場合、事務所経費は党の支部扱いで会計処理するのですか」

並木市議「民主党の場合、政党寄付金は国会議員と国会議員候補予定者のみ。支部経費でも地方議員は計上できません」

「民主党市川支部の中に並木市議の事務所があるわけではないんですか?」

並木市議「わたくしは事務所を持っていないので、党ウエブサイトには支部を記載しています。民主党では、地方議員は支部所属なので公開の「連絡先」に指定しています。もちろん民主党でも事務所を持っている地方議員は事務所を連絡先にしていますし、わたくしの場合は所属の支部を記載しているということです」

「できれば、個人の事務所は欲しいものですか?」

並木市議「控え室や自宅があるので今は高度な必要性を感じていませんが、選挙になれば選挙事務所は必要ですね」

「選挙はともかく、市民の立場からしても、恒常的な事務所はあったら便利だと思います。市川市の議員報酬ではなかなか事務所費の捻出が難しいですね。僕が市民なら、もっと上げろ、というけど」

並木市議「議員報酬は額面のみで高すぎると議論されるご時世ですが、実態は今のような部分含めて課題が残っていると実感しています。話は飛躍しますが市民がどんな議員、議会を求めていくかで変わってくると思います」

「手取り総額で見ないと、意味がないですよね。サラリーマンも同様に経費は認められないわけですが、だから、市議も経費が認められなくてよい、という話にはならない、と思います」

並木市議「なかなか実態までご理解頂ける方が少ないのか、とかく額面での議論になっています。マスコミの報道を見ても額面ベースで、高すぎる!と批判するので一般市民もそう思ってしまうのかも」

以上。

メディアの問題もありますが、リテラシーという市民側の問題も大きい。一連のツイートは鈴木市議のブログ、朝日新聞、市役所の資料を紐解き、さらに並木市議のツイートで立体的にみえてきたわけです。

山浦まもる市議のホームページによれば、「議員報酬 5%カット(すでに5%カットしていますのでTOTAL 10%となります。)現状で千葉市議の報酬は 18政令市中14位となっています」という。

議員報酬にしても、政務調査費にしても、千葉市は恵まれているのは確か。他に比べて高いから、削れという意見が出るけど、これもどうかと思う。よそにはよその事情があるわけだから。

政務調査費は税金だから、節約するのは当然としても、実際、金はかかるわけだし、正当な政務調査が自己負担になっては、一生懸命やる人がバカを見ることになってしまう。 @ATsZRAさんも言う。「個々の議員がきちんと政策研究を行い充実した議会審議を行うためには、十分なお金が必要でしょう」

「議員の政務調査費に関する件」
概要版http://bit.ly/9ICPQr
全文 http://www.city.chiba.jp/kansa/gyoseikansa/download/juminkansa220329.pdf 

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2010年3月22日 (月)

「NOD32アンチウイルス」レビュー★★★★★

2度目の更新。会社PCはウイルスバスターなんだけど、自宅用はNOD32。ウイルスバスターはPCによっては動作が重いと言われるが、NOD32は軽め。

オンライン購入もアマゾンも同一価格だったので、アマゾンにて購入。更新方法は簡単。「お申し込みコード」を打ち込み、初年度のユーザ名を入力するだけ。更新の反映までは少なくとも12時間程度待つ必要があるという。(2010/3/24追記)



2008年3月末で、ウイルスバスターの試用期限が切れます。ウイルスバスターはパソコンを買うと、ほぼ付属していますが、やっぱり重い。ということで、違うソフトを探すことにしました。

選んだのは、NOD32アンチウイルス。

パソコンに強い友人が「これ、いいよ」と薦めてくれたのが決め手。ネットでも検索しましたが、評判はいいようです。(2009/3/24)




インストールしましたが、動作は軽い。気に入ったので、更新版を購入して使っています。最新バージョンは下になります。追記(09/07/17)





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2010年3月20日 (土)

「アンダーグラウンド」(村上春樹)をめぐって



地下鉄サリン事件が起こったのは95年3月20日。もうすぐ事件から11年になる(※2006年3月のブログ記事)。村上春樹氏が地下鉄サリン事件の被害者や遺族にインタビューしたノンフィクション。村上春樹全作品の6巻に収録されたものを読んだ。



寝る前に少しずつ読もうとしたのだが、あまりに分厚くて進まない。移動が少ない日に電車の中でも読んだ。その場所は、本に出てくる日比谷線、千代田線、丸の内線の車内だったりもした。正直、あんまり気分がよいものではなかった。

僕はこの事件の前日まで仕事でフィリピンにいた。

島に渡って、太平洋戦争の傷跡を見たり、マニラではスモーキーマウンテン(常にゴミが焼かれ、巨大な山を築いていることが由来)と呼ばれるスラム街を歩くという精神的にヘビィな仕事だった。早く帰りたいな、というのが本音だった。

しかし、帰国便はエンジン故障で翌日出発に延期。乗客はまとめて、マニラ市内の帝国ホテルに延泊した。(実は、延泊した帝国ホテルが一番高級なホテルだった)

飛行機は真夜中にマニラを飛び立ち、朝九時くらいに成田に到着。ようやく税関を抜け、ホッとしていると、成田の大型ビジョンの前には人だかりに目がいった。画面には地下鉄の入り口で倒れ込んでいる人々…。築地駅で爆発事件、毒ガスで多数の被害者が出ている模様という。テレビも事実を掴みかねている感じだった。

日本は僕が思っているほど平和で安全な国ではなくなっていた。いや、実はそんなことにはとうに気付いていたのだが、気付かないふりをしていたのだ、たぶん。

同書を読んで、そんな光景がフラッシュバックした。

地下鉄サリン事件は、日本人にとって、思い出したくない辛い事件だ。あの日、人々はどんな思いで地下鉄に乗り、どんな体験をしたのか? そして、その後、どうしたのか?後遺症は?愛する家族を失った人々は何を思ったのか?

涙があふれてくるエピソードもある。瞼を強制的に開かさせられ、いやな現実を見せられている気持ちさえする。しかし、やはり見ないわけにはいけない。

事件直後、国民は地下鉄サリン事件、オウム事件に釘付けになった。それらはあまりにも現実離れし、そして、幼稚で、好奇心をそそるには十分な要素があったからだ。

マスコミはさまざまな形で地下鉄サリン事件を取り上げてきた。次第にその熱は国民の関心度と呼応し、冷えていくのが、村上さんはそこから「あの日、本当は何があったのだ?」と問いかけを始める。


村上さん自身も著書で記しているが、小説を書くのはアウトプット、インタビューはインプットの作業。まったく違う能力が要求される。しかし、村上さんは巧みに、こなしている。

ノンフィクションでもドキュメンタリーでも、インタビュアーは自分が書きたいことを聞き出すというケースが少なくない。例えば、「オウムは憎むべき存在ですよね」と聞き、相手が「はい」と答えたとする。それが紙メディアでは、相手が積極的に「オウムは憎むべき存在だ」と言ったというように”変換”されてしまう。サリン事件の被害者が「本当に言いたいことが伝わっていない」と怒るのは、こういうことがあったのではないか。

あるいはテレビでは、インタビューの一部だけが使われ、真意とは違う中身になってしまう。こんなことをやっているのは一部のマスコミなのだが、一度嫌な思いをすると、人は一括りに「マスコミは嘘ばかり書く」となる。村上さんも、少なからずそんな声を聞いたようだ。

この本では、丁寧な作業でアポイントから書籍化まで行っていることが分かる。それは序文、後書きに相当する部分にも、記されていますが、読まなくともインタビュー自体で分かる。

インタビューでは、被害者のバックグラウンドから語られ、どういう状況で事件に遭ったのかが書かれて、著者は傍観者で居続ける。

被害者から著者に質問をぶつけられることもある。しかし、村上さんは「分かりません」と言うのみだ。

これに対して、後日、読者から「なぜ、答えなかったのですか?」との質問を寄せられるが、村上さんは「あそこは自分の意見を言う場ではないから」と説明する。

インタビューは聞き出すのが仕事。特に時間が限れている場合は、意見を言うのはあまり意味があることではない。被害者の生の言葉を引き出し、再構成する。実は非常に難しいことだ。

村上さんの2作目「1973年のピンボール」の「僕」は人の話を聞くのが好きだという。「僕」=村上ではないにしても、主人公は作者の分身です。似たような傾向はあるのかもしれない。

「アンダーグラウンド」は村上春樹の匂いを消し去った作品と言われるようだが、聞き上手で、ちょっぴり人見知りの村上春樹の”背中”が見える。

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2010年3月10日 (水)

「働き方」(稲盛和夫)★★★★

「働くことに意味なんか求める必要がない」という意見もあるが、僕はそうは思わない。

京セラの稲森和夫氏は「働き方」で、いま、多くの人が働くことの根源的な意味を見失い、「働くこと」そのものに真正面から向きあっていないように思えると書く。

稲盛氏は恵まれた少年時代を過ごしたわけではない。中学受験に失敗、結核を煩い、再度の中学受験にも失敗。さらに、戦災で家を焼かれた。医学部受験も失敗し、地元の工学部に進むも、就職先は、初任給も給料日に支払われないような小さなガイシ(外資ではない)の会社だった。

「自分は運がない」と嘆いたそうだが、そんな考えを変えたのは一生懸命、働くということだった。天職とは出会うものではなく、自ら作り出すものだと稲盛氏はいう。

製品も愛情から、セラミックス製の蛇管を抱いて、寝たこともあった。「垢抜けないし、効率的とは言えないやり方。しかし、そのくらいの愛情を持って、自分の仕事に向き合わない限り、難しいテーマや新しいテーマに挑戦し、それをやり遂げる仕事の醍醐味は心の底から味わうことはできない」と書く。

経営の神様、松下幸之助も同じようなことをしている。非常に精神的な行為であるが、その声を聞こうとすることで見えてくるものがある、という。

稲盛氏は京都市中京区西ノ京原町に「京セラ」を立ち上げる。稲盛は「西ノ京原町で一番の会社になろう、その次は中京区で一番、その次は京都一に。その次は日本一、そして世界一だ」と社員に語りかけた。それは途方もない目標であった。町にも立派な会社があり、京都には島津製作所があり、現実は厳しかった。

「たとえ身のほど知らずの大きな夢であっても、気の遠くなるほどの高い目標であっても、それをしっかり胸に抱き、まずは眼前に掲げることが大切だ。人間には夢を本当のものにしてしまう、素晴らしい力がある。京都一、日本一の企業となると思い続けているうちに、いつのまにか自分自身でもそれが当たり前のように思えてきました。従業員にとっても同様で、いつのまにかとてつもない目標を私と共有し、果てしない努力を日々重ねてくれた」

「高い目標とは人間や組織に進歩を促してくれる、最良のエンジンである」。

SF作家、ジュール・ヴェルヌも「人が想像することは人がかならず実現できる」との言葉を残したが、夢を思い描くことが実現の一歩なのだ。

しかし、それにはたゆまぬ努力が必要だ。京セラは完璧主義を求める。ベストではなく、パーフェクトだ。ベストでは、ああここまでやったと満足してしまう。パーフェクトはとことん追い詰めるという意味だ。

新製品開発ではうまくいかず、炉の前で立ちすくむ社員がいた。稲盛氏は「おい、神に祈ったか?」といった。それは思わず口をついた言葉だったが、人事を尽くし、天命を待つしかないくらい全力を出し切ったのか、という意味であったと思い返している。

京セラは長期の経営計画を立てずにやってきた。それは遠くを見るというのはたいていウソに終わるという考えだという。ゴールが見えなかったら、従業員も目標をあなどるようになり、士気や意欲を失う。それよりも、瞬間瞬間を大切にして、小さな山を越えてゆくことが大切なのだ、という。

長期計画よりも、大事にしたのは信念だ。

稲盛は最初に就職した会社であまりにも信念を貫き、孤立した時があった。先輩からは「人生には妥協が必要だ」と助言された。納得する部分もあったが、結局、信念を貫くことにした。

山を登るにはいくつかのやり方はある。緩やかな斜面を登るのも手。垂直に登ると決意する。それはこういう考えだった。安全な方法をとっているうちに、険しい頂上をきわめようとする気持ちを忘れてしまうかもしれない。岡本太郎、安藤忠雄にしても、彼らは妥協を嫌い、人生に闘いを挑んだ。

「創造というものは素人がするもので、専門家がするものではない。新しいことができるのは、何ものにもとらわれない、冒険心の強い素人であり、その分野で経験を重ね、多くの前例や常識を備えた専門家ではない」

この言葉の裏付けはジェームズ・アレンの以下の言葉だ。

「けがれた人間が敗北を恐れて踏むこもうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜならば、清らかな人間はいつも自分のエネルギーをより穏やかな心とより明確でより強力な目標意識で導いているからです」

最後に、稲盛氏の人生観。それはひとつの方程式で表すことができるという。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」。この中でも、大切なのは考え方だという。

正しい考え方とは?

「常に前向きで、建設的であること」
「みんなと一緒に仕事をしようと考える協調性を持っている」
「明るい思いをいだいていること」
「肯定的であること」
「善意に満ちていること」
「思いやりがあって、優しいこと」
「真面目で正直で謙虚で努力家であること」
「利己的ではなく、強欲ではないこと」
「『足るを知る』心を持っていること」
「そして、感謝の心を持っていること」

働くことが面白くないと感じた時は、この言葉を自問してみよう。


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