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2010年3月20日 (土)

「アンダーグラウンド」(村上春樹)をめぐって



地下鉄サリン事件が起こったのは95年3月20日。もうすぐ事件から11年になる(※2006年3月のブログ記事)。村上春樹氏が地下鉄サリン事件の被害者や遺族にインタビューしたノンフィクション。村上春樹全作品の6巻に収録されたものを読んだ。



寝る前に少しずつ読もうとしたのだが、あまりに分厚くて進まない。移動が少ない日に電車の中でも読んだ。その場所は、本に出てくる日比谷線、千代田線、丸の内線の車内だったりもした。正直、あんまり気分がよいものではなかった。

僕はこの事件の前日まで仕事でフィリピンにいた。

島に渡って、太平洋戦争の傷跡を見たり、マニラではスモーキーマウンテン(常にゴミが焼かれ、巨大な山を築いていることが由来)と呼ばれるスラム街を歩くという精神的にヘビィな仕事だった。早く帰りたいな、というのが本音だった。

しかし、帰国便はエンジン故障で翌日出発に延期。乗客はまとめて、マニラ市内の帝国ホテルに延泊した。(実は、延泊した帝国ホテルが一番高級なホテルだった)

飛行機は真夜中にマニラを飛び立ち、朝九時くらいに成田に到着。ようやく税関を抜け、ホッとしていると、成田の大型ビジョンの前には人だかりに目がいった。画面には地下鉄の入り口で倒れ込んでいる人々…。築地駅で爆発事件、毒ガスで多数の被害者が出ている模様という。テレビも事実を掴みかねている感じだった。

日本は僕が思っているほど平和で安全な国ではなくなっていた。いや、実はそんなことにはとうに気付いていたのだが、気付かないふりをしていたのだ、たぶん。

同書を読んで、そんな光景がフラッシュバックした。

地下鉄サリン事件は、日本人にとって、思い出したくない辛い事件だ。あの日、人々はどんな思いで地下鉄に乗り、どんな体験をしたのか? そして、その後、どうしたのか?後遺症は?愛する家族を失った人々は何を思ったのか?

涙があふれてくるエピソードもある。瞼を強制的に開かさせられ、いやな現実を見せられている気持ちさえする。しかし、やはり見ないわけにはいけない。

事件直後、国民は地下鉄サリン事件、オウム事件に釘付けになった。それらはあまりにも現実離れし、そして、幼稚で、好奇心をそそるには十分な要素があったからだ。

マスコミはさまざまな形で地下鉄サリン事件を取り上げてきた。次第にその熱は国民の関心度と呼応し、冷えていくのが、村上さんはそこから「あの日、本当は何があったのだ?」と問いかけを始める。


村上さん自身も著書で記しているが、小説を書くのはアウトプット、インタビューはインプットの作業。まったく違う能力が要求される。しかし、村上さんは巧みに、こなしている。

ノンフィクションでもドキュメンタリーでも、インタビュアーは自分が書きたいことを聞き出すというケースが少なくない。例えば、「オウムは憎むべき存在ですよね」と聞き、相手が「はい」と答えたとする。それが紙メディアでは、相手が積極的に「オウムは憎むべき存在だ」と言ったというように”変換”されてしまう。サリン事件の被害者が「本当に言いたいことが伝わっていない」と怒るのは、こういうことがあったのではないか。

あるいはテレビでは、インタビューの一部だけが使われ、真意とは違う中身になってしまう。こんなことをやっているのは一部のマスコミなのだが、一度嫌な思いをすると、人は一括りに「マスコミは嘘ばかり書く」となる。村上さんも、少なからずそんな声を聞いたようだ。

この本では、丁寧な作業でアポイントから書籍化まで行っていることが分かる。それは序文、後書きに相当する部分にも、記されていますが、読まなくともインタビュー自体で分かる。

インタビューでは、被害者のバックグラウンドから語られ、どういう状況で事件に遭ったのかが書かれて、著者は傍観者で居続ける。

被害者から著者に質問をぶつけられることもある。しかし、村上さんは「分かりません」と言うのみだ。

これに対して、後日、読者から「なぜ、答えなかったのですか?」との質問を寄せられるが、村上さんは「あそこは自分の意見を言う場ではないから」と説明する。

インタビューは聞き出すのが仕事。特に時間が限れている場合は、意見を言うのはあまり意味があることではない。被害者の生の言葉を引き出し、再構成する。実は非常に難しいことだ。

村上さんの2作目「1973年のピンボール」の「僕」は人の話を聞くのが好きだという。「僕」=村上ではないにしても、主人公は作者の分身です。似たような傾向はあるのかもしれない。

「アンダーグラウンド」は村上春樹の匂いを消し去った作品と言われるようだが、聞き上手で、ちょっぴり人見知りの村上春樹の”背中”が見える。

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コメント

他人様に自分のことを書いてもらって、十分満足した!ってことは、確かにありませんねぇ。書き手の主観が入ってしまうのがほとんどなんでしょうね。きっと。

聞き上手

案外難しいことだと思います。

カミさんは数日前の友人の結婚式で、同じ路線を走ったそうです。ほんのちょっとしたタイミングしか、被害に遭った人、遭わなかった人の差は無いんですよね・・・

投稿: しぇるぽ | 2010年3月22日 (月) 12時41分

>しぇるぽさん

>他人様に自分のことを書いてもらって、十分満足
>した!ってことは、確かにありませんねぇ。書き
>手の主観が入ってしまうのがほとんどなんでしょ
>うね。きっと。

多分ですが、ストーリーを再構築する上で、都合の悪いエピソードは切り捨ててしまうのかもしれませんね。

>聞き上手
>案外難しいことだと思います。

サリン事件の被害者及びご家族というのは口が重いと思われます。しかし、誘導するのではなく、ひたすら、インタビューイの沈黙を待つわけです。普通は耐えきれなくて、誘導したり、同情の言葉をかけてしまうものです。

>カミさんは数日前の友人の結婚式で、同じ路線を走
>ったそうです。ほんのちょっとしたタイミングしか、>被害に遭った人、遭わなかった人の差は無いんです
>よね・・・

まさに。誰でもが被害に遭う可能性がある出来事だったのでしょう。

投稿: kuzumik | 2010年3月25日 (木) 22時57分

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