« iCrewレビュー(2)サイクルアプリ #BikemateGPS を試してみた。面白いけど、マッシュアップに不具合? 非常に惜しい。バージョンアップに期待だ | トップページ | サイクリング&ツイッターの相性は最高だ。チューブ交換のトラブルも解決、単独サイクリングでも会話を楽しめる »

2010年4月 8日 (木)

岩波ブックレット「情報は誰のものか」 沖縄密約事件の西山元記者は言う 「問題意識を持って、多数の資料を収集するなど懸命の努力をして勉強して、あらゆる角度からアプローチしていって、ようやく少し分かってくる。その程度のものなのです」

沖縄「密約文書」訴訟が4月9日、判決を迎える。

以下は共同通信の記事からの引用。

沖縄密約、どう判断 東京地裁が9日判決(共同通信)

 1972年の沖縄返還をめぐり日米両政府が交わしたとされる密約のうち、米軍用地の原状回復費を日本側が肩代わりするとの文書などについて「不存在」を理由に開示しなかったのは不当だとして、元毎日新聞記者西山太吉さん(78)らが国に処分取り消しなどを求めた訴訟の判決が9日、東京地裁で言い渡される。

 吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)の法廷証言や、米国立公文書館で発見された密約の存在を示す一連の文書を基に、裁判所が密約の存在などをどう判断するかが最大の注目点。

山崎豊子の「運命の人」のモデルで、同裁判の原告、西山太吉・元毎日新聞記者が参加した岩波ブックレット「情報は誰のものか~沖縄密約事件、北朝鮮報道、メディア規制」は02年12月、毎日労組などが企画したシンポジウムを再構成したもの。出席者は故筑紫哲也氏、西山太吉氏、民主の細野豪志氏、上智大の田島泰彦氏という顔ぶれだ。

2010年2月27日 (土)
「運命の人」(山崎豊子)★★★★★
 
沖縄密約事件のテーマでは西山氏が記者クラブ制度について語る。

「新聞記者はきらびやかな仕事で、どこへでも入っていって丁々発止やっていくなんてというのは知らない人がいうこと。自分が問題意識を持って、多数の資料を収集するなど懸命の努力をして勉強して、そして相手のいうことについて『あなたはそういうけれども、こうじゃないか』という形で、あらゆる角度からアプローチしていって、ようやく少し分かってくる。その程度のものなのです。それだけ厳しい社会です」

 記者クラブについては筑紫氏は廃止論を展開する。上司に「日本型の記者クラブはやめるべき」と進言したら、「言う通りだが、出世のさまたげになるから、慎重にしろ」と言われたとのエピソードを披露。

筑紫氏はジャーナリズムではある種、有名な命題の話題を持ちかける。コロムビア大の有名教授は志望学生に毎年こんな問い掛けをしている、という。

「戦場に従軍記者として出かけた。その戦地で、横で兵士が倒れた。傷ついた兵士を救うか、取材を続けるか?」という問い。学生10人のうち8人は「救う」と答える。講義はそこから始まる。はたして、救うが正解なのか、どうか?

そこで、教授が学生に見せるのは沢田教一が撮ったベトナム戦争の有名な写真だ。ピューリッツァー賞も受賞している。

たくさんの子供を抱えながら、母親が泳いで逃げようとするショットだ。戦争の悲惨さを端的に伝えたものだ。

教授は「この写真によって、戦争の終結は2年早まった。ジャーナリズムの仕事はそういうものだ」という。すると、生徒の意見は見事に逆転する。

平和な日本では、戦場カメラマンの話はあまりピンとこないかもしれない。しかし、阪神大震災など災害の現場では同じようなことが起こっている。被災者の姿にシャッターを向けたカメラマンは「ひとでなし」と罵詈雑言を浴びせられた。掲載をめぐっても、編集局内ではいろいろな判断があっただろう。

それでも、被災の様子を見事に伝えた写真が全国に流れると、義援金は集まる。ジャーナリズムというのは人権をめぐって、最後まで悩み続けなければいけない。真のジャーナリズムは非常に過酷な仕事だと言える。しかも、そのジャッジメントは難しい。

田島泰彦氏は私たちの社会において、「少数意見がいいにくい雰囲気がないか」とも問いかける。

この発言は拉致問題に絡んだ報道で飛び出すのだが、イラク人質問題でも同様のことが持ち上がった。当初、義憤でイラク入りした日本人には同情論もあったが、新自由主義者で、当時国民からの支持も厚かった小泉首相の発言をきっかけに、自己責任論が巻き起こった。

確かに、彼らは自己責任で戦争状態のイラクに向かった。確かに、その通りであるが、彼らはイラクの国民の生命を救うために出かけた。オリンピック代表選手のような国家に選ばれた人間ではないのにしても、自己責任で切って捨てていいものか? 国家の基本的な理念は国民の命と財産を守る、ではないのか?

しかし、自己責任論に反発する人、言論はあまり多くなかった。少数派の意見は確かに言いにくい。

田島氏は第二次大戦を引き合いに出して、国家が戦争に向かおうとするとき、反対意見を言えるかどうかと疑問を投げかける。「戦前のような軍国主義はありえないと思いたいが、メディアに関わって経験してくると、それは楽観的な考えにすぎないという気がする」

戦時中の新聞メディアは確かに思考停止だった。新聞は利益誘導するために国民を戦争に導いた面がある。それに加え、有事法制の議論の中ではメディア統制も持ち上がったことがある。しかし、メディアが国家の管理下にあっては、言論の自由は守られるわけもない。

沖縄密約事件では見事な世論誘導で、言論が封じ込められてしまった。同事件は言論メディアの汚点であり、敗北であった。

最後に筑紫氏の発言を引用したい。

筑紫氏はは戦場で兵士を救うか否かの話に戻って、以下の発言する。

「自分がジャーナリストの立場を貫こうとするのか、その仕事を放棄しても人間でありたいと思うか、たとえば、メディアの中にいる個人個人だって、その会社に全人格を給料で買われているわけではないから、最後は一人一人が決めることだということに帰着するだろうと思うし、私自身もそう思って仕事をしています」

沢田教一よりも、議論になったピューリッツァー賞受賞作がある。ケビン・カーター氏が93年に撮影した「ハゲワシと少女」。スーダンで飢餓の少女がハゲワシに狙われているというショットだ。発表後、絶賛と「どうして彼女を救わなかったのか」との批判が巻き起こった。カーター氏は同賞受賞後の1か月後に自殺した。

カーターは本当に少女をたすけなかったのか?

現場にいた友人ジャーナリストの話によれば、ショットは偶然の瞬間に生まれたもので、カーターは撮影後、ハゲワシを追い払った。そして、「少女は国連の食糧配給センタ-の方へよろよろと歩きだした。それを見た後は、すさんだ気持ちになり、木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けた」と手記に記している(ウィキペディア)。

今のメディアは問題があるのは確かだ。総論で語られれば、「だから、今の新聞、テレビはダメなんだ。これからはネットの時代だ」ということになってしまう。しかし、それは非常に危険な考え方ではないだろうか?

何がよくて、何がダメなのか、その場面場面で論じていかなければ、全否定で終わってしまう。物事はそんな単純ではない。

情報は誰のものか? 同書でも冒頭書かれている通り、答えはあらかじめ用意されている。情報の最終的な権利者は市民である。政治家でも、ジャーナリストでもない。

ジャーナリズムがこのまま崩壊していけば、市民生活をも脅かす。新聞であれ、テレビであれ、ネットでもいいと思うが、ジャーナリズムはなくなってはいけない。

|

« iCrewレビュー(2)サイクルアプリ #BikemateGPS を試してみた。面白いけど、マッシュアップに不具合? 非常に惜しい。バージョンアップに期待だ | トップページ | サイクリング&ツイッターの相性は最高だ。チューブ交換のトラブルも解決、単独サイクリングでも会話を楽しめる »

書評 ブックレビュー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/153718/48029755

この記事へのトラックバック一覧です: 岩波ブックレット「情報は誰のものか」 沖縄密約事件の西山元記者は言う 「問題意識を持って、多数の資料を収集するなど懸命の努力をして勉強して、あらゆる角度からアプローチしていって、ようやく少し分かってくる。その程度のものなのです」:

« iCrewレビュー(2)サイクルアプリ #BikemateGPS を試してみた。面白いけど、マッシュアップに不具合? 非常に惜しい。バージョンアップに期待だ | トップページ | サイクリング&ツイッターの相性は最高だ。チューブ交換のトラブルも解決、単独サイクリングでも会話を楽しめる »