« 2010年5月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月

2010年9月21日 (火)

検見川小学校でモールス信号発信教室

地元自治会、商店会などが行う敬老の日の恒例イベント「検見川フェスタ・やあびな」が9月20日(月)、検見川小学校で開催され、「検見川送信所を知る会」として初めてブースを出店した。

検見川フェスタやあびな会場

今回の売りは「モールス信号体験教室」。スタッフがモールス信号を打つ電鍵の模擬装置を用意。

モールス符号表に合わせて、打電してもらおうというものだ。元送信所職員の”指導”の下、小学生たちは検見川送信所を表す「J1AA」や自分の名前などを「トン」「ツー」で打ち込んでいた。うまくできた子供には「合格証」を発行し、合格者を集めて、ジャンケン大会を行い、地元銘菓「検見川最中」をプレゼントした。ちょっとした行列ができるなど、なかなかの盛況ぶりだった。

05007163346_84d78db2cb_z

モールス符号体験は小学生に向けた企画だったが、個人的にも非常に興味深かった。

符号は基本的にトン、ツーの最大5つの組み合わせからなる。頻繁に使う文字は短く、非常に合理的だ。例えば、Eは「トン(・)」、Iは「トントン(・・)」となる。

これに対して、日本語のモールス符号は煩雑。これは文字の使用頻度は考慮せず、ABCをイロハを当てはめただけだから、だそうだ。

1929年(昭和4年)のツェッペリン号の来日も、検見川送信所をはじめとする無線施設との交信はモールス符号で行われた。

同号には朝日と毎日の新聞記者が乗っていた。打電は米式ではなく、イロハ式で行っていたと推測される。イロハ式の煩雑さは欠点と言えるが、文字が持つ情報量は日本語が上。打電数は制限されていたので、記者は自身でいかに情報を織り込むかを考えたはずだ。

朝日新聞の例でいうと、北野吉内記者が打電。それを受信した東京本社の社会部長が記事としてまとめた。ツェッペリンの乗船記はいわゆるアンカーマン制度で生まれた原稿であった。それまでニュースは記者の個人プレーがもっぱらだったが、ツェッペリン号ではチームプレーがモノをいったのである。

約80年前、検見川の空中には無数の「トンツー」が飛び交っていた。なんか不思議ですよね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2010年5月 | トップページ | 2010年10月 »