「検見川送信所 1923-1999」(仮題)目次の一部
「検見川送信所」の物語は目次、参考文献を除き、原稿用紙にして537枚となった。
参考文献も以前より増えたし、「はじめに」も、その後手を加えたけど、とりあえず、そのままで。
以下は目次の一部。
現在、6章立てになっているんだけど、その第1章分はこんな感じ。
第一章 関東大震災篇(一九二三~二六年)
~首都崩壊が検見川送信所誕生のきっかけだった~
・無線の父、中上豊吉
・有線ケーブルから無線へ 海軍船橋送信所の誕生
・欧米に負けない大電力無線局を
・その時、関東大震災が起こった
・戒厳令の夜の混乱と謀略
・そして、逓信省は全壊した
・船橋送信所所長は言った「朝鮮人を殺していい」
・大電力送信所を検見川に
・「モダニズム建築の父」、吉田鉄郎
・コールサイン「J1AA」の意味
・東京放送局誕生秘話
・二七歳の所長
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