書評 ブックレビュー

2010年5月 6日 (木)

「ベーシック・インカム入門」(山森亮)★★★★ 「働かざるもの食うべからず」は正しいのか?

ベーシックインカム(BI)は「すべての個人が無条件で生活に必要な所得への権利を持つ」という考え方。

著者の山森亮氏は1970年生まれの経済学者。同書は6章立てになっていて、興味によって、どこからでも読めるようになっている。章の終わりには「まとめ」もあるので、おさらいもできる。

この「無条件給付」については疑問がある人もいるだろうと山森氏はいう。自身も90年代にBIについて初めて聞いた時は嫌悪感を持ったと告白する。

(1)お金持ちにも給付するのは馬鹿らしくないか?
(2)働く気のない人に給付するのはよくないのでは? というものだ。

「働かざるもの食うべからず」ということわざがある。

しかし、働けない者は生きる権利はないのだろうか? 

この言葉には逆のことも言える。先祖代々の土地や財産を所有し、不労収入を得ている人はどうなのか? 相続税100%として没収すべきなのか? 

いやいや、すべての個人は生きる権利(生存権)がある。

福祉国家の理念として1)完全雇用 2)社会保険 3)公的扶助(=生活保護)の3つがある。

しかし、実際はどうだろうか? まず、この完全雇用が崩壊し、ワーキングプアが存在する。

生活保護については不正受給がクローズアップされている。不正受給は当然、おかしいが、これ自体がBIへの抵抗感にもつながっているように思える。また、捕捉率も20%と他国に比べて、極めて低い。

生活保護に関していえば、現状の5倍の予算が必要ということになるわけで、こうした事情を考えば、BIの方が政治的な実行可能性は高いのではないか、と投げかける。

ごみ収集、図書館利用など社会のシステムの多くは誰でも利用、参加できるものだが、生活保護に関して言えば、選別の仕組みの中にある。そして、多くの人がそれを当然と考えている。しかし、この選別性は特殊と言える、と山森氏は書く。

BIは突拍子もない考えのようにも思えるが、実は200年以上の歴史を持つ。イングランドの思想家トマス・ペインは18世紀末に原型とも言える考え方を披露している。マーティン・ルーサー・キング牧師が1968年に行った「貧者の行進」もBIを訴えたものだ。

ジョン・スチュアート・ミルは「経済学原理」でこう書く。

「生産物の分配の際にはまず第一に、労働のできる人にもできない人にも、ともに一定の最小限度の生活資料だけはこれを割り当てる」。つまり、BIである、と。

BIを唱える経済学者はけっしてマイナーでもなく、右派左派共通の認識だ。例えば、ネオリベを自称するフリードマンも「負の所得税」という形でBI的な考えを提唱しているという。

BIへ懐疑的な人は2つの疑問を持っている。

1)導入されれば、人は働かなくなるのでは?
2)財源はどうするのか?

また、炭鉱労働者、ゴミの運搬人など危険であったり、汚れる仕事は誰もやらないのでは? との問いもあるが、「現状の労働条件ではしないだろう。しかし、それに値する高賃金を支払えば、働く人はいるだろう。また、それが正しく尊敬を払うあり方だ」とブリュッセルのフーリエ主義者ジョゼフ・シャルリエは言う。

不労の可能性についてはミルトン・フリードマンやミードの考えを例に出す。フリードマンらは労働インセンティブを高める必要があると主張していると披露。山森氏は「不労の可能性があるとは一概には言えない」とまとめる。

財源問題については「奇妙なのは、お金がかかるすべての話に財源をどうするのかという質問されるわけではないことである」「財源をどう議論したいのではなく、単に相手を黙らせたいだけであると思わざるを得ない」と手厳しく言った上で、論を展開していく。

財源の問題については定率所得税派、再分配重視派、消費税派、環境重視派などがあるが、この議論とは別に、どんな税制と社会保障の組み合わせが公正か、効率的なのかと議論が進んでいる、という。

最後には日本でどのようにBIが進む可能性があるのかを提言する。

1つ目は生活保護や児童扶養手当の制度改正。困窮者がいるのに、受給者数が増えない現状を問題視すべきではないか、という。

2つ目は年金の税方式化の推進。払い始めから支払いまでタイムラグがあれば、コストも多大。税方式とすれば、高齢者対象のBIになる。

3つ目は児童手当の所得制限の撤廃。(同書は子ども手当以前に書かれている)。

4つ目は所得控除の給付型税額控除化。現在の扶養控除は課税最低限の低所得層には意味がなく、給付型の税額控除に変えるべき、という。これは英米では導入済み。定額給付金でも、ある程度の経済効果があったわけでBIには一層効果があるのでは、と主張する。

つまり、年金が税財源化され、児童手当が普遍化、増額され給付型税額控除が導入されれば、多くの人が部分的なベーシックインカムを手にすることになる。

システムを簡略化すれば、コストも人件費もカットできるだろう。

BIについては賛否さまざま意見がある。

ツイッターで、本からの抜粋(上記の内容)をツイートしたところ、「BIよりも負の所得税の方が優れている」「BIは自由主義である。金はやるから、後は知らないということにはならないか?」といった意見もいただいた。

「誰でも生きる権利はある」という基本的な考えは賛同できる。急激なBI導入は危険だが、徐々にBI的な政策を取り込むことは可能であろうし、今後とも大いに議論すべきだ。話題のBIだけに、一読の価値ありだ。

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2010年4月21日 (水)

「Gmail仕事術」(樺沢紫苑)★★★★ Gmail初心者は目からウロコ 使いこなしている人は確認の意味で 案外知らない機能があるものだ

著者の樺沢紫苑さんは本業は精神科医であり、映画評論でも活躍。人気メールマガジンの発行人でもある。メールの達人を自負する樺沢さんがメール術を披露している。Gmailを使っていない人、どうやって使えばいいのか分からない人にはよい参考書になるだろう。

Gメールを使っていない人は非常にもったいない。迷惑メールのフィルタリング機能が強力で、しかも、無料のサービスだからだ。

迷惑メールというのはストレスの原因であり、仕事をする上でも,効率を悪くする。

樺沢さんは「迷惑メールは削除するな」という。

僕も迷惑メールはよほどのことがない限り、削除はしない。やりだすと、キリがないので時間の無駄だからだ。迷惑メールはよほど貯めこまない限りはメールボックスが溢れ出すことはない。ただ、「迷惑メールを報告」というボタンを押せば、効率化が図れる、とある。

樺沢さんによれば、迷惑メールには3大原則がある。

(1)迷惑メールは絶対に解除してはいけない
(2)絶対にクリックしてはいけない
(3)開封してはいけない

逆に言えば、Gメールのフィルタリングさえしておけば、大丈夫ということだ。

迷惑メールのフィルタリングに役に立つのは連絡先を強化すること。既存の連絡先をインポートしたり、Gmailアカウントから相手に送信すれば、迷惑メールフォルダにまぎれることはない。ここもポイント。

迷惑メールが世の中にあふれている現状を考えれば、相手に自分のメールを認識させることが大事になる。最も優れたメールは件名だけで、メール内容が理解できる、というものだという。

「できれば、『差出人』を見なくても、あなたからのメールだとわかることが望ましい」

樺沢さんはGメールとメールソフトを二刀流で使っているというが、僕はメールソフトは使わず、Gメール一本。システムは簡略化した方がいいというのが持論だが、樺沢さんも書いているようにネット環境や受信するメール数や数によって変わるので一概には言えない。

「Gmail Lab」の活用も勧めている。「Lab」とはGmailの実験室みたいなもの。正式版には至らない機能を試験的に運用している。今、自分のLab設定をみると、9個の機能をオンにしていた。ここは半分、好奇心みたいなもので、新機能の一端を垣間見られて面白いかも。

Labの実用例としては、テンプレートを「下書き」に入れておく、というものがある。「返信定型文」という機能があり、返信すると、「いつもお世話になっております」などの定型文が呼び出せる仕組みになっている。これは複数の署名を使う時にも使える。

定型文は単語登録を使うといい、とあるが、「Google日本語」では、ある程度、文字を打つと、長い定型文が出てくるので、まあいいかという気もする。単語登録した文字が何かを覚えておく方が面倒くさいかも(あくまでも自分の場合)。

樺沢さんは「2分で返信できるメールは今すぐ返信する」と勧める。

これは元々はデビッド・アレン著「ストレスフリーの仕事術」で提唱されているものだ。これも良書であり、Gmail仕事術と合わせて読むとよい。

2009年1月13日 (火)
iPodTouch、iPhoneでGTDを実行する 「ストレスフリーの仕事術」

Gmailは概念に慣れるまで、少し苦労するかもしれない。返信に返信をしていくと、スレッドという形でたまっていく。これはこれで非常に便利なんだけど、膨らみすぎるのは注意という。僕は結構、ふくらませてしまうが、幾十にもなると、見にくいのは確か。「相互に2、3往復したら、新しい件名に変えてメールを出す。これを習慣化すべきです」

Gmailのスター機能は重要なメールの見逃し防止に役に立つ。Labにはこの機能を越える、「スーパースター」というのがある(気がつかなかった)。既存の黄色以外に5種の色とアイコンが使えるのだそうだ。しかし、あまり多用すると、意味がないだろうが、後2種類くらい増やすと、仕事別に分けられそうだ。早速、使ってみたい。

同書ではGmailの使い方にとどまらず、グーグル機能の使い方にも言及。情報収集の方法として、アラート、カレンダー、iGoogleなども取り上げられている。この辺も参考になるだろう。

ブラウザの高速実験も報告されている。Gmailの表示速度で比較すると、IE7が112秒、FireFox3が55・8秒、グーグルクロームが34・9秒。圧倒的にクロームが速い。僕も普通はクロームが多いけど、正直一長一短かな。

以上、自分が気になった箇所だけ、ピックアップした。僕は既にGメールを使い、複数のアカウントを一つにまとめ読みしているが、Gmail初心者にとっては目からウロコかもしれない。使いこなしている人は確認の意味でどうぞ。使いこなしているつもりでも、案外使っていない機能はあるものだ。

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2010年4月19日 (月)

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」★★★★ 発想の妙とパッケージの勝利 #moshidora

新刊ラジオ @sinkanjp というPodcastを愛聴している。ビジネス書を中心に新刊書を紹介するというもの。「耳で立ち読み」というのがキャッチフレーズ。徒歩移動の際に聴くのにうってつけなのだ。

「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」はそこで紹介された一冊だ。

スタンリー・キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』よりは短いけど、正式題名が未だに覚えられない。通称「もしドラ」と呼ばれている。

高校野球部の女子マネジャーが、マネジャーとしての勉強をしたいと思い、書店で店員に勧められるがままにピーター・F・ドラッカーの「マネジメント」を購入し、同書を参考書に甲子園を目指す、というストーリー。

書店の売上上位にランクイン。「週刊ダイヤモンド」(4/17)によれば、既に38万部以上を売り上げているという。アニメオタクの人が好みそうなライトノベルな表紙に抵抗感がある、という人もいるだろうが、この表紙こそが普段はビジネス書を手にしない読者層まで広げた。物語は発想の妙であり、パッケージの勝利だといっていい。

かくいう僕も、あの表紙は恥ずかしかったけど、ブックカバーをかぶせてしまえば、関係がない。その点は出版社側が戦略的に作られているように思える。

時間にして約2時間半、あっという間に読み切ってしまった。読みやすく、面白い。最後の方は涙を拭いながら読むことになる、とは。経営とは感動なのだ、と気付かされる。

ストーリーはいきなり本筋から入る。読者は題名にひかれて買っているわけで、青春学園ドラマを延々やれても、飽きてしまう。

高校野球部の女子マネジャーがドラッカーを読みながら、マネジメントについて考えているという光景も、想像するだけでいじらしいし、面白い。

ドラッカーの著書は企業人を想定して書かれたものだが、個人の生き方にも通じるとして広く読まれている。しかし、その思想、言葉が非営利団体である高校野球部に通用するのか? ドラッカーは「マネジメント」の冒頭で、「顧客は誰かの問いこそ、個々の企業の使命を定義する上で最も重要な問題」と書いている。

ヒロインは、「高校野球部の顧客とは誰か?」を真剣に考える。そもそも、企業でもない高校野球部に顧客がいるのか?おそらく、作者も一番、悩んだのではないか?数あるドラッカーの名言の中でも「顧客」の定義こそ難しく、大切だということが気付かされる。

展開のテンポはよくて、グイグイ引き込まれる。肝心の野球部員の書き込みは足りない気もするが、読者もそんなに知りたいとも思わないのかも。最後の展開の予測はつくが、発想が変化球だけに、見事に直球を投げ込まれた感じだ。

作者、岩崎夏海さんは1968年生まれ。AKB48の企画などに携わっていたそうで、主人公のモデルはメンバー、「峰岸みなみ」という。野球部員はややおざなりだが、ヒロインがイキイキと描かれているのはそういうことか。

高校野球部に「マネジメント」が使えるということは、なんでも応用できるってこと。「もしドラ」の「高校野球の女子マネージャー」の部分はいろんな誰かに当てはめて考えられそうだ。

今度は本家ドラッカーを読もうってと思う一冊だ。

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2010年4月 8日 (木)

岩波ブックレット「情報は誰のものか」 沖縄密約事件の西山元記者は言う 「問題意識を持って、多数の資料を収集するなど懸命の努力をして勉強して、あらゆる角度からアプローチしていって、ようやく少し分かってくる。その程度のものなのです」

沖縄「密約文書」訴訟が4月9日、判決を迎える。

以下は共同通信の記事からの引用。

沖縄密約、どう判断 東京地裁が9日判決(共同通信)

 1972年の沖縄返還をめぐり日米両政府が交わしたとされる密約のうち、米軍用地の原状回復費を日本側が肩代わりするとの文書などについて「不存在」を理由に開示しなかったのは不当だとして、元毎日新聞記者西山太吉さん(78)らが国に処分取り消しなどを求めた訴訟の判決が9日、東京地裁で言い渡される。

 吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)の法廷証言や、米国立公文書館で発見された密約の存在を示す一連の文書を基に、裁判所が密約の存在などをどう判断するかが最大の注目点。

山崎豊子の「運命の人」のモデルで、同裁判の原告、西山太吉・元毎日新聞記者が参加した岩波ブックレット「情報は誰のものか~沖縄密約事件、北朝鮮報道、メディア規制」は02年12月、毎日労組などが企画したシンポジウムを再構成したもの。出席者は故筑紫哲也氏、西山太吉氏、民主の細野豪志氏、上智大の田島泰彦氏という顔ぶれだ。

2010年2月27日 (土)
「運命の人」(山崎豊子)★★★★★
 
沖縄密約事件のテーマでは西山氏が記者クラブ制度について語る。

「新聞記者はきらびやかな仕事で、どこへでも入っていって丁々発止やっていくなんてというのは知らない人がいうこと。自分が問題意識を持って、多数の資料を収集するなど懸命の努力をして勉強して、そして相手のいうことについて『あなたはそういうけれども、こうじゃないか』という形で、あらゆる角度からアプローチしていって、ようやく少し分かってくる。その程度のものなのです。それだけ厳しい社会です」

 記者クラブについては筑紫氏は廃止論を展開する。上司に「日本型の記者クラブはやめるべき」と進言したら、「言う通りだが、出世のさまたげになるから、慎重にしろ」と言われたとのエピソードを披露。

筑紫氏はジャーナリズムではある種、有名な命題の話題を持ちかける。コロムビア大の有名教授は志望学生に毎年こんな問い掛けをしている、という。

「戦場に従軍記者として出かけた。その戦地で、横で兵士が倒れた。傷ついた兵士を救うか、取材を続けるか?」という問い。学生10人のうち8人は「救う」と答える。講義はそこから始まる。はたして、救うが正解なのか、どうか?

そこで、教授が学生に見せるのは沢田教一が撮ったベトナム戦争の有名な写真だ。ピューリッツァー賞も受賞している。

たくさんの子供を抱えながら、母親が泳いで逃げようとするショットだ。戦争の悲惨さを端的に伝えたものだ。

教授は「この写真によって、戦争の終結は2年早まった。ジャーナリズムの仕事はそういうものだ」という。すると、生徒の意見は見事に逆転する。

平和な日本では、戦場カメラマンの話はあまりピンとこないかもしれない。しかし、阪神大震災など災害の現場では同じようなことが起こっている。被災者の姿にシャッターを向けたカメラマンは「ひとでなし」と罵詈雑言を浴びせられた。掲載をめぐっても、編集局内ではいろいろな判断があっただろう。

それでも、被災の様子を見事に伝えた写真が全国に流れると、義援金は集まる。ジャーナリズムというのは人権をめぐって、最後まで悩み続けなければいけない。真のジャーナリズムは非常に過酷な仕事だと言える。しかも、そのジャッジメントは難しい。

田島泰彦氏は私たちの社会において、「少数意見がいいにくい雰囲気がないか」とも問いかける。

この発言は拉致問題に絡んだ報道で飛び出すのだが、イラク人質問題でも同様のことが持ち上がった。当初、義憤でイラク入りした日本人には同情論もあったが、新自由主義者で、当時国民からの支持も厚かった小泉首相の発言をきっかけに、自己責任論が巻き起こった。

確かに、彼らは自己責任で戦争状態のイラクに向かった。確かに、その通りであるが、彼らはイラクの国民の生命を救うために出かけた。オリンピック代表選手のような国家に選ばれた人間ではないのにしても、自己責任で切って捨てていいものか? 国家の基本的な理念は国民の命と財産を守る、ではないのか?

しかし、自己責任論に反発する人、言論はあまり多くなかった。少数派の意見は確かに言いにくい。

田島氏は第二次大戦を引き合いに出して、国家が戦争に向かおうとするとき、反対意見を言えるかどうかと疑問を投げかける。「戦前のような軍国主義はありえないと思いたいが、メディアに関わって経験してくると、それは楽観的な考えにすぎないという気がする」

戦時中の新聞メディアは確かに思考停止だった。新聞は利益誘導するために国民を戦争に導いた面がある。それに加え、有事法制の議論の中ではメディア統制も持ち上がったことがある。しかし、メディアが国家の管理下にあっては、言論の自由は守られるわけもない。

沖縄密約事件では見事な世論誘導で、言論が封じ込められてしまった。同事件は言論メディアの汚点であり、敗北であった。

最後に筑紫氏の発言を引用したい。

筑紫氏はは戦場で兵士を救うか否かの話に戻って、以下の発言する。

「自分がジャーナリストの立場を貫こうとするのか、その仕事を放棄しても人間でありたいと思うか、たとえば、メディアの中にいる個人個人だって、その会社に全人格を給料で買われているわけではないから、最後は一人一人が決めることだということに帰着するだろうと思うし、私自身もそう思って仕事をしています」

沢田教一よりも、議論になったピューリッツァー賞受賞作がある。ケビン・カーター氏が93年に撮影した「ハゲワシと少女」。スーダンで飢餓の少女がハゲワシに狙われているというショットだ。発表後、絶賛と「どうして彼女を救わなかったのか」との批判が巻き起こった。カーター氏は同賞受賞後の1か月後に自殺した。

カーターは本当に少女をたすけなかったのか?

現場にいた友人ジャーナリストの話によれば、ショットは偶然の瞬間に生まれたもので、カーターは撮影後、ハゲワシを追い払った。そして、「少女は国連の食糧配給センタ-の方へよろよろと歩きだした。それを見た後は、すさんだ気持ちになり、木陰まで行って泣き始め、タバコをふかし、しばらく泣き続けた」と手記に記している(ウィキペディア)。

今のメディアは問題があるのは確かだ。総論で語られれば、「だから、今の新聞、テレビはダメなんだ。これからはネットの時代だ」ということになってしまう。しかし、それは非常に危険な考え方ではないだろうか?

何がよくて、何がダメなのか、その場面場面で論じていかなければ、全否定で終わってしまう。物事はそんな単純ではない。

情報は誰のものか? 同書でも冒頭書かれている通り、答えはあらかじめ用意されている。情報の最終的な権利者は市民である。政治家でも、ジャーナリストでもない。

ジャーナリズムがこのまま崩壊していけば、市民生活をも脅かす。新聞であれ、テレビであれ、ネットでもいいと思うが、ジャーナリズムはなくなってはいけない。

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2010年4月 5日 (月)

「ツイッターノミクス」(タラ・ハント)★★★★ ウェブ社会で必要になるのは金ではない、ウッフィーだ。では、ウッフィーとは何?

「ツイッターノミクス」はツイッターと経済をかけ合わせた著者の造語。ツイッター経済学だろうか。

著者タラ・ハントはカナダのアルファブロガー(影響力のあるブロガー)で、ウェブ・マーケティングの第一人者。本書ではツイッターだけにとどまらず、今のウェブの世界で、どのような方向性、考え方が成功するのかについて綴る。

ツイッターは140字以内で発信できるミニブログのこと。この説明は適切ではないが、それ以外に短く定義できないところもあるなぁ。

さて、ツイッターには食わず嫌いの人も多い。そんな人のために本書から靴の米オンライン販売会社ザッポスのCEOトニー・シェイ氏の言葉を引用しよう。

「ツイッターでつぶやくと、自動的にフォロワーに送られる。でも、相手は忙しかったり興味がなかったりすれば無視するだけだろうから、こんなつまらないことを言ったら恥ずかしい、なんて考えなくていい。最初はとまどうだろうけど、まあだまされたと思ってやってみてほしい。みんなとつながっていて、いま何をしているのか知るのに最高の方法だってことがすぐに分かると思う」

僕はフォロワー700人ちょっとなので、大きなことは書けないが、それでも、ツイッターの威力は感じている。政治家と、意見や情報交換をほぼリアルタイムでできるというのは、今までなかったメディアだ。それを証拠に、このブログの更新はとんと止まってしまった。

うまくつぶやくコツについては著者、ハントの言葉を借りよう。以下は企業向けのアドバイスであるが、個人でも同じようなものだ。

・基本は全員参加できる会話を続けることである。
・特定の誰かのコメントするときは公開はしない。
・DMを上手に活用する。
・ブログを更新したら知らせる。
・自分のブログだけでなく、みんなが興味を持ちそうなブログが更新された時は知らせるといい。
・プレスリリースを知らせる。
・きまじめで通すことはない。
・小ネタ、ギャグも交えよう。
・名言を引用する。
・動画やポッドキャストへのリンクを張る。
・上手に問題提起して大勢の知恵を借りる。

ツイッターの魅力は「集合知」と言われる。独り言でストレス解消もひとつの使い方だが、なるべく、多くの人が参加できるようなツイートが理想といえよう。

「ツイッターノミクス」とあるように、金の儲け方を期待すると、やや面を食らうかもしれない。

ハントはウェブ社会においては貨幣よりも信頼、尊敬といった外部評価が大事になるという。それを「ウッフィー」と呼ぶ。これはSF作家、コリィ・ドクトロウのSF「キングダムで落ちぶれて」の中で出てくる貨幣の代わりになる存在だそうだ。

ウッフィーを駆使して成功した例としては、オバマの大統領選が挙げられる。ネットでのクチコミが当初、不利と言われた闘いを逆転に導いた。あるコンサルタントはオバマの選挙戦から学ぶべき7つの教訓を上げている。

(1)自己組織的な運動を設計する
(2)一貫性をもって、しかし臨機応変に行動する
(3)計画は控えめにする
(4)目標は高く設定する
(5)人の輪を広げる
(6)親密度を高める
(7)真の革命を起こせるのは理想である。

その逆として、ブロガーに金を払って、自社商品の記事を書いてもらうサービス「ペイパーポスト」を紹介する。このビジネスは結果的に失敗した。利用したブロガーは金で買われたヤツとの評価となる。いわば、ウッフィーを金で買った形だが、お金で買えば、ウッフィーは消える、という。

ウッフィー自体には直接の貨幣価値はないが、金、あるいはオバマの大統領選での勝利のように大きな運動の力になるものともいえそうだ。

有機乳製業メーカーのストーニーフィールド・ファームの話。

CEOのゲイリー・ハッシュバーグの口癖は「よいことをして成功する」だそうだ。著書「エコがお金を生む経営」ではグリーンな事業を収益に結びつける方法を解説。ハッシュバーグは「地球によいことをする」という高い目標が事業の成功に役立ったのではなく、それが成功の原因だったという。


企業というのは利益追求があり、利益が出れば、税金を納めるわけだから、社会に貢献するのは当たり前だが、「社会貢献そのものを事業目標にする」という形を提案する。現実にはかなりハードルが高いのは間違いが、現実に上記のような企業が存在する。

では、ウェブ上でウッフィーを増やすにはどうすればいいか?

以下は5つの法則だそうだ。

(1)大声でわめくのをやめ、まずは聞くことから始める。
(2)コミュニティの一員になり、顧客と信頼関係を築く。
(3)わくわくする体験を創造し、注目を集める。
(4)無秩序もよしとし、計画や管理にこだわらない。
(5)高い目標を見つける。

経済学のゲーム理論の中でも、目先の利益を追うよりも、「敵に塩を送る」タイプの人間の方が最終的に成功を収めるという結論も出ている、という。人間は相互応酬的(目に目を)あるいは互恵的(キブ・アンド・テーク)な行動を執る習癖がある、という。

全体を通してみると、その論調は「金より信用」ということになろうか。その結論自体は新しいものでもないが、様々な事例を用いて説明しているので、ビジネスのヒントがあるし、個人としてウェブをどう使うかも考えさせられる。ベストセラーの「フリー」と合わせて読むことをオススメする。結局、どんなにウェブ社会が進化しても、その根っこの部分は変わるまい。

最後に前述のザッポスのCEOのモットー10を引用。何かのヒントになれば。

(1)サービスを通じて感動を与える
(2)変化を歓迎しよう
(3)楽しく、ちょっとヘンテコに。
(4)何でもアリの冒険精神で
(5)学習と成長
(6)率直なコミュニケーションで風通しのいい関係を
(7)家族のようなチームワークを
(8)少ないりシースで多くを
(9)やる気と本気
(10)あくまでも謙虚に。

ちなみに、解説は津田大介さん。こちらも興味深い。津田さんはまさにウッフィーをためて、成功をしてきた人だと分かる。

2010年1月 2日 (土)
「フリー」(クリス・アンダーソン)★★★★

2009年12月29日 (火)
「Twitter社会論」(津田大介)


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2010年4月 2日 (金)

「坂本龍馬の『私の履歴書』」(八幡和郎)★★★★

NHK大河ドラマ「龍馬伝」はツイッターのTLでも話題になっていたので、欠かさず見ている。大河ドラマをここまで見続けたのは自分にとって、初めての快挙。時代に転換期の若者の生き様は今に通じるものがある。

龍馬好きの人には言うまでもないが、ドラマ「龍馬伝」は史実とはかけ離れた描写も多い。だから、「龍馬伝」は見る価値がない、という人もいるが、僕はドラマや映画で学ぼうなんていう気はないし、史実とは違うから見る価値がないというロジックであれば、フィクションはそもそも、見る価値のないということになってしまう。

「龍馬伝」は史実を基にしたフィクションであり、史実とは異なることを認識した上で、楽しめばいい。「龍馬伝」を入り口に史実に興味を持てば、ドラマも史実もどちらも楽しめるし、少しは勉強にもなるかもしれない。

同書の著者も「龍馬を知りたければ、テレビも小説も見ない方がいい」と書く。つまり、実際の龍馬は「竜馬がゆく」や「龍馬伝」での青年像とはかけ離れているから、だという。しかし、小説やドラマの存在を否定しながらも、ちゃっかり商売している感じもしなくはない…。

同書では龍馬が現代にタイムスリップして日経新聞の裏面で人気の連載「私の履歴書」をまとめたら、というスタイルで書かれている。一人称で龍馬が歴史を振り返る。

坂本龍馬の人物像が固定したのは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」からだと言われているが、これもフィクションが多いことで知られる。ちなみに、司馬遼太郎はフィクションであることを強調するためにあえて「竜馬」の文字を使ったという説もあるくらいだ。

同書では、「竜馬がゆく」「龍馬伝」での描写について、龍馬自身の目線(これ自体もフィクションではないか、というツッコミも)でここは史実とは違う、と指摘している。

この指摘はむしろ、「竜馬がゆく」「龍馬伝」を読んだり見たりしていた方が楽しめるのではないか。司馬氏なり、ドラマ制作者が、物語を膨らます上で、どのような創作を行ったのかが明確に分かるからだ。「龍馬伝」での描写のツッコミも、発行ギリギリまで追っかけている。

「坂本龍馬の『私の履歴書』」は僕みたいな龍馬初心者が最初に読むにはいいが、詳しい人の評価も聞いてみたい。発行元が龍馬好きで知られる孫正義社長のソフトバンク関連会社というのもミソかな(笑)。

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2010年3月20日 (土)

「アンダーグラウンド」(村上春樹)をめぐって



地下鉄サリン事件が起こったのは95年3月20日。もうすぐ事件から11年になる(※2006年3月のブログ記事)。村上春樹氏が地下鉄サリン事件の被害者や遺族にインタビューしたノンフィクション。村上春樹全作品の6巻に収録されたものを読んだ。



寝る前に少しずつ読もうとしたのだが、あまりに分厚くて進まない。移動が少ない日に電車の中でも読んだ。その場所は、本に出てくる日比谷線、千代田線、丸の内線の車内だったりもした。正直、あんまり気分がよいものではなかった。

僕はこの事件の前日まで仕事でフィリピンにいた。

島に渡って、太平洋戦争の傷跡を見たり、マニラではスモーキーマウンテン(常にゴミが焼かれ、巨大な山を築いていることが由来)と呼ばれるスラム街を歩くという精神的にヘビィな仕事だった。早く帰りたいな、というのが本音だった。

しかし、帰国便はエンジン故障で翌日出発に延期。乗客はまとめて、マニラ市内の帝国ホテルに延泊した。(実は、延泊した帝国ホテルが一番高級なホテルだった)

飛行機は真夜中にマニラを飛び立ち、朝九時くらいに成田に到着。ようやく税関を抜け、ホッとしていると、成田の大型ビジョンの前には人だかりに目がいった。画面には地下鉄の入り口で倒れ込んでいる人々…。築地駅で爆発事件、毒ガスで多数の被害者が出ている模様という。テレビも事実を掴みかねている感じだった。

日本は僕が思っているほど平和で安全な国ではなくなっていた。いや、実はそんなことにはとうに気付いていたのだが、気付かないふりをしていたのだ、たぶん。

同書を読んで、そんな光景がフラッシュバックした。

地下鉄サリン事件は、日本人にとって、思い出したくない辛い事件だ。あの日、人々はどんな思いで地下鉄に乗り、どんな体験をしたのか? そして、その後、どうしたのか?後遺症は?愛する家族を失った人々は何を思ったのか?

涙があふれてくるエピソードもある。瞼を強制的に開かさせられ、いやな現実を見せられている気持ちさえする。しかし、やはり見ないわけにはいけない。

事件直後、国民は地下鉄サリン事件、オウム事件に釘付けになった。それらはあまりにも現実離れし、そして、幼稚で、好奇心をそそるには十分な要素があったからだ。

マスコミはさまざまな形で地下鉄サリン事件を取り上げてきた。次第にその熱は国民の関心度と呼応し、冷えていくのが、村上さんはそこから「あの日、本当は何があったのだ?」と問いかけを始める。


村上さん自身も著書で記しているが、小説を書くのはアウトプット、インタビューはインプットの作業。まったく違う能力が要求される。しかし、村上さんは巧みに、こなしている。

ノンフィクションでもドキュメンタリーでも、インタビュアーは自分が書きたいことを聞き出すというケースが少なくない。例えば、「オウムは憎むべき存在ですよね」と聞き、相手が「はい」と答えたとする。それが紙メディアでは、相手が積極的に「オウムは憎むべき存在だ」と言ったというように”変換”されてしまう。サリン事件の被害者が「本当に言いたいことが伝わっていない」と怒るのは、こういうことがあったのではないか。

あるいはテレビでは、インタビューの一部だけが使われ、真意とは違う中身になってしまう。こんなことをやっているのは一部のマスコミなのだが、一度嫌な思いをすると、人は一括りに「マスコミは嘘ばかり書く」となる。村上さんも、少なからずそんな声を聞いたようだ。

この本では、丁寧な作業でアポイントから書籍化まで行っていることが分かる。それは序文、後書きに相当する部分にも、記されていますが、読まなくともインタビュー自体で分かる。

インタビューでは、被害者のバックグラウンドから語られ、どういう状況で事件に遭ったのかが書かれて、著者は傍観者で居続ける。

被害者から著者に質問をぶつけられることもある。しかし、村上さんは「分かりません」と言うのみだ。

これに対して、後日、読者から「なぜ、答えなかったのですか?」との質問を寄せられるが、村上さんは「あそこは自分の意見を言う場ではないから」と説明する。

インタビューは聞き出すのが仕事。特に時間が限れている場合は、意見を言うのはあまり意味があることではない。被害者の生の言葉を引き出し、再構成する。実は非常に難しいことだ。

村上さんの2作目「1973年のピンボール」の「僕」は人の話を聞くのが好きだという。「僕」=村上ではないにしても、主人公は作者の分身です。似たような傾向はあるのかもしれない。

「アンダーグラウンド」は村上春樹の匂いを消し去った作品と言われるようだが、聞き上手で、ちょっぴり人見知りの村上春樹の”背中”が見える。

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2010年3月10日 (水)

「働き方」(稲盛和夫)★★★★

「働くことに意味なんか求める必要がない」という意見もあるが、僕はそうは思わない。

京セラの稲森和夫氏は「働き方」で、いま、多くの人が働くことの根源的な意味を見失い、「働くこと」そのものに真正面から向きあっていないように思えると書く。

稲盛氏は恵まれた少年時代を過ごしたわけではない。中学受験に失敗、結核を煩い、再度の中学受験にも失敗。さらに、戦災で家を焼かれた。医学部受験も失敗し、地元の工学部に進むも、就職先は、初任給も給料日に支払われないような小さなガイシ(外資ではない)の会社だった。

「自分は運がない」と嘆いたそうだが、そんな考えを変えたのは一生懸命、働くということだった。天職とは出会うものではなく、自ら作り出すものだと稲盛氏はいう。

製品も愛情から、セラミックス製の蛇管を抱いて、寝たこともあった。「垢抜けないし、効率的とは言えないやり方。しかし、そのくらいの愛情を持って、自分の仕事に向き合わない限り、難しいテーマや新しいテーマに挑戦し、それをやり遂げる仕事の醍醐味は心の底から味わうことはできない」と書く。

経営の神様、松下幸之助も同じようなことをしている。非常に精神的な行為であるが、その声を聞こうとすることで見えてくるものがある、という。

稲盛氏は京都市中京区西ノ京原町に「京セラ」を立ち上げる。稲盛は「西ノ京原町で一番の会社になろう、その次は中京区で一番、その次は京都一に。その次は日本一、そして世界一だ」と社員に語りかけた。それは途方もない目標であった。町にも立派な会社があり、京都には島津製作所があり、現実は厳しかった。

「たとえ身のほど知らずの大きな夢であっても、気の遠くなるほどの高い目標であっても、それをしっかり胸に抱き、まずは眼前に掲げることが大切だ。人間には夢を本当のものにしてしまう、素晴らしい力がある。京都一、日本一の企業となると思い続けているうちに、いつのまにか自分自身でもそれが当たり前のように思えてきました。従業員にとっても同様で、いつのまにかとてつもない目標を私と共有し、果てしない努力を日々重ねてくれた」

「高い目標とは人間や組織に進歩を促してくれる、最良のエンジンである」。

SF作家、ジュール・ヴェルヌも「人が想像することは人がかならず実現できる」との言葉を残したが、夢を思い描くことが実現の一歩なのだ。

しかし、それにはたゆまぬ努力が必要だ。京セラは完璧主義を求める。ベストではなく、パーフェクトだ。ベストでは、ああここまでやったと満足してしまう。パーフェクトはとことん追い詰めるという意味だ。

新製品開発ではうまくいかず、炉の前で立ちすくむ社員がいた。稲盛氏は「おい、神に祈ったか?」といった。それは思わず口をついた言葉だったが、人事を尽くし、天命を待つしかないくらい全力を出し切ったのか、という意味であったと思い返している。

京セラは長期の経営計画を立てずにやってきた。それは遠くを見るというのはたいていウソに終わるという考えだという。ゴールが見えなかったら、従業員も目標をあなどるようになり、士気や意欲を失う。それよりも、瞬間瞬間を大切にして、小さな山を越えてゆくことが大切なのだ、という。

長期計画よりも、大事にしたのは信念だ。

稲盛は最初に就職した会社であまりにも信念を貫き、孤立した時があった。先輩からは「人生には妥協が必要だ」と助言された。納得する部分もあったが、結局、信念を貫くことにした。

山を登るにはいくつかのやり方はある。緩やかな斜面を登るのも手。垂直に登ると決意する。それはこういう考えだった。安全な方法をとっているうちに、険しい頂上をきわめようとする気持ちを忘れてしまうかもしれない。岡本太郎、安藤忠雄にしても、彼らは妥協を嫌い、人生に闘いを挑んだ。

「創造というものは素人がするもので、専門家がするものではない。新しいことができるのは、何ものにもとらわれない、冒険心の強い素人であり、その分野で経験を重ね、多くの前例や常識を備えた専門家ではない」

この言葉の裏付けはジェームズ・アレンの以下の言葉だ。

「けがれた人間が敗北を恐れて踏むこもうとしない場所にも、清らかな人間は平気で足を踏み入れ、いとも簡単に勝利を手にしてしまうことが少なくありません。なぜならば、清らかな人間はいつも自分のエネルギーをより穏やかな心とより明確でより強力な目標意識で導いているからです」

最後に、稲盛氏の人生観。それはひとつの方程式で表すことができるという。「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」。この中でも、大切なのは考え方だという。

正しい考え方とは?

「常に前向きで、建設的であること」
「みんなと一緒に仕事をしようと考える協調性を持っている」
「明るい思いをいだいていること」
「肯定的であること」
「善意に満ちていること」
「思いやりがあって、優しいこと」
「真面目で正直で謙虚で努力家であること」
「利己的ではなく、強欲ではないこと」
「『足るを知る』心を持っていること」
「そして、感謝の心を持っていること」

働くことが面白くないと感じた時は、この言葉を自問してみよう。


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2010年2月27日 (土)

「運命の人」(山崎豊子)★★★★★

山崎豊子の最新作「運命の人」は1971年の沖縄密約の漏洩事件「西山事件」を基にしたフィクション。西山事件は僕にとって幼少の事件であり、記憶にすらない。

西山事件のあらましはこうだ。

毎日新聞社政治部の西山太吉記者は沖縄返還協定に絡む補償金をめぐって、米国が支払うとされた金が実際は日本政府が肩代わりをしたことを掴む。

しかし、決め手をつかみきれず、その秘密文書のコピーを社会党の横路孝弘と楢崎弥之助に手渡す。疑惑は国会で明らかになり、批判が巻き起こった。

ところが、政府は「密約はなかった」といい、国家公務員法(秘守義務)で情報提供者だった女性事務官と西山記者を逮捕。新聞記者と、その情報源の逮捕という衝撃に、毎日新聞だけでなく、他メディアも表現の自由、知る権利への侵害だとして一大キャンペーンを張るが、検察側は2人が愛人関係にあったことを暴露。裁判では、検察側が起訴状の中に「情を通じて」という文言をあえて盛り込み、セックススキャンダルに仕立て、焦点をぼかす。

「週刊新潮」が2人の関係を興味半分で面白おかしく取り上げたことで、新聞メディアのキャンペーンも勢いを失う。第一審では、女性事務官は有罪、西山記者は無罪とされたが、最高裁では取材手法の違法性、報道の自由は無制限ではないとして、逆転敗訴となった。しかし、肝心の沖縄密約の有無は問われず、うやむやになったままだった。

山崎豊子は事実を基にフィクションを構成する手法で知られる。映画化された「沈まぬ太陽」も御巣鷹山の日航機事故を中心に、信念を貫く労組委員長、恩地の闘い。異例の2クールでドラマ放送中の「不毛地帯」も伊藤忠時代の瀬島龍三がモデルだ。

モデル小説はプライバシー保護の観点から、難しいところがある。より今回は公人ではなく、セックススキャンダルに巻き込まれた主人公と、その相手を描いていることから、小説に仕立てる自体、困難さがつきまとったのではないだろうか?

山崎にはこのリスクを覚悟しても、描きたいという動機があった。山崎は毎日新聞社出身でもあり、マスコミを正面から描くというのは、彼女自身の「けじめ」でもあったようだ。それは横山秀夫が「クライマーズ・ハイ」を書かずにはいられなかったことと同じなんだろう。

2005年4月14日 (木)
「クライマーズ・ハイ」(横山秀夫)★★★★

小説は1、2巻が事件そのもの、3巻がその裁判、4巻では新聞社を退社した主人公は故郷、小倉に戻り、青果店を継ぐも、激しい競争の中で再び失意を味わい、運命に導かれるように沖縄にたどり着く。物語は主人公の魂の旅路ともいえる。

東京で暮らす主人公は沖縄密約を問題視しながらも、沖縄自体については深く知っていたわけではない。現地で暮らし、人々と接することで、沖縄の悲劇の真実を目の当たりにするわけだ。

4巻は沖縄決戦での集団自決の悲劇、戦後の進駐軍兵士によるレイプ事件、米軍による土地の搾取、基地問題などが語られる。それらの悲劇には憤り、深い悲しみを感じずにはいられない。

「沈まぬ太陽」と「運命の人」はより近いものを感じる。

「太陽」の恩地も「運命」の弓成も信念、正義感の持ち主で、はからずも巨大な組織を相手に闘いを挑む。「図らずも」というのがポイントだ。しかし、正義は必ずしも勝利できない。

恩地は不当人事によって、アフリカへと左遷される。一方、弓成は会社を追われるようにして辞職し、逃げるようにして、沖縄に流れ着く。恩地は御巣鷹山事故後に新たに就任する国見会長と出会い、弓成は衰弱しているところを沖縄人に助けられ、「人間の言葉を久しぶりに聞いた」と口にする。「南」の大陸、島の風土が主人公を変えるという設定も同じだ。

組織と個、国家と個は山崎作品の大きなテーマだ。それは山崎がジャーナリスト出身であることも関係しているのだろう。

昨今、ジャーナリズムの弱体化が指摘されてるが、山崎豊子作品は2度の盗作疑惑を差っ引いても、ジャーナリズムを感じる。それは、今日性があるか、どうかだ。

この作品の舞台は71年がメインではあるが、報道の自由、普天間基地の問題、検察による人権蹂躙といったことはまさに現代の問題だ。

新聞記者とは今の問題をえぐることであり、さらに半歩先を見つめることだ。新聞は文字通り、「新しく聞く」メディアであったはずだ。山崎作品は「沈まぬ太陽」で指摘した日航問題が09年になって、再建問題として顕在化したことでも分かる通り、同時代を描き、未来を予測している。

この「運命の人」でも、71年の沖縄密約問題は40年後の今でも、くすぶり続けている。

2009年12月1日には、 吉野文六・元外務省アメリカ局長が「過去の歴史を歪曲するのは、国民のためにならない」と証言し、密約が存在する事実を認めた。さらに同22日、 佐藤栄作元内閣総理大臣私邸から、佐藤=ニクソン共同声明における、核密約に係る覚書文書が発見され、佐藤家が保管していることが明らかになるなど日米密約の事実が明らかになった。

一方、西山元記者が起こした沖縄密約情報公開訴訟はは2010年2月16日、 結審した。判決は4月9日を予定している。

山崎小説は物語というだけではない、「現実」を内包し、問題提起し続けている。必読。


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2010年2月21日 (日)

「微差力」(斎藤一人)★★★★☆

著者は納税額トップでおなじみの斎藤一人さん。「銀座まるかん」の創業者なのだが、この方はずいぶん変わった人らしい。

納税額の公表は数年前、個人情報保護の観点から非公表になったが、これにガッカリしたお金持ちは斎藤さんくらいではないか。普通、金持ちという人は、こういうことを隠したがる。しかし、人っり巻末のプロフィールを見ると、ご丁寧に1993~2004年分納税額の順位が載っている。総合納税額は173億円。しかも、これは土地の売り買いや株式公開などバブリーなお金ではなく、事業所得による収入というから恐るべし。

斎藤さんは自身のことを「一人さん」と呼ぶ。最終学歴は中学卒。大人たちを見ながら、「学歴は必要ない」「早く社会に出て、学んでしまった方が早い」と判断したのだそうだ。

お名前通り、孤高の人だ。こんな個性的な方だから、真似はできないと思ってしまうが、一人さんファンは多い。それは答えがシンプルで、説得力があるからなんだろう。

一人さんは「人間は幸せになる義務がある」と書く。権利じゃなくて、義務というのがみそ。しかし、現実には、幸せな人と不幸な人が。その違いは微差だが、微差が大差を生んでいる。例えば、日本一高さの富士山は超有名だけど、二位は知られていない。これが一位と二位の差。

バンクーバーオリンピックのカーリングの勝ち負けもメジャーで測定してやっと分かるような微差が分かれ目。ほかの競技にしても、0・00秒の差がメダルの色を決めるというわけ。やっぱり、微差というのが大切なんですね。

だから、一人さんは微差に執着したら、という。

「その執着度によって、結果が違うのです。それによって、微差、微差、微差が積み重ねるたびに、倍、三倍、10倍と変わってきちゃうのです。だから面白いのですよ、微差は」

語りかけるような文体で、なんか読んでいるうちに、ちょっとだけ努力しようかな、と思ってしまう。

「この地球という星は、行動しないと、何も起きない星なんです。何も行動しないで、世の中は変わりません。安定は動くことです。自転車と同じです。止まってしまうと、倒れてしまう。安定とは動くこと」

なるほど。

同書は単行本だが、文字も行間も大きく、小一時間で読み終わってしまう。これで1500円か、少し高いかと思ったが、最後のページには追伸として、「この本は最低でも七回読んでくださいね」とある。

やられた。

原稿量は少ないけど、その分回数を読め、と。そう来たか。

この一押しがまさに「微差力」なんだよね。

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