千葉市政

2010年3月31日 (水)

ツイッターで政務調査費を語る

2008年度の千葉市議の政務調査費問題が30日付の朝日新聞で報じられている。

「政調費返還求め勧告 千葉市監査委員」 

市民オンブス千葉が自民、民主の25人(※名前はこちら。http://bit.ly/aH7M31)に対し、目的外利用があったと主張。千葉市監査委員は14市議の一部に目的外利用があったとして、返還勧告している。

市民オンブズ千葉は目的外支出額として計11,761,083円の返還を請求。市監査委員側は4,928,369円を認定した。

市民オンブズによる政務調査費の監査請求はなるほどと思う面もあれば、これは政務調査費と認めてもよいと思う部分もある。

たとえば、複数の新聞購読料についても苦言を呈しているが、市議が社会情勢を知るために、新聞を購読するのは問題ないのではないか(新聞購読料は1紙を自己負担していれば、調査費と判断されている)。

朝日新聞には自民、民主の両幹事長の談話が載っている。

「自民会派の小川智之幹事長は『基準に沿い政務調査と議員活動を切り離して請求しているのに納得できない。議員の実情をわかっていない』、

民主会派の布施貴良幹事長は『実際は身銭を切る部分も多く、議員の実態からすると難しい』と反論するものの、返還する方向だという。

無所属・鈴木友音氏のブログ記事「政務調査費の返還勧告について」では「この返還命令の一部については納得のいくものと言いきれない部分もあります」と書く。

鈴木市議は当然、この14人には含まれていないだけに説得力を持っている。

鈴木市議は「特に『政務調査活動』と「政務調査活動以外の議員活動」との違いは曖昧」と指摘。「事務所の経費を政務調査費とそれ以外の部分で2分の1に按分するとなっていますが、やはり定量的に計算することはできない。様々な活動を通じて市民や支援者の方から市政に対する様々な意見をいただきそれを反映させることも重要ですから、2分の1が本当に妥当であるかは疑問です」と書く。

確かに、2分の1の按分というのは明確な根拠はないと思われる。<※按分=あんぶん【按分】. Ads by Google. (名)スル物品や金銭などを、基準となる数量に比例して割りふること>

監査委員も、曖昧さについては問題意識もある。「議員の同族会社との賃貸借契約や親族の雇用についての収支報告書については、現状の議会事務局と市長事務部局でもそれぞれチェックする役割をもつべき」「マニュアルは明確さを欠く部分があり、見直しを図られたい」と要望している。

千葉市の議員報酬と政務調査費についていえば、削減方向にある。市議会では2月1日、市の財政状況を鑑み、議員報酬の削減等について申し出た。 議員報酬の5%削減(効果 約2,500万円)、1人あたり月額30万円交付されている政務調査費を10%削減(効果約1,950万円)。その削減合計は約4,450万円になる。 http://202.212.171.17/shigikai/download/gikaihi220201.pdf

市議の年間の議員報酬・期末手当は1335万円(09年)。しかし、市議の労働量、その責任、職業としての不安定性(任期が切れればただの人)を考えれば、高いとは言い切れるだろうか。

以上のような内容をツイッターで発信していたら、市川市の並木まき市議(民主)がコメントをしてくれた。以下はツイッターでのやり取りを若干、再構成したものだ。経費の処理についての実態が分かるはずだ。

並木市議「市川市の場合、政務調査費は月額8万円。事務所を持っていたとしても事務所費には当然足りない。現地視察や書籍購入、専門情報誌購読などでほとんど消えます。それでも足りない分は報酬から身銭を削ります」

ちなみに千葉市の政務調査費は月額30万円(新年度は27万円)。

「8万円ですか、少なすぎませんか。それを聞くと、千葉市議は恵まれている。すごく基本的な質問ですが、市議には必要経費は認められているのですか?」

並木市議「税務上、確定申告では認められていません。源泉はもちろんあります。経費は、認められないようです。議員報酬はいわゆる役員報酬の性質と同じとみなされるようです。基礎控除などはもちろんあります」

「政務調査費のうち、事務所経費は半分という認定なら、半分は文字とおり、身銭を切ることになるのか、どうか。領収書は政務調査費の方で提出してしまったら、必要経費として税務処理はできないことになりますよね」

並木市議「私の場合、事務所費を政務調査費で使ったことがないので、あまり断定はできませんが、按分した上でそれぞれ計上できるのか、まったく無理なのか、によって変わってきますよね。ちなみに市川市は領収書原本を添付しますが議会によってはコピーのところもあるようですし」

「政務調査費でなくても、経費として事務所費くらい認めてもいいのではないですかね。課税対象になることはない。政党にいる場合、事務所経費は党の支部扱いで会計処理するのですか」

並木市議「民主党の場合、政党寄付金は国会議員と国会議員候補予定者のみ。支部経費でも地方議員は計上できません」

「民主党市川支部の中に並木市議の事務所があるわけではないんですか?」

並木市議「わたくしは事務所を持っていないので、党ウエブサイトには支部を記載しています。民主党では、地方議員は支部所属なので公開の「連絡先」に指定しています。もちろん民主党でも事務所を持っている地方議員は事務所を連絡先にしていますし、わたくしの場合は所属の支部を記載しているということです」

「できれば、個人の事務所は欲しいものですか?」

並木市議「控え室や自宅があるので今は高度な必要性を感じていませんが、選挙になれば選挙事務所は必要ですね」

「選挙はともかく、市民の立場からしても、恒常的な事務所はあったら便利だと思います。市川市の議員報酬ではなかなか事務所費の捻出が難しいですね。僕が市民なら、もっと上げろ、というけど」

並木市議「議員報酬は額面のみで高すぎると議論されるご時世ですが、実態は今のような部分含めて課題が残っていると実感しています。話は飛躍しますが市民がどんな議員、議会を求めていくかで変わってくると思います」

「手取り総額で見ないと、意味がないですよね。サラリーマンも同様に経費は認められないわけですが、だから、市議も経費が認められなくてよい、という話にはならない、と思います」

並木市議「なかなか実態までご理解頂ける方が少ないのか、とかく額面での議論になっています。マスコミの報道を見ても額面ベースで、高すぎる!と批判するので一般市民もそう思ってしまうのかも」

以上。

メディアの問題もありますが、リテラシーという市民側の問題も大きい。一連のツイートは鈴木市議のブログ、朝日新聞、市役所の資料を紐解き、さらに並木市議のツイートで立体的にみえてきたわけです。

山浦まもる市議のホームページによれば、「議員報酬 5%カット(すでに5%カットしていますのでTOTAL 10%となります。)現状で千葉市議の報酬は 18政令市中14位となっています」という。

議員報酬にしても、政務調査費にしても、千葉市は恵まれているのは確か。他に比べて高いから、削れという意見が出るけど、これもどうかと思う。よそにはよその事情があるわけだから。

政務調査費は税金だから、節約するのは当然としても、実際、金はかかるわけだし、正当な政務調査が自己負担になっては、一生懸命やる人がバカを見ることになってしまう。 @ATsZRAさんも言う。「個々の議員がきちんと政策研究を行い充実した議会審議を行うためには、十分なお金が必要でしょう」

「議員の政務調査費に関する件」
概要版http://bit.ly/9ICPQr
全文 http://www.city.chiba.jp/kansa/gyoseikansa/download/juminkansa220329.pdf 

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2009年9月11日 (金)

「きっと!すべてがうまくいく」(ジェームズ•アレン)★★★★

20世紀初頭のイギリスの哲学者ジェームズ•アレンに よる人生への応援歌のような言葉が詰まった本。代表 作の一つは聖書に次ぐベストセラーと言われるほど、 売れまくったそうです。

「人々が幸せを求めて旅に出ようとしたとしても、つ いていってはいけない。幸せは、あなたの内側にある のだから」

といった短い言葉に、解説が書かれています。

薄い本なので、3、40分もあれば、読み終わってしまう でしょう。

何かに躓いた時、ページをめくりたくなります。

アレンはデール•カーネギー、ナポレオン•ヒルらに 影響を与えた人で、38歳から作家活動を始め、亡くなる9年間で19冊の本を書き残したそうです。38歳。作家としては遅い方なのかもしれませんが、今 の僕よりも若いんだな。

環境や他人は、自分の鏡だ、といった趣旨の言葉もあ るのですが、これは僕も常々、感じていたことです。

千葉市には、検見川送信所という廃墟があります。

吉田鉄郎という有名な建築家の手によるもので、わが 国に唯一残る大正期竣工の大電力送信所です。日本初の国際放送も行っています。

しかし、1979年に閉局となり、以降は廃墟状態とな り、「薄気味悪い」「治安上問題があるから、取り壊して欲しい」という声が聞かれていました。

閉局後は記念碑も建てられましたが、いまでは朽ちた状態で残っているのみ。

しかし、これは送信所に非があるわけではありません。この状態を作ったのは、千葉市であり、私たち市民でもあります。

今、ある送信所の姿は、千葉市の姿を鏡のように写しているのではないでしょうか。

千葉市では市長、議会議長が逮捕され、千葉県では税金の不正流用が明るみになりました。永年、大型公共事業には目を向けられても、送信所が担った歴史的な意義はほとんど関心は持たれなかったわけです。

しかも、それは数年というわけではありません。30年間という長い年月、放置され続けたのです。

これは、送信所が文化財か否かという以前に恐ろしい話ではないか、と思うのです。

しかし、それは過去の話。新しい市長は来年度、保存に向けた調査を行うと明言しています。利活用が実現すれば、新しく生まれ変わろうとする新生千葉のシンボルとなるでしょう。

それは、きっと!すべてがうまくいく。

この本を送ってくださったまさやんさんに感謝。

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2009年9月 5日 (土)

「虫庭の宿」暴力追放に成功した由布院

千葉市・稲毛区のテナントビル建設をめぐる恐喝事件で、千葉市市議会議長の小梛輝信容疑者が逮捕されました。千葉市では4月に鶴岡啓一前市長が収賄事件で逮捕されたばかり。市長、議長の相次ぐ逮捕で、千葉市の名前は地に堕ちたと言わざるを得ません。

送信者 稲毛

もちろん、容疑段階ですから、事実ならばということになりますが、市議が暴力団の名前を出して、金品を脅し取ろうということはあってはならないことです。

市政の問題もさることながら、千葉=暴力の町みたいな印象も生まれてしまいました。小梛市議だけでなく、こんな市議を議長に推薦した自民党会派の市議たちには非常な怒りを感じています。推薦人の名前を開示してほしい。

さて、8月29日から2泊3日で映画祭開催中の大分・湯布院に行ってきました。その詳細は機会があったら、書こうと思いますが、事務局の方から手渡された1冊の本を紹介したい、と思います。

同書は由布院の町づくりに奔走された旅館「由布院玉の湯」会長の溝口薫平さんの話を、西日本新聞記者の野口智弘さんが聞き書きしたものです。当時、寒村だった由布院がいかにして、自然を守りながら、世界でも有数の温泉地として、その名を知らしめるようになったのかが書かれています。非常に示唆の多い本で、あちらこちらに付箋をはらせていただきました。

送信者 由布院

その詳細は後ほど触れることにして、由布院の人々がいかにして暴力を排除したか、という話がありましたので紹介させていただきます。

1970年の暮れ、まだ、旅館が閑古鳥が鳴いていたころの話だそうです。玉の湯近くの旅館の主人が、「建設業者の団体客が取れた」と喜んでいたそうです。溝口さんが「話がよすぎる」と思って、調べると、その客は暴力団。ちょうど1か月前に、組長の出所祝いを神戸で行ったばかりだったそうで、地元別府市でも派手な宴会を企画したのだそうです。

しかし、大分県警が動き、組側に通告。別府市内の旅館にも通達が行き渡っていたので、「奥別府」の由布院が目をつけられました。

旅館の主人はあわてて断りの電話を入れますが、「もう日数がない。断ると、どういうことになるかわかっとるだろうな」とすごまれてしまったそうです。

大分警察も動きますが、彼らが暴れない限り、取り締まりはできない。しかし、この暴力団の出所祝いが実現すると、暴力団御用達の町、というイメージがついてしまう。

旅館組合は大慌てです。
長い議論があったようです。彼らは町に繰り出すはずです。
「シャッターを閉めようか」
「それでは、暴力団に鎮圧されたことになってしまう」

そこで、亀の井の別荘の主人がアイデアを出します。

亀の井の別荘 湯の岳庵 由布院

「明日午後2時、全商店が暴力団の放免祝いに抗議してシャッターをおろします」と商店街に通告し、さらに、この「無言の抵抗」をメディアに取材してもらうことにしました。

大分県警には「われわれは暴力追放に立ち上がることを決議しました。ただ、未然の問題点のひとつとして警察力の不足が話題になりました。暴力追放などの相互連絡を密にするためには警察力の強化を早急に実現されるようお願いする」という内容の要望書を提出し、プレッシャーをかけたわけです。

さて、午後2時のチェックイン。黒塗りの車が続々と由布院に入ってきます。旅館の人々は向かいの旅館から監視。両手にポケットを突っ込んだ黒服の組員がにらんできたそうです。

午後2時、200ある由布院の商店街が一斉にシャッターをおろします。そうなると、彼らはどこにもいけません。カメラをむけられた組長は「撮るなら、撮れ。大きく載せろ」との捨て台詞を残して、全員が引き揚げていったそうです。

これって、すごくないですか?

これは団結の力、市民のひとりひとりの勇気ですね。

翌日の新聞には「湯の町は怒る」「商店、旅館200軒が休養」「勇気あるパントマイム」などとの大見出しで報じられたそうです。

当時の町長はこの日、出張で不在だったそうですが、すぐに「暴力追放宣言町」の決議案を議会に提出。二度と暴力団に足を運ばせないことを全国に宣言したのだそうです。

やっぱり、由布院はいいですね。すごい!!

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2009年9月 1日 (火)

検見川送信所の保存要望書を千葉市長に提出

廃虚状態になっている文化財「検見川送信所」の保存、利活用を訴えてきた市民団体「検見川送信所を知る会」は8月28日午前、千葉市役所の熊谷俊人市長を訪れ、検見川送信所の保存要望書を提出しました。

送信者 検見川送信所を知る会

この模様は千葉日報で大きく報じられ、検見川送信所を知る会の公式ホームページでもリポートしています。ご覧ください。

熊谷市長は来年度、保存に向けた調査費用の計上を前向きに検討し、年内にも内部を視察するといった趣旨の発言をしてくださいました。

ここでは、少しだけ個人的な感想を書くこととします。

知る会では、昨年9月にも保存要望書を提出しました。しかし、前回は鶴岡啓一市長(当時)宛の要望書を市民課に手渡すという形で、市長への面会はかないませんでした。その後、鶴岡前市長が収賄事件で逮捕されたのはご存知の通りです。

鶴岡前市長は陳情、要望に関して個別面会を受けないという方針だったそうですが、実際はすべてを受け付けなかったわけではありませんでした。

この事件の現金授受は、僕たちが熊谷市長と面会した応接室であったことが、その後の調べで明らかになっています。(なお、鶴岡容疑者は容疑を否認しており、事件の全容の解明が待たれるところです)

送信者 検見川送信所を知る会

要望する市民側と、それを受け取った市長がともに笑顔で収まった上記のショットは、千葉市政の大きな変化を物語っているとも言えます。

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2009年8月14日 (金)

意外なロケ地〜ちばしフィルムコミッション

午前、千葉市役所に出かけました。熊谷俊人市長にごあいさつさせてもらいました。話したのは少しですが。

帰り、市役所の一階ロビーで「ちばしフィルムコミッション」が関わったロケ地マップや作品ポスターを見ました。

ちばしフィルムコミッションは昨春、前市長時代に発足。千葉市を売り込もうというのが意図で、シティセールス推進室が担当しています。

マップをみると、随分ロケが行われていることが分かります。役所広司の初監督映画「ガマの油」は青葉病院。もうすぐ最終章が公開の「20世紀少年」のパート2の教室は、わが母校。

意外だったのは、木村拓哉主演の「ミスター•ブレイン」。第一話で、五反田の商店街で、車が爆発するシーンがありましたが、実は千葉の銀座通り。本当に都内でロケしたのだと思っていました。

検見川送信所も、織田裕二主演の「太陽と海の教室」で、アフリカの小学校という設定で登場しました。プロデューサーは「外国に見える建物が欲しかった」ということでした。「また、別の機会でも使えそうですね」とも。

ロケに使われれば、地元にお金が入るわけで、ロケ地ツアーなどがあれば、さらに観光客を増やすことができます。ロケ誘致はまさに一石二鳥なんですよね。

たとえば、岩井俊二監督の「ラブレター」は韓国で人気となり、一時、小樽を訪れる韓国人が増えたとか。逆に、「冬のソナタ」では韓国に行く中年女性が急増しましたよね。

森田健作知事も、熊谷•千葉市長も「千葉にはポテンシャルがある」というのですが、まさにその通り。都会的なところ、田舎的なところに、海や川もある。
ひと通りの絵は千葉市内で済むのではないかなと思ってしまう。

財政悪化で、行政は厳しい舵取りを迫られていますが、金は使わなくとも、アイデア勝負でできることも多い。

検見川送信所の件でも、今後、アクションを起こしていきますが、行政や政治家にお願いする、という感覚は古いと思うんですよね。

市民の側が行政を動かす。今の千葉市だったら、いろんな面白い試みもできると思うんですよ。

意外なロケ地〜ちばしフィルムコミッション

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2009年8月 9日 (日)

原爆の悲劇を伝えることに生涯を捧げた市民ジャーナリスト、伊藤明彦さんの思い

8月9日は64年目の「長崎原爆の日」。この長崎行きは平和フォーラムと「平和集会」の参加が目的です。

2008年8月 9日 (土)
長崎原爆の日、爆心地を歩く

 8日のフォーラムでは、市民ジャーナリストとして生涯を捧げ、今年3月に亡くなった伊藤明彦さんのドキュメンタリーが印象的でした。

 伊藤さんは8歳のときに入市被爆。60年に長崎放送に入社。原爆体験を伝えることは被爆地ジャーナリズムの社会的な責任として、68年に被爆者が体験を語るラジオ番組をスタート。しかし、半年で担当を外されると、退社。以後は、肉体労働をしながら、退職金で買った録音機をもって、全国各地を回って、被爆者の証言を録音されたそうです。結局、1003人の声が集まりますが、ここに至るまで、半数に断られたそうです。断った人は「思い出しても、つらい体験をわざわざ話したくない」ということでした。

落ち込むこともあったようですが、そんな時は伊藤さんは被爆者が数多く眠る長崎のカソリックの墓地を訪れ、死者の声に耳を傾けるのだそうです。すると、「声を残こすこともなく、亡くなった人々が励ましてくれる」と伊藤さんは言います。 

伊藤さんは1003人の声を編集するために、古巣の長崎放送局を訪ね、旧式の編集機を借りて、1か月以上、安いビジネスホテルで作業をされたそうです。伊藤さんは時間がもったいないからと言って、食事もせず没頭されたそうです。それが僕が泊まっているホテルであります。今、こうして、面識のない伊藤さんのことを書いていることと無関係ではありません。

それにしても、伊藤さんを突き動かしたものはなんだったのでしょう? 伊藤さんは結婚もせず、名誉も金も求めず、ただ、被爆者の声を集めることにだけ没頭しました。

 軍事ジャーナリストの前田哲男さんによれば、伊藤さんは「一生を棒に振って、人生に関与せよ」「つらぬけ やり通せ たった一つの生を得よ」という言葉を残されています。伊藤さんにとって、「録音構成ヒロシマ」と「録音構成ナガサキ」を残すことが生涯の仕事であったのです。

 オリジナルテープは「国立原水爆被災資料センター」に寄贈されたそうです。それは、後世、日本の「戦争と平和」や「風とともに去りぬ」を書く人のために、祖父の物語を残すのだ、という思いだったそうです。

伊藤さんはニュースインタビューとしてではなく、「録音構成用」として録音を行ったそうです。つまり、質問部分はほとんどなく、話に同意も否定もせず、被爆者が話を尽きるまで何も言わないというのが取材スタイルだったそうです。作家、村上春樹さんがノンフィクション「アンダーグラウンド」を書いたとき、こうしたスタイルを取っていたと記憶しています。

それらをテープやCDにして、全国の施設に寄贈されたそうです。その数は千枚単位で、全部自費。これには相当な費用がかかったと推察されます。伊藤さんの経済状況を考えると、相当な負担だったのではないでしょうか。

どの公共施設も、そうですが、予算が低く組まれていることから、寄贈を望まれます。もちろん、個人の寄贈は大事なことですが、それだけでよいのか、という感想もあります。

しかし、埼玉県立平和記念資料館には寄贈を断れたそうです。伊藤さんは手紙に寄贈したい旨とともに「CDを活用してほしい」と書き添えたそうですが、記念館では「集いをやる予定もなければ、CDプレーヤーもなければ、予算もない」と返事をしたそうです。

伊藤さんは平和記念資料館の返信に驚き、怒り、抗議をすると、数年前に寄贈したはずのテープも紛失していたという事実も分かります。結局、平和記念館は寄贈を受け入れるのですが、なんともコメントしようもない出来事ですね。

伊藤さんの活動はやがてメディアによって紹介され、その結果、協力者も現れます。長崎出身のコピーライターがCD作品を「被爆者の声」としてウェブ化し、ある女性教諭の方によって、英語版も製作されているそうです。たった1人の思いでも、活動を続ければ、必ず通じる。これは僕自身が行っている「検見川送信所を知る会」でも実感するところです。

怒られるかもしれませんが、僕はつい最近まで、平和運動に懐疑的でした。

すべての戦争に反対するのは、当たり前のことであり、運動を起こすようなものではない、と思っていたからです。しかも、平和運動というのは、成果が見えにくい。運動を行って、意味があるのだろうか?

しかし、それは間違っていました。

誰でも平和を愛し、戦争を憎みます。しかし、人類は戦争を繰り返す。平和が大事であると認識することと、平和を実践することは別物なのです。平和を訴えるには、悲惨な戦争体験を語り継いでいくしかないのです。

戦後64年を経て、戦争体験は風化しています。戦争の悲劇というと、広島、長崎の被爆、沖縄での本土決戦、東京大空襲といったものが印象的ですが、それだけではありません。

僕が暮らす千葉でも、2度の大規模空襲があり、多数の市民が亡くなっています。日本全土で空襲に遭っていない都市は10しかないそうです。

戦争というのは身近な問題です。

僕の親族も戦死したり、空襲で亡くなっている人もいます。その親族が違う人間であれば、僕は生まれていなかったかもしれません。その可能性は十分にあったでしょう。

先日、ノンフィクション小説「検見川無線のプロジェクトX」を書き上げ、目下、印刷に出しています。週明けには、手元に送られてくるはずです。

これは1930年10月、ロンドン海軍軍縮条約締結を記念した日米英による初の国際放送の舞台裏を描いたものです。この後、浜口雄幸首相は右翼青年に銃撃され、日本は再び軍事化を強めていきます。やがて、平和の声を伝えた検見川無線は戦争にも関与していきます。そう考えていくと、この国際放送はエポックメーキングな事件でもあり、日本のターニングポイントでもあるわけです。

この「検見川無線のプロジェクトX」はページ数の関係で、すべてを書ききっているわけではありませんが、在庫がなくなる度に、新事実を盛り込み、改稿を続けてきました。

今回の新装版はフォントのポイントを最小にして、全編改稿しました。文字数もかなり増えています。内容は「戦争反対」を声高しているわけではないつもりですが、読んでくださった方が感じてくだされば、幸いです。

伊藤さんは東京の施設で倒れた時、「まだやるべきことがある。死にたくない」と話されたそうです。平和を求める行動にゴールはありません。伊藤さん亡き後、僕たちができることは戦争の悲劇を語り継いでいくことでしょう。

熊谷市政となった千葉市は平和市長会議にも参加することになりました。「検見川無線のプロジェクトX」も平和都市、千葉の一助になれば、と思っています。

最後に、伊藤さんの文章を転載させていただきます。


伊藤明彦 ヒロ/ナガ.com 核兵器再使用とジャーナリスト

 ジャーナリストは、核兵器再使用に反対する、特別の職業的理由を持っています。核兵器が再度使用されたとき、彼または彼女は、ジャーナリズムの良心に従って、「ニュースの現場」に少しでも近づこうとする限り、残留放射能によって、死亡したり、一生続く後遺症を背負い込む可能性があることを、今は知っているからです。チェルノブイリでは、多くの消防士や記録映画製作者が、「現場」に近づきすぎたため、「職業的死」を遂げました。

 ヒロシマ・ナガサキの記者たちは、残留放射能についての知識がまったくなかったため、少しで「ニュースの現場」らしいところに近づこうと努力しました。これからはそうは行かないでしょう。
 もっとも苦しい選択を強いられるのは、だれを「現場」に送るかを、決めなければならない、
ジャーナリズムの現場幹部です。記者本人は死を覚悟しても「行きたい」と言うかも知れません
が、家族のことを思えば、つらい選択をしなければなりません。

 フリーのライターにこの話をしましたら、「真っ先に投入されるのはわれわれだろう。どうせわれわれは消耗品。死んでも金一封で゛済むのだから」と、渋い顔をしておりました。

 すべてのメディア所属のジャーナリストも、フリーの仲間たちも、反対いたしましょう、核兵器の再使用に。立ち上がりましょう、「反核世界ジャーナリスト会議」結成の呼びかけに。
                                              (伊藤明彦)                           ■08.2.28■



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2009年6月14日 (日)

熊谷俊人市長と検見川送信所を知る会

「検見川送信所を知る会」(※1)の仲間でもある、熊谷としひとさんが千葉市市長に当選しました。31歳、最年少市長の誕生です。

僕が知っている熊谷としひとさんについて少し書いてみたいと思います。

熊谷さんとは07年10月、「検見川送信所を知る会」の第一回イベントからのお付き合いになります。

僕たちは、検見川送信所の保存、利活用を提言しようと始めたわけですが、実現に向けては市議のみなさんの力が必要だと考え、花見川区、稲毛区の市議のみなさんに参加を呼び掛けました。

「千葉市はハコモノ行政と言われていますが、こういう文化遺産こそ残し、活用すべきではないですか?」

この僕らの投げかけに、同意してくれたのが熊谷さんでした。

早速、検見川送信所や知る会の取り組みをブログで紹介してくださり、千葉市当局にも働きかけてくれました。(※2)

「若すぎる」「実績がない」という方もいますが、意味のない批判です。というのも、市長選に出馬したのはいずれも新人(市長未経験)。それに、今回の市長選は従来型市政の在り方が問われたからです。それに、能力に年齢は関係はありません。

「任期の途中で市議の放り出しての出馬はおかしい」という批判もありましたが、国政に鞍替えならまだしも、市長になろうというのだから、当てはまらないでしょう。熊谷さん自身も、任期中の出馬は相当悩まれていましたことはお知らせしてもよいでしょう。

熊谷さんはある時、こう言いました。

「国政に出る気はありません。私は千葉市を変えたいんです」

僕も、一市民として千葉市を変えていきたい。だいたい、自分の足元を変えられなくて、国が変わるでしょうか。

千葉市は新しいハコモノが乱立する一方、文化財である歴史的な建造物が廃墟状態で放置されているような町なのです。

検見川送信所の保存、利活用は、新生・千葉市の誕生のシンボルになると信じています。検見川送信所の保存をしたら、千葉市全体が変わった、なあんてなったら、わくわくするじゃないですか。

検見川送信所の問題に限らず、新市長の手腕に大いに期待しています。

※1 同会には与野党、超党派の市議が参加されています
※2 過去に報告済みですが、熊谷さん以外の市議の方々もブログ、ホームページでレポート、市議会でも支持をいただいています

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2009年4月29日 (水)

下志津駐屯地でつつじ祭り 2009

「つつじ祭り」が本日4月29日午前9時から午後3時まで下志津駐屯地で開催されます。「つつじ祭り」は公式なインフォメーションが少ない行事(地元にはビラなどが配られているようです)のようで、僕のブログでも最近、読まれている記事のトップとなっています。入場無料。

自衛隊の是非にはいろいろな意見があるとは思いますが、まずは自衛隊はどんな組織なのかを自分の目で確かめておくことは大切なのではないかと思います。昨年の記事はこちらから読むことができます。


2008年4月29日撮影

撮影はキヤノン30Dで。

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2009年4月24日 (金)

検見川送信所の調査費見送りは鶴岡容疑者の指示だった

千葉市稲毛区内の街路樹整備の入札に絡む汚職事件で逮捕され、24日に千葉市長の辞任を表明した鶴岡啓一容疑者(61)。当初の予算原案にも盛り込まれていた検見川送信所保存に向けた調査費用が最終段階で見送られたのは、鶴岡容疑者の指示であったことが分かりました。

2009年3月17日 (火)
千葉日報「保存“足踏み”に住民落胆」

検見川送信所をめぐっては地元町内会、検見川送信所を知る会、日本建築家協会などが保存を要望。市側は当初、取り壊しを決めていましたが、方針を転換し、保存を検討するとしていました。

今年1月30日には千葉市教育委員会が保存要望を出していた検見川連合町内会、建築家協会、知る会との懇親会を開催。その席で、21年度予算に1300万円の調査費用を計上する考えを明らかにしました。

しかし、3月上旬に市が発表した予算案では調査費は盛り込まれませんでした。予算案は各事務サイドが提案し、最終案が決められていきます。複数の関係者の話によれば、今回の見送りは土壇場で、鶴岡容疑者の「鶴」の一声により決まったといいます。いろいろな経緯を経て、額が変更されることもありますが、完全にひっくり返ることは異例ということでした。

この指示は違法性のあるものではありませんが、汚職容疑の市長によって、市民や超党派の市議の保存を望む声、市事務サイドの努力によって前進した保存への動きが止められたことには「残念」という感情を通り越したものがあります。

鶴岡容疑者は3月末、千葉市内で行われたパーティーの席で、知る会のメンバーの声かけを受け、「(検見川送信所は)壊すことはしないが、利活用は考えていない。外も中も壊れているから。あのままにするのがよいと考えている」と答えました。

内部の状態については、建築家協会のレポートをお読みください。

24日付の新聞各社によれば、昨年12月まで鶴岡容疑者のもとで副市長を務め、6月の市長選に立候補を表明している林孝二郎氏は「後継者ということには若干抵抗がある」「(鶴岡市政は)市民や市職員との関係でとっつきにくい部分があった」(朝日新聞)、「今の市政は少し閉鎖的だ。開放的な市役所にしたい。鶴岡さんの時代をつなげてくつもりはない」(毎日新聞)などと話しています。

選挙日程がそのままなら、6月に新市長が誕生します。誰がその椅子に座るのかは分かりませんが、新市長には市民本位の市政に向け抜本的な改革を望みます。


26日から写真展「迷走する検見川送信所」を成田・成田門前画廊で開催します。詳しくはこちら

朝日新聞系の地域紙「あさひふれんど千葉」(4月15日号)にも紹介されました。

送信者 検見川送信所メディア

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2008年8月 5日 (火)

検見川無線送信所の現状と未来~千葉市科学館の展示を発端に

「きぼーる」完成当時は「財政赤字の折に、ハコモノを作って」と否定的に思った。しかし、利用しなければ、本当に無駄なハコものとなってしまう。使わなければ、意味がない。

館内に検見川送信所に関する資料が掲示されているらしいと聞き、見に行った。場所は9階にあった。電波の歴史を知るコーナーで、短波、中波、長波の性質が紹介されている。短波のコーナーに、送信所の写真がある。


検見川送信所in千葉市科学館(GRD2,f2.4 1/32s ISO400)

市の最新施設で、検見川送信所の役割を紹介するということの意味は大きい。市側もその重要性を認識している、ということだ。

千葉市は送信所跡地を検見川中学校の用地と位置づけてきた。しかし、3月の市議会では教育長が「市民の方から同じく登録の要望をいただいております旧検見川送信所跡については、歴史的な価値を再検証するとともに、関係部局と協議してまいります」とした。

さらに6月の市議会では、山本直史市議(新政ちば)が市が確保している学校用地の状況、今後の見通しについて質問している。市側は送信所跡を含む4つの学校予定地について言及。児童推計値から判断すると、「現在のところ、学校建設の必要性はないと考える」と答弁した。(2008年6月21日付、千葉日報でも報道)。

送信所に関する千葉市の答弁を見ると、1999.09.30 : 平成10年度決算審査特別委員会(第4日目)での都市部長の発言がある。

これは中村公江市議(共産)の質問に答える形で行われた。

誤解のないように市議録から必要部分を多めに抜粋する。

中村公江市議(共産)「PTAや学校関係者,自治会の役員の方から,朽ち果てた旧検見川送信所の建物を何とか早く撤去してほしいと要望がありました。
 近くに住む方は,すぐそばの歩道を歩いて通勤,通学します。このほど,歩道に街灯がつきましたが,人通りは少なく,コンクリートの壁に囲まれ,築74年以上の廃墟となった建物は,薄気味悪く,治安上も好ましくありません。
 そこで伺いますが,1,この建物の管理者はだれなのか。
 2,住民の安全を守る立場で,早急に撤去するように求めます。」

都市部長「当該建物の撤去についてでございますが,本事業を進める上で支障となった時点で撤去する予定としておりますが,防犯上問題があるとの指摘もありますので,撤去の時期につきましては,今後の検討課題とさせていただきたいと存じます」。

中村市議の発言は検見川町の住民の声を受けてのもののようだ。現在、検見川町連合町内会は市に対して、送信所を地域文化財に指定するよう要望書を提出している。「取り壊してほしい」という考えから、「送信所=文化遺産」に変化している。

以上のことを考えると、中学校建設は必要なし、取り壊しの声もない。また、治安上に関しては、この発言の後、窓やドアを鉄板で固めており、その対策は済んでおり、6月の市教育委の発言は事実上の「取り壊し撤回発言」と取ることができる。

後は文化財として認め、これをどう守っていくかが焦点になるだろう。手前ミソになるが、千葉市側が態度を変えていった背景には「検見川送信所を知る会」の活動が発端になっているといっていい。

ただ、楽観視はできない。頑強なコンクリート造りで、基礎部分には問題はないだろうが、79年の閉局後、30年近く放置された建物の外壁は老朽化し、剥離している。また、専門家からは天井部分の水漏れが指摘されており、内部を見ないと、その劣化具合は知ることができない。そういった意味では一刻の猶予も許されないのだ。

しかし、希望はある。昨今、中央政界では政治不信が唱えられているが、千葉市では市民が動けば、市議、市はそれにきちんと答える、ということが分かった。

また、「検見川送信所を知る会」が主催したイベントには1会派を除き、すべての会派議員が強い関心を示し、送信所の存在を知って頂くことができた。市議たちは「とても重要なものだということは分かった」などとご自身のブログなどで報告されている。これを壊すべきだと考えている市議は今のところ、聞いたことがない。

検見川送信所を設計した吉田鉄郎氏の代表作である「東京中央郵便局」は郵政民営化の影響で高層ビル化が発表された。重要な文化財である建物が収益性の名のもとに解体の危機を迎えている。

今、「地方から世の中を変える」という言葉がいろんなところで叫ばれている。東京近郊にある千葉市も、やはり同じ「地方」のひとつである。

現在、廃墟状態にある検見川送信所が文化遺産として、地方自治体が認めらることがあったら、おそらく日本初の快挙であろう。そうなれば、東京中央郵便局の運命も変わる可能性があるのではないか。

それにはさらなる声が必要なんだと思う。

僕はまず、みなさんに検見川送信所がどんな建物なのかを知って頂きたい。その上で、どうすべきか考えていただきたい。千葉市最後の文化遺産、検見川送信所を次世代に残せるかは、千葉市民だけでなく、市外、県外、国外からの大きな声にかかっている。

廃墟が文化遺産になる。夢のある話だとは思いませんか?

「検見川送信所を知る会」では8月30日(土)午後3時から、検見川公民館にて、イベント&シンポジウム「検見川送信所、文化遺産宣言」(仮題)を行います。内容の詳細は「検見川送信所を知る会」ホームページで随時、発表します。

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