近代遺産

2009年10月 1日 (木)

野田市郷土博物館(1959年)

僕たちが保存、利活用を訴えている検見川送信所(設計・吉田鉄郎氏)は埼玉・岩槻受信所と対の存在として作られました。この岩槻受信所を設計したのが山田守氏。日本武道館や京都タワーで知られる建築家です。

吉田と山田はともに1894年生まれ。ともに帝大に進み、吉田が1919年に、山田が1920年に逓信省営繕課に入っています。静の吉田、動の山田といわれる対照的な性格の2人は切磋琢磨しながら、日本を代表する建築の設計を手がけたわけです。

その山田が残した野田市郷土博物館(1959年)が開館50周年を迎え、9月27日(日)に同所で記念講演が開催されました。

ナビの案内で、難なく着いたのですが、ちょっと面を食らいました。細い路地を入ると、立派な純和風の門。もっとモダンなものを予想していたもので。

送信者 野田市郷土博物館(山田守)

2009年9月29日 (火)
iPhoneをカーナビに(全力案内!ナビ)

建物自体はもっと面を食らいました。これは「正倉院」ではないですか。

送信者 野田市郷土博物館(山田守)

野田市郷土博物館は山田守作品集(1967年)にも、模型が掲載されているだけ、とか。これまではあまり注目されていなかったようです。しかし、山田守建築を知る上で、重要な建築と言えそうです。

竣工した1959年は、山田(66年死去)にとって、晩年にあたります。山田はこの後、代表作となる日本武道館、京都タワー(ともに1964年竣工)を手がけることになります。

郷土博物館は千葉県初の登録博物館。山田は博物館>収蔵>正倉院>校倉造りといった発想で、この様式を取り入れたようです。

送信者 野田市郷土博物館(山田守)

日本武道館も屋根が六角の法隆寺夢殿をモデルに、屋根は富士山の稜線をイメージして作られていて、いわば、日本武道館の「原型」ともいうべき建物が、この博物館かもしれません。日本武道館の前に、この博物館があることで山田建築の流れが見えるのです。

それにしても、面白いのは、「分離派建築会」という先鋭ユニットを組み、新しい建築のあり方を模索していた山田が日本古来の様式に目覚めていったことです。

特別講演された大宮司勝弘氏は「山田はモダニズムの限界を見抜いていたのではないか」と推察します。

モダニズム建築は機能性に重きを置いたもので、それを突き詰めると、四角い箱となる。しかし、箱型の建物はインパクトがない。ランドマークやモニュメントになりえない。そうしたものは消え行く運命にある。建物が残るためには、特殊性やインパクトが必要。そうでなければ、イコンにはなりえない。

この博物館の場合は、イコンとしての「校倉造」が選ばれたわけです。しかも、それは徹底しています。なんと高床式です。

送信者 野田市郷土博物館(山田守)

同じ「模倣」でも、若者と円熟を迎えた人間がやるのでは訳が違います。山田は過去を敬いながらも、それをモダニズムで消化しています。内部空間には展示物の配置、ライティング、階段の手すりのつながり方は山田らしい創意があります。

送信者 野田市郷土博物館(山田守)

山田守建築は300以上あるそうですが、現存するのは約50。その中でも一般に知られるのは最晩年の日本武道館、京都タワーであることを思えば、「脱モダニズムを目指した」山田は正しかったということなんでしょうね。

送信者 野田市郷土博物館(山田守)

この2つの建物は専門家からは大いに批判され、あるいは無視されたそうです。武道館には「新しさがない」と言われ、京都タワーでは「古都の景観を壊す気か」との非難を浴びることになります。しかし、日本武道館は東京オリンピックによって世界に知られ、で有名になり、その後、音楽の殿堂としても親しまれています。京都タワーは賛否両論を受けながらも、古都の新しいシンボルになりました。

写真はGR-D2にて。

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2009年9月29日 (火)

針尾無線塔が国重要文化財へ、将来は公園化

近代建築は暗い話題が多いのですが、朗報が飛び込んできました。

先日、訪れた長崎・佐世保市の針尾無線塔の耐震調査が終わり、震度6弱にも耐えうることが分かったそうです。今度、佐世保市長は国の重要文化財を目指して動き、将来は公園化する構想があるそうです。

【ニュースソース】
「ニイタカヤマノボレ」送信した無線塔、公園に 佐世保(朝日、2009年9月24日13時10分)

針尾無線塔保存を国に働きかけへ 耐震性調査の結果受け佐世保市(長崎新聞)

針尾無線塔は1918〜1922年にかけて、建てられました。90年を経ても、当面、劣化対策の工事をする必要もない、とのこと。

昨年11月、検見川送信所の内部見学会の際に、建築家の方から伺ったのですが、昔のコンクリートは非常に質がいいそうです。

コンクリートを打った直後でも、ヒビが入らない。今のコンクリは「シャブコン」といわれ、強度がないものも多いとか。耐震性は大正、昭和初期の方が高いとも言われます。

針尾無線塔も一度は解体の話が出ましたが、真珠湾攻撃を告げる「ニイタカヤマノボレ」の暗号の発信地でもあり、近くには引揚者を受け入れた港もあることから、戦争の始まりと終わりを告げた市のシンボルだと、地元住民が声を上げ、保存の方向が決まりました。

僕が検見川送信所の保存を呼びかけたきっかけとなった建物でもあり、保存方向が大きく動き出したことはうれしく思います。

【関連記事】
2007年8月13日 (月)
佐世保市役所に聞く〜針尾無線塔、取り壊しから保存へ

2007年8月14日 (火)
針尾無線塔を守る会にノウハウを聞く〜検見川送信所

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2009年9月28日 (月)

解体間近か?ダイビル本館(1926年)

久々に近代建築レポートを。

15〜18日まで大阪に滞在。解体間近とも伝えられる大阪・中之島のダイビル本館を見てきました。中之島周辺はスクラップ・アンド・ビルドが進む大阪にあっても、近代建築が数多く残っている地区です。

関連記事
2009年6月 3日 (水)
大阪市中央公会堂(1918年)

送信者 ダイビル

ダイビル本館は大正15(1926)年、渡辺節氏の設計によで建てられたネオ・ロマネスク様式のビルディング。検見川送信所と同い年なんですね。

大正期の大規模オフィスビルは現在、ほとんどなく、神戸の商船三井ビルとこのダイビル本館が現存する最後の建造物だそうです。渡辺作品では日本綿業倶楽部(1931年)が重要文化財となっていて、それより以前に建てられたダイビル本館も重要文化財級の価値があると言われています。

動物の世界では「絶滅危惧種」(レッドリスト)というものがありますが、建築の世界でも、レッドデータブックをまとめるべきではないでしょうか。文化財級の建築が人知れず消えていきます。

民営化した日本郵政が所有する東京中央郵便局の例でも分かる通り、民間企業の建物の解体を止めることは難しい。しかし、古い建築を所有する企業を経済的に優遇するなど仕組みがあれば、少しは違った流れがあったかもしれません。

僕が訪れた時は、ダイビルの管理会社が残っているだけで、ほかのテナントはすべて引っ越しを終えた後でした。近く完全に閉鎖されるという話もあります。僕のほかにも年配の男性と20代の男性がダイビルの最後の勇姿をカメラに収めようとしていました。

送信者 ダイビル

外観にも装飾が施されていますが、内観の美しさには目を奪われます。

送信者 ダイビル

この吹き抜けのロビーのライトの装飾は見事ですよね。クリックすると、拡大しますので、じっくりとご覧ください。

送信者 ダイビル

この天使のオブジェは1階の廊下にあったもの。天使が、この建物の運命に微笑むとよいのですが。

送信者 ダイビル

毎日新聞(2009年9月23日付)
ダイビル本館:「壊される運命」あきらめぬ 解体秒読み、「生かす会」設立 /大阪
府内の建築家20人がダイビルを生かす会を立ち上げた、と載っています。

写真はGR-D2にて。

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2009年8月12日 (水)

針尾無線塔を訪ねて〜iPhone Movie

針尾無線塔を間近で見るためにタクシーをチャーターしました。タクシー会社によると、ハウステンボスから針尾無線塔までは往復5000〜6000円といったところ。

18佐世保市針尾地区はひとつの島になっています。無線塔はいろんな場所から見ることができます。3本の塔は正三角形に配置されているそうです。

佐世保は軍港として有名ですが、1945年8月の敗戦後は、外地からの引揚港に指定されました。浦頭(うらがしら)がそれに当たります。昭和25年4月までに軍関係者、民間人合わせて約140万人が浦頭を経由して、故郷に帰っていきました。

タクシーの運転手は「古い桟橋が残っている」と言って、案内してくれたのですが、既に撤去されていました。ここに限らず、古いものはどんどん失われていきますね。

近くには、浦頭引揚記念公園と資料館があります。資料館の方に話を伺うと、引き揚げ元は満州が、帰郷先は長野県が最も多かったそうです。当時、政府は「満州は夢の土地」といった具合で宣伝していましたから、農村で苦しい生活をしていた方々が新天地を求めて、渡っていったわけです。

18資料館にあるジオラマをみると、その航路が分かります。佐世保の湾は相当入り組んでいるのですが、引揚者は3本の針尾無線塔を見て、故郷に帰ってきたという思いを強くしたことでしょう。

つまり、針尾無線塔は1941年12月に開戦を告げる「ニイタカヤマノボレ」の暗号を送るとともに、終戦、引揚のシンボルでもあったわけです。

ハウステンボスのシンボルタワー、ドムトールン展望台から臨む針尾無線塔の風景は「平和の窓」とも言われているそうです。ハウステンボス自体、引揚施設の跡地が利用されています。

18無線塔の中に入ることはできませんが、畑の中にあり、近くまで見ることができます。下から見上げる135メートルの塔は大迫力です。

周囲は草木が鬱蒼と茂っていて、ヤブ蚊の羽音がよく聞こえました。夏の見学はあまりよろしくないようです。残念なことに、塔の地上部分には無数の落書きがありました。

針尾のような戦争遺産は、一時、「負の遺産」と言われていました。そういった施設の多くは「戦争の象徴」の側面と同時に、「平和の象徴」といった顔も持っていることが多いように思えます。

検見川送信所も、どちらかというと、戦争遺産のように見られていた節もあります。しかし、1930年には軍縮を記念した日本初の国際放送も手がけている。「戦争と平和」は表裏一体にも思えます。原子力もそうでしょう。広島、長崎に落とされた原爆のような使われ方もあれば、原子力発電所のような平和利用もあります(原発の危険性の論議はおいておいて)。どんな施設であれ、それを引き起こすのは人間の知恵次第ということです。

浦頭の引揚施設はほとんど取り壊され、かわって、モニュメントが建てられています。今や、無線塔だけが当時の施設といってもいいでしょう。

3本のコンクリート製のアンテナ塔は僕らに何かを語りかけているようです。

以下は全編ほぼiPhoneで撮影したショートムービーです。約2分弱。

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2009年8月11日 (火)

ハウステンボスからみた針尾無線塔

18長崎市に入る前に、1日だけ私的な時間を作りました。そうして、佐世保市のハウステンボスに1泊したわけです。

7日は快晴。外にいるだけで汗をかくほどでした。

ハウステンボスは資金繰りにいろいろな問題を抱えているようですが、とにかく、広い。とにかく、豪華。よくぞ、ここまで作ったなぁと思います。これでは維持するのが大変でしょうね。

「ハウステンボス」とは「森の家」という意味で、オランダの国造りをヒントに、当時の建築などを現代に再現した一大リゾート施設です。入場料は3200円。このほか、アトラクションを楽しむためにはパスカード(2400円)が必要となります。

施設の中でひときわ目をひくのが「ドムトールン」と言われるシンボルタワー。施設内のどこからいても、みることができます。オランダ本国で一番高い教会鐘楼(112m)がモデルで、ハウステンボスのものは105m。オリジナルよりも低いのは、周囲との景観を考えた結果とか。

18高さ80mのところに、展望台があります。プライバシーの関係か、360度見渡せるわけではないのですが、施設のおおよそのところは見渡すことができます。僕が注目したのは、3本、天に突き刺すように建っている針尾無線塔です。

針尾無線塔は以前もこのブログで紹介しました。「検見川送信所を知る会」を作るきっかけになったのが、針尾での保存活動でした。

2007年8月12日 (日)
検見川送信所とニイタカヤマノボレ1208

2007年8月13日 (月)
佐世保市役所に聞く〜針尾無線塔、取り壊しから保存へ

2007年8月14日 (火)
針尾無線塔を守る会にノウハウを聞く〜検見川送信所

針尾無線塔を訪ねてみたい、という2年越しの夢がついに叶ったというわけです。

18針尾無線塔の高さは2本が135m、残りが137m。1922年に完成し、1941年12月の真珠湾攻撃を告げる暗号「ニイタカヤマノボレ」を送信した施設のひとつと言われています。戦後すぐは米軍に収用されていましたが、その後、自衛隊と海上保安庁が使用。97年に後継の送信施設が完成し、現在は役目を終えています。

長らく佐世保のシンボルとしてそびえたっていたのですが、取り壊しの話が持ち上がり、地元有志が「針尾無線塔を守る会」を結成し、保存を行政に訴えたのです。07年には竣工当時の未公開写真なども見つかったと聞いています。現存する大正期のコンクリート製アンテナとしては日本唯一。歴史的な意味も大きいとして、佐世保市では国の重要文化財としての道も模索しています。

最近は動きが聞かれませんが、どうしたのでしょうか?

ともかく、近くにいって、見てこよう。<続く>

写真は(1)iPhone、(2)がiPhone ToyCameraToyCamera
(3)がGRD2。最新機種はGRD3。

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2009年6月30日 (火)

東京中央郵便局庁舎保存問題から 大阪中央郵便局庁舎の課題へ

「検見川送信所を知る会」のイベントではありませんが、送信所の設計者である吉田鉄郎さん関連のシンポジウムが以下の通り、開かれます。

「東京中央郵便局庁舎保存問題から 大阪中央郵便局庁舎の課題へ」

日時 : 2009年 7月17日(金) 18:30~20:40
会場 : 建築家会館一階ホール
主催 : JIA関東甲信越支部+保存問題委員会

詳しくはこちら(pdfファイル)をごらんください。

送信者 吉田鉄郎建築
送信者 吉田鉄郎建築

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2009年6月 9日 (火)

6月14日、皇居周辺の景観を考える会

東京中央郵便局の動きに絡んで、以下のようなシンポジウムの案内をいただきましたので、転載しておきます。シンポジウム当日の6月14日は千葉市民には大事な千葉市長選ではあります。

写真は先日、ライカM3、ウルトラ・ワイド・ヘリアーで、東京駅丸の内から皇居側を撮ったものです。

送信者 東京

皇居周辺の景観を考える会では、昨年11月1日に学士会館で開催したシンポジウムの第二弾として、
下記のシンポジウムを開催します。
千代田区議会では、東京中央郵便局について支援いただきましたが、このほど、「皇居周辺景観及び観光施策特別委員会」がスタートするという動きがあります。

1.タイトル 「皇居周辺の景観」第二弾
       都心の建築デザインはいま
      -超高層と歴史的建物、みんなで考える場を求めて

2.開催趣旨:東京都は首都東京の顔である皇居周辺を、「水辺や緑と調和し風格ある景観」としていくために、この4月に景観誘導区域として指定し、あわせて良質な建築のデザインを誘導するための指針を定めました。
都心地区および対象地域では、今まさにパレスホテルや東京中央郵便局・歌舞伎座・三菱倉庫・官庁群の再開発計画や外濠などで超高層建築物が建設されようとしていますが、開かれた十分な議論もないまま、進められています。
このシンポジウムでは、これら再開発の建築デザインを検証しながら、都と区の景観計画が、どのようなデザインを評価し、何をめざしているのかについて考えます。

3.日時 平成21年6月14日(日)13時30分~16時30分

4.会場 東京大学工学部第14号館1階141教室

5、問題提起:五十嵐敬喜氏(法政大教授)

司会:福川裕一氏(千葉大学教授)

パネリスト:中島直人氏(東大助教)
川西崇行(早稲田大学講師)
窪田亜矢氏(東大准教授)
後藤治氏(工学院大学教授)

総合司会:大橋智子

6.資料代1000円(交流会5時~6時 会費1500円予定)

7.主催:皇居周辺の景観を考える会  03-6380-8818
 後援:日本都市学会(関東都市学会)・千代田のまちづくりを考える会

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2009年6月 3日 (水)

大阪市中央公会堂(1918年)

大阪へは、ある裁判の支援に行ったのですが、それはまた別の機会があれば。

大阪地裁の近く、中之島には近代建築が残っていると聞き、歩いてみました。

大阪市中央公会堂は1918年竣工。設計原案は岡田信一郎という人ですが、建築顧問は東京駅舎で知られる辰野金吾氏。

ウィキペディアによれば、「2002年(平成14年)12月26日、国の重要文化財に指定されている。老朽化が進んだため、1999年(平成11年)3月から2002年(平成14年)9月末まで保存・再生工事が行われ同年11月にリニューアルオープン。耐震補強、免震レトロフィットやバリアフリー化がなされ、ライトアップもされるようになった」とある。

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送信者 2009 06 02

スケッチをしているグループを見かけました。立ち止まって、眺める人やカメラを向ける人も多い。やっぱり、赤煉瓦建築は一般受けがいいんですね。

送信者 2009 06 02

近くには同じく辰野設計の日本銀行大阪支店があります。辰野設計の建築がいくつか集まってきたので、アルバムにまとめてみました。

辰野金吾


2008年9月 3日 (水)
復原される東京駅とレプリカ保存で高層化計画の東京中央郵便局


2007年8月29日 (水)
磯崎建築のスクラップ・アンド・ビルド@大分市

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2009年4月22日 (水)

軍艦島、きょう上陸解禁

長崎・軍艦島への一般上陸が本日、解禁されました。テレビでも盛んに取り上げられていますね。

長崎県が2007年度から1億円をかけて、島の上陸ポイントを整備し、ようやく上陸が可能になったというわけです。

軍艦島は現在、ほかの22件とともに「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産暫定リストに入りしており、注目度も高く、軍艦島観光の成功を収めれば、ひとつのテストケースになりうるんではないか、と期待をしています。

公共事業費の面からみても、1億円はけっして高い数字ではなく、費用対効果を考えれば、十分元が取れる額ではないでしょうか?

我が町、千葉では検見川送信所が現在も廃墟のままで放置されています。僕は仲間とともに検見川送信所の保存を訴えているのですが、市指定文化財ですらかなわない状況で、本年度行われる予定の調査も予算がつかず、最終的に見送られました。

そんな状況ではありますが、検見川送信所も世界的な遺産になる可能性があると確信しています。

というのは、ここは日米英による初の国際放送が行われた送信所で、その中身もロンドン海軍軍縮条約の締結を記念した3か国の首脳による演説(昭和5年)であったからです。

昭和5年という時代は世界恐慌がまさに吹き荒れた時代であり、その後、世界は戦争へと突入していきます。初の国際放送は世界が平和を模索した最後の国際的な交渉ともいえるわけです。

また、その設計者が東京中央郵便局などで知られ、日本のモダニズム建築を引っ張ってきた吉田鉄郎の初期の作品ということも大きいです。吉田の建築はブルーノ・タウトといった世界的な建築家からも認められています。

また、世界の送信所を見ると、スウェーデンのヴァールベリ放送局が2004年に世界遺産に指定されたという事実もあります。ここはアンテナ群は残っているのですが、局舎そのものは大した存在ではありません。

ちなみに同所は以下の観点から登録されたそうです(ウィキペディア)。

この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。

* (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
* (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。

大正末期の送信所局舎が、再利用が可能なほど立派に残っているケースというのは非常に珍しい。それは世界規模でも同じことが言えるかと思います。検見川送信所のアンテナは既に撤去されていますが、もしこれが残っていたら、完全に世界遺産の水準は達していたのではないかとさえ感じます。

26日より、僕も参加する写真展「迷走する検見川送信所」が成田門前画廊で開催されます。初日は僕も立ち会いますので、お越しください。

送信者 送信所

軍艦島関連の過去記事はこちら


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2009年3月 4日 (水)

東京中央郵便局の全面保存はまだ間に合う

「何かを始めるのに、遅すぎることはない」

これは、あるコントラバス奏者の言葉です。音楽家という方は幼少の頃から楽器に親しむのが普通ですが、彼は16歳にして初めてコントラバスを初めて手にし、23歳で楽団に入ったそうです。「夢を持つ若者にはこういいたい」と彼は言って、文頭の言葉を続けました。

さて、東京中央郵便局の保存問題が注目を集めています。2日午前、鳩山総務相が同建物を視察する姿がニュースで大きく取り上げられました。 1日付の「東京中央郵便局取り壊しに総務相が”待った”」という記事は非常に多くの方に読んで頂きました。ブログ内のアクセスランクのトップとなっています。

郵便局は昨年12月に完全に閉鎖され、内部の様子は今回の視察で初めて明らかになりました。日本郵便はこれまで解体ではなく、アスベストの除去作業と説明してきましたが、実際は「解体」というべき大掛かりな工事であったことが明らかになりました。

また、保存検討委員会が「全面保存」を訴えていたにもかかわらず、日本郵政が同時期に建て替え計画を進めていたという実態も改めて浮き彫りに。

鳩山さんは予想以上に解体工事が進んでいるのを見て、怒り、悲しみの声を上げました。

「利益追求主義で文化や文明を壊してよいのか。国の恥だ。世に問いたい」

この行動には、「政治パフォーマンス」を指摘する声もあります。郵政三事業民営化はそもそも自民党が率先して行ってきたことです。また、建物の重要性を指摘する声は以前より出ていました。さらに、建て替え計画そのものは昨年6月には発表され、解体工事も12月には開始されていた。総務大臣なら、当然把握していてもおかしくない事案です。「かんぽの宿」の不正譲渡疑惑が持ち上がらなければ、この東京中央郵便局の問題がクローズアップされることもなかったことでしょう。

ただ、それはそれとしても、今回の意味は大きいではないかと思います。また、「文化を大事にしたい」という大臣の言葉にも嘘はないと思います。

鳩山家は、音羽にある邸宅(鳩山会館、通称・音羽御殿)を保存し、一般開放も行うなど文化財への理解も深い。自身は蝶の研究家としても名高い。

「日本郵政は民営化された企業であり、その財産権を犯すべきではない」との考え方もありますが、そもそも、郵便局は国家事業であるし、国民の宝ではないでしょうか。

「かんぽの宿」といい、東京中央郵便局といい、民営化されたからといって、好き勝手に処分しようという考え方には違和感を感じざるを得ません。

東京中央郵便局をめぐっては既に工事の契約も結ばれ、一部解体も進んではいます。しかし、今ならまだ間に合うのです。

一方、日本郵政側の逆襲も始まりました。日本郵政の西川社長は3日、会見で「予定通り、工事を進める」といい、石原東京都知事は「価値があるということは早く言ってくれないと。今、言われても迷惑だ」と発言。

しかし、価値を顧みることなく、強硬に工事を進めたのは日本郵政側ではなかったでしょうか。再開発計画と同時期に設置された保存検討委員会は、郵政側のアリバイ作りであったように見えます。やはり、ここは保存検討委員会の結論を待って、再開発を実施するか、否かを決めるのが筋でしょう。

何かを始めるよりも、何かをやめることには、より大きな決意が必要かもしれません。しかし、今はそれを成し遂げる時だと思うのですが…。

総務省へみなさんの声を届けることができます。こちらにアクセスし、郵政行政にチェックの上、コメントを送ってみませんか。

当ブログの東京中央郵便局関連記事はこちら

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